【4-35】その手は
「うん、……そうか」
リアムは否定も肯定もせず、頷く。キリエも微かに頷き、更に続けた。
「カインが持っている思想は危険すぎます。それは理解しているし、彼と話し合いが成立するとは思えません。カインと対峙した経験があるからこそ、彼に退いてもらうには武力行使しかないのだと、それも理解しています。……生半可な戦いでは駄目なんだということも、分かっています」
「うん」
「カインを止めなければ、何の責も罪も無い人々がたくさん死ぬことになってしまう。彼が野望の始点にしようとしているこの地で、此処で食い止めなければならないのだと、分かっているのに……、それでも僕は、胸を張って、カインを殺しましょうなんて、とても言えません……!」
「キリエ……」
リアムは痛ましそうに眉尻を下げ、銀色の頭をそっと撫でる。そして、静かに言った。
「キリエはそれでいい」
「え……っ?」
「カインが悪しき者だと分かっていても、その命を奪うことには抵抗がある。そんなお前のままでいい。それは決して、愚かなことではない」
「で、でも、今は皆で心を合わせて一致団結しなければならないときでしょう。それなのに、僕の気持ちがズレてしまっているなんて、」
「それでも、賢明なお前はその感情を皆の前で剥き出しにしたりはしていない」
リアムはキリエの頬に手を宛てがい、しっかりと目線を合わせる。優しい夜の色をした瞳に映っているキリエは、様々な感情が絡まり合ったグシャグシャの顔をしていた。
「この地の民を守るため、それは巡り巡って世界の民を守るためにもなるだろうひとつの目標に向かって、皆が賢明にまとまっている。その先導陣の一員であるお前が、一人で、カインの救命を声高に主張しているのだとしたら、それは確かに愚かしいことだろう。主張内容の是非を差し置いても、皆の団結を揺るがせ、様々な方向での行く末に影響が出てしまうのだから」
「……そんなことは出来ません」
「そうだな。キリエは自身の立場を理解していて、気持ちを押し殺して未来を見据えている。それが愚かしいだなんて、誰が思うものか。……そうして賢明な言動を心がけて頑張っているのだから、胸の内にしまっている本音くらい許される」
片頬を包んでいた熱が再び頭へ戻っていき、優しく撫でられる。その感触を受け止めながら、キリエはぽつりと呟いた。
「何が正義で、何が悪なのか。全ての立場から見ても平等に判断できる人って、いるのでしょうか」
銀髪を梳く指先が、ぴたりと止まった。
「自分が認める人以外は全て殺していい、そうして世界を作り変える、そんなカインの主張はとても理解できません。僕たちから見れば、それはとても恐ろしくて邪悪な考えです。──ただ、カインと、彼を信じている仲間にも何かしらの信念があって、彼らにとっては自分たちが正義なのでしょうし、僕たちは悪しき存在なんだろうな、と。その場合、どちらの義が正しくて、どちらを押し通すべきなのか、その判断基準はどこにあるのかな、と思いまして」
無論、キリエは自分たちが間違っているとは考えていない。それはリアムも分かっているだろう。
ただ、一方的に相手を詰り命を奪おうと画策していることへの罪悪感が、どうしても拭えないのだ。そして、その罪悪感に対して、また罪悪感を塗り重ねてしまう。
彼が悪人だとしても、だからといって命を奪っていい権利を持ち合わせているのか。そう思う一方で、生きている以上は何かしらの命を犠牲にしており、己が日々口にしている命もまた罪なきものだというのに、明らかに非のあるものの命を摘み取ることに躊躇うのは何なのかと自問する。そんな悪循環の連鎖が、日に日に強まって、キリエを苦しめていた。
「僕は、皆に優しい国を、皆に優しい世界を目指したいと思っています。でも、その『みんな』から自然とカインを排除しているような自分を、恐ろしいとも思うのです。……その明確な基準は、一体どこに?」
──ああ、そうか。だから人は神に祈るのかもしれない。
キリエは不意に、そんなことを考えた。自分で答えを出せない感情を委ねて赦されたり励まされたりするために、自分ではどうにもならない心の靄を晴らすために、人は祈るのかもしれない。神が実在するか否かは大した問題ではなく、どんなときであろうとも心に寄り添ってくれる大いなる存在が必要なのだ。
キリエが無意識に両手を組むと、それをリアムの大きな両手が包み込んできた。ハッと我に返り見上げた銀眼を、夜霧の騎士は真摯に見つめ返してくる。
「キリエ。その基準は、お前の中にある。お前が何を正しいと思うのか、それは他者や何らかの基準値が定めるものではない。お前が思う正しいことが、お前の正義だ」
「僕の……、正義……」
「そうだ。そして、お前の中にある志こそが正道であると、俺は自分の心で判断した。これが、俺の正義だ。──いいか、キリエ。どんな立場の人間であっても一人も漏れずに全員一致で納得する是も、非も、無い。そんなものは、絶対にありえない。俺が心底から敬愛し、国民の多くから慕われ、陛下からの信頼も厚いお前のことだって、疎ましく思っている輩はいるんだ」
「はい、……そうですよね」
「そうだ。こんなにも頑張っていてこんなにも素晴らしい存在であるキリエへ悪感情を向けたがるなど、俺にはまったく到底全然ひとつたりとも理解できないが、残念ながらそういう奴もいる。お前の半妖精人の特性が無ければ、もっとあからさまに嫌悪感をぶつけられた機会も多かったはずだ。腹立たしい限りだが」
いつになく熱のこもった弁舌を振るっているリアムに驚きつつも、彼の云う感覚はキリエにも理解できる。かつて、夜霧の騎士が王都で疎まれていると知ったとき、驚愕と共に悲怒を感じたものだ。彼は素晴らしい騎士であるのに、何故そんなにも貶められねばならないのか、と。
立場が変われば、同じ物事への感じ方や目線の向け方も様々なのだろう。それが正しくとも、正しくなくとも。
「……僕は、皆がカインを殺害するための計画を進めているのを止めるべきではないと思っていますし、そうしないと大変なことになり、罪なき人々の血が多く流れてしまうと理解しています。……ただ、自分でも狡くて卑怯だと思って嫌になるのですが、そこへ積極的に加担することには抵抗感をおぼえてしまうのです」
「うん。キリエは、それでいい。……お前のこの手を汚させなどしない。お前は、カインを殺せなくていい。この手は、命を奪うものではなく、命を救うためのものであってくれ」
リアムはキリエの両手を掲げ持ち、その甲へそっと額を押し当てた。




