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夜霧の騎士と聖なる銀月  作者: 羽鳥くらら
第4章(最終章)
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【4-26】思い出の夜の味

 キリエは入浴を終えた後、エドワードに付き添われながら自室へと戻った。フットマン曰く、魔族の姉弟は疲労困憊だったようで、それぞれに宛てがわれた客室に案内されるやいなや眠ったらしい。人目を避けながらの長旅、二人きりで敵地へ飛び込む、敵視されることを覚悟しながら共闘を持ちかける、──と、彼らは緊張の連続だったのだろうから無理もない。気を鎮めてゆっくりと休んでいるのであれば何よりだと、キリエはそう思った。


 ずっと緊張し続けて疲弊していたのはキリエも同様で、エドワードがにこやかに退室するのを見送ってからすぐに寝台へ腰掛けたのだが、座位でさえ億劫に感じてしまい、そのまま脱力して中途半端な姿勢で横たわる。だからといって、すぐに眠気が襲ってくるわけではない。

 寝台からはみ出している両脚を無意味にパタパタと動かしていると、不意に静かなノック音が響いた。


「どうぞ」


 キリエが上体を起こしつつ声を掛けると、すぐに扉が開かれ、予想通りの訪問者──リアムが無言のまま一礼して入室してくる。持ち手付きのゴブレットを二つ載せた銀盆を片手で持っている彼は、反対の手できっちりとドアを閉めてから表情を和らげた。


「だいぶ疲れた顔をしているな、キリエ」


 気さくな語り口で話しかけられ、キリエは安心した微笑を浮かべる。イヴとアベルが滞在しているため、リアムはずっと側近騎士らしい慇懃な態度を崩さなかったのだ。それが落ち着かなかったキリエは、無意識に声を弾ませた。


「確かに疲れていましたが、君が来てくれたので元気になりました」

「世辞を言っても何も出ないぞ。……まぁ、飲み物くらいはあげられるが。隣、いいか?」

「はい、勿論です」


 キリエの隣に腰を下ろしたリアムは、ゴブレットをひとつ手渡してくる。


「熱いから、気をつけろよ」

「はい。……あっ、これって、」

「覚えていてくれたのか? 振る舞うのは一年ぶりだな」

「忘れるはずがありません。嬉しくて幸せな思い出の飲み物ですから」


 杯を満たしているのは、濃いめに淹れた茶を温かなミルクで割り、蜂蜜と香辛料を少量混ぜたもの。──一年前、王都に到着したばかりの日の夜、寝つけないキリエのためにとリアムが作ってくれた飲み物だ。


「それを飲み終わるまででいいから、少し話してもいいか?」

「はい。僕はゆっくり夜更かしでも構わないくらいですから、君の時間が許す限り、おはなしさせてください」


 懐かしい味に目を細めているキリエの頭を撫でてから、リアムも自分のゴブレットに口をつける。そうして一呼吸おいてから、夜霧の騎士は静かに問いかけた。


「……この一年を、後悔していないか?」


 それはまるで宵闇を撫でる風のような、どこまでも静かで優しく、わずかに淋しさと切なさを孕んだ声音だった。


「キリエの本質は何も変わっていないと思うし、お前らしい素朴さと優しさが損なわれていないことは非常に喜ばしいと感じている。……だが、お前が描いていた目標と現在には多少なりとも差異があるはずだ。それに後悔や躊躇を抱いていないだろうかと、ずっと心配だった」


 リアムは、危険性が無い限りはキリエの意志を尊重かつ優先してくれる。迷いつつも己の往く道を決めてきたキリエの姿を見守りながら、彼は彼なりに色々と思い悩んできたのだろう。しかし、年末の決戦を見据えた慌ただしい日々の中、立ち止まらせるわけにもいかず、ただただ傍にいてくれたのだ。今宵は一年という節目の時であるため、少しくらいは足を止めて思考を交わし合うのもよいだろうとリアムは考えたのかもしれない。


 キリエの顔を覗き込んでくる藍紫の眼差しは、それこそ一年経っても変わらない。きっと、この先何年の時を重ねても、この瞳がもつやわらかな温度は同じなのだろう。


「自分の立ち位置について戸惑い、悩むことはありました」


 リアムをまっすぐに見つめ返し、キリエは素直に答えた。


「僕のしたかったこと、すべきこと。かつて過ごした場所で交わした約束と、今暮らしている此処で注がれている期待。それらの狭間で躊躇いをおぼえていたのは事実です。……でも、それこそ、さっきセシルとも話していたのですが、今はカインの襲撃を退けて皆を守るのが最優先事項です。来たる非常事態を乗り越えた先で、ウィスタリア王国内で弱い立場に苦しむ人々に再び手を差し伸べればいいのだと、……僕の立場と活動に関しては、そう納得しています」

「……他にも懸念事項があるのか?」


 しっかりと耳を傾けていたリアムは、些細な引っ掛かりでも聞き逃さないし、流させない。言葉ではそれ以上の追及は無いが、優しい夜の色をした瞳は先を話してくれと雄弁に訴えかけてきている。


「僕の、……僕の一番大きな後悔は、君のことです」

「──俺、の?」

「違います、そうじゃないです」


 己が言わんとすることとは全く違う内容を予想して青ざめるリアムに対し、キリエは強く首を振って否定した。


「そうではなくて、……僕は、君の人生を大きく狂わせてしまいました。君は絶対に僕のことを否定しないし、魂結(たまむす)びのことも許してくれましたが、……だからこそ僕は悔しいし、自分のことが許せない。でも、だからといって、あのときの決断が間違っていたとも思えず、……行き場のない後悔だけが消えないのです。ずっと。……ずっと、ずっと」


 苦しげに吐露するキリエの横顔をじっと見つめたリアムは、銀盆を寝台横の小机へ置き、キリエからゴブレットを受け取り、二人分のそれを並べて載せた。まだどちらもたっぷりと中身が入ったままだが、ひとまず脇へ置いて真剣に話したいという彼の密かな意思表示なのだろうか。リアムは両手でキリエの手を握り、切々と言った。


「聞いてくれ、キリエ。お前がいてくれなければ、俺はとっくに死んでいた」

「それは……、確かに、魂結びをしなければ、君はあのまま……」

「そうじゃない。俺は、騎士として命を投げ打つ覚悟が出来ていた。死ぬのが怖くなかった。いつ死んでも構わなかった。──裏を返せば、それは『生』に執着が無いということ。……俺は別に、生きていたくなかったんだ」


 生きていたくなかった。──そう告げるリアムの言葉を聞いたキリエの顔は、みるみる蒼白くなっていった。

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