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夜霧の騎士と聖なる銀月  作者: 羽鳥くらら
第2章
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【2-7】不穏な何か

「まったく。はしたないですわよ、ジャスミン。男を見るなりすぐに誘惑するのはおやめなさい。ましてや、今のキリエはそんなに小汚い格好だというのに。ドレスが汚れてしまいますわよ」


 呆れた口調で棘のある言葉を投げつけてくるマデリンに対し、ジャスミンはキリエの首に腕を回したまま振り返る。


「誘惑なんてしていないわ。それに、キリエは汚くなんてない。わたしの天使なの」

「天使だか妖精人(エルフ)だか知りませんけれど、そうやって男心を弄ばれてしまっては、キリエだってライアンの二の舞に、」

「いい加減にしないか、マデリン!」


 それまでずっと沈黙していたライアンが突然、怒りに満ちた声で吐き捨てた。今まで冷静沈着で静かな語り口だった黒髪の王子の態度が急変し、キリエは驚いて目を瞬かせる。怒鳴られたマデリンは一瞬怯んでいたが、すぐに負けじと牙を剥いた。


「何ですの!? 自分にやましいことがあるからといって、急に声を荒げないでくださる!? 貴方がジャスミンに、」

「はいはいはいはい、そこまでなのだよ!」


 そこで手を打ち鳴らしながら間に割って入ったのは、ジェイデンだった。マデリンがハッとしたように口を噤み、場が静まると、金髪の王子は溜息をつきながら足を組む。


「マデリン、この世には口に出すべきではない事実というものがあるのだよ。ましてや、当事者が揃っている場で晒すようなことではないだろうに」

「……何よ。事実は事実ですわ」


 憎まれ口を叩きながらも、マデリンはジャスミンに対して申し訳なさそうな瞳を向けた。マデリンがこの場で初めて見せたしおらしい表情に、彼女はただ単に暴君気質というわけでもないのだろうとキリエは感じる。

 それにしても、この兄弟たちの間には何があるのだろうか。確執とも言いがたいが、単に仲が良いとも思えない何かがある。


「重要な話はもう終わったのだったな。ならば、私はもう失礼させてもらおう」


 冷えた空気を切り裂くようにキッパリと言い放ったライアンが立ち上がり、誰かの返事を待つことなく、さっさと歩き去ってしまう。彼の側近と思われる茶髪の騎士が皆に一礼してから、慌てて後を追いかけた。入口で待機していた騎士たちも、焦りが出ている動作で急いで扉を開く。

 すると、マデリンもすっと立ち上がり、ランドルフ=ランドルフと思われる側近へ目配せしてから歩き出した。


「気分が悪くなってまいりましたので、ワタクシも失礼いたしますわ。まったく、今日は最悪の日!」


 通りすがりにキリエを睨みつけてから、マデリンは足早に退室していく。ランドルフと思われる男も、キリエとリアムを一瞥して主の後を追っていった。


「やれやれ。まったく、元姉上も元兄上も身勝手で困ってしまうのだよ。なぁ、コンラッド?」

「……それに関しましては、発言を控えさせていただきたく」


 ジェイデンに話を振られたコンラッドは無難に明言を避けたが、否定しないということは肯定したも同然だ。大げさに肩をすくめたジェイデンは立ち上がり、キリエの傍へ寄ってくる。そのすぐ後に、王子よりも白みがかった金髪の騎士がついて来ていた。おそらく、この美丈夫が暁の騎士なのだろう。


「ジャスミン、そろそろキリエを解放してあげた方がいい。彼は長旅を終えたばかりで、疲れているのだから」

「あ、そうね。ごめんなさい、キリエ。嬉しくて、ついはしゃいでしまったの」

「いえ、大丈夫ですよ。出会えたことを喜んでいただけるだなんて、僕としても嬉しいです」


 ジェイデンに窘められたジャスミンは、素直にキリエから退いた。柔らかく温かな感触が遠ざかり、キリエは体の力を抜いて息をつきながらも微笑を浮かべる。とはいえ、疲労感は隠せていない。

 そんなキリエを観察したジェイデンは、にこやかに笑いながらこう言った。


「僕だって喜んでいるのだよ、キリエ。男兄弟がライアンだけというのは息が詰まるからな、キリエのような兄弟が増えて嬉しい。僕としては、君とゆっくり気心知れた話をしてみたいのだが……、まぁ、それはまたの機会に。──コンラッド。茶の手配をしてあげてくれ。僕たちはもう退室するから、キリエを少し休ませてやるといい。可哀想に、顔色があまり良くないようだ」

「はい、かしこまりました。ただいま、用意いたします」


 ジェイデンの言葉を受け、コンラッドは一礼してからすぐに使用人を呼び寄せて、指示をしている。豪胆で風変わりな人物なのかと思えば、細やかな気遣いも見せるジェイデンという王子は、なるほど、リアムが言うように「よく分からない」人物であった。


「キリエ。退室前に僕の相棒を紹介させてくれ。こちらは、マクシミリアン=オールブライト。暁の騎士と呼ばれている気障な男だ」


 ジェイデンからの紹介を受け、マクシミリアンはキリエの前に膝をつき、更には手を取って軽く握ってくる。触れられると思っていなかったキリエは驚いて肩を震わせ、リアムはマクシミリアンを軽く睨み付けた。それでもお構いなしに、マクシミリアンは爽やかな声で語り始める。


「お初にお目にかかります、美しい銀の君。私は、暁の騎士の称号をいただいておりますマクシミリアン=オールブライトと申しまして、ジェイデン様のお傍に置いていただいております。嗚呼、聖なる銀の君・キリエ=フォン=ウィスタリア様。まるで聖夜に浮かぶ銀月のように清廉な瞳に私の姿を映していただくなど、恐悦至極でございます。嗚呼、驚かれている無垢な眼差しもたいそう愛らしく、」

「あ、あの……」

「マクシミリアン、やめろ。キリエ様が嫌がっている」


 リアムがキリエの手からマクシミリアンを引き剥がしてくれたが、そんな扱いをされても暁の騎士は爽やかな笑顔を浮かべ続けていた。今までに出会ったことがない類の人間で、キリエは内心で狼狽える。そのやり取りを見ていたジェイデンは、うんざりしたように息をついた。


「すまないな、キリエ。マックスは、男女を問わず、自分が美しい可愛い素晴らしい尊いなどと思った対象を口説く癖がある。大して意味はないのだよ」

「……男女を問わず?」

「ああ。性別も年齢も関係ない。マックスが気に入れば、全てがこいつの性癖を披露する対象になる」


 酷い言われようだが、当のマクシミリアンは輝く笑顔で頷いているし、リアムもその通りだと言わんばかりに頷いている。加えて、ジャスミンもこくこくと頷いた。


「わたしも顔を合わせる度に口説かれるわ」

「僕なんて、朝から晩まで隙あらば口説かれているのだよ」


 王子と王女が苦笑して顔を見合わせていても、マクシミリアンはますます嬉しそうに爽やかな笑顔を輝かせる。


「ジェイデン様のことも、ジャスミン様のことも、心からお慕いしておりますので。そして、本日からキリエ様のこともお慕い申し上げることにしましたので、全力で称えさせていただく所存です」

「マクシミリアン、余計なことはしなくていい。キリエ様が怯えていらっしゃるから、やめてくれ」

「なんだい、リアム。安心してくれ。私は君のことだって称えるつもりだよ。でもね、やはりご身分の高い方から優先的に称えていかねばならないだろう?」

「誰もそんな話はしていないのだが!?」


 話が噛み合わないことにリアムが苛立ちを見せても、マクシミリアンはなんのそのだ。剣の腕も強いのだろうが、精神力もだいぶ鍛えられていると思われる。

 呆然としているキリエの袖を引き、今度はジャスミンが、いつの間にか傍まで寄ってきていた褐色肌の騎士を指し示してきた。


「キリエ。わたしの騎士も紹介するわ。ダリオっていうの。ダリオ=アクロイド。あのね、ダリオはお顔が怖いし、言葉が話せないからずっと黙っているんだけど、とても優しいのよ」


 ダリオは、確かに強面で唇も真一文字に引き結んでおり、兄弟の側近たちのなかではずば抜けて屈強な体躯の男だ。しかし、瞳の奥は穏やかで、キリエに対して丁寧に頭を下げてくれる。


「初めまして、キリエです。よろしくお願いします、ダリオさ……、いえ、ダリオ」


 敬称を付けては叱られてしまいそうだと思ったキリエが言い直すと、ダリオは再び一礼する。そこへ、マクシミリアンの明るい声が割って入ってきた。


「キリエ様、私のこともどうぞお見知りおきください。マックス、と呼んでいただけると嬉しいです」

「あ、は、はい。よろしくお願いします、マックス」

「嗚呼、キリエ様! まるで竪琴の音色のように清らかな御声で私の名を呼んでくださるなど、恐悦至極!」

「いい加減にしろ、マクシミリアン!」

「いい加減にしないか、マックス!」


 リアムとジェイデンの叱責の声が重なって響いても、マクシミリアンの笑顔が崩れることはなかった。

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