【1-17】意地と誇り
「トーマスさんを放してください──!」
銀髪の青年がそう叫ぶなり、凄まじい突風が吹きすさぶ。リアムはキリエを抱えながらも踏み止まっていたが、月夜の人形会の一部は膝を崩して転倒してしまっていた。
強風によって集められたかのごとく、一同の上にだけ暗雲が立ち込める。ほんの少し先では青空が広がっているため、異様な光景だ。
リアムは、片腕で抱え込んでいるキリエの様子を窺い、困惑して口を噤む。この二日間、キリエが悲しそうにしている顔や、少々拗ねたり呆れたりしている表情は見たことがあったが、このように怒りを露わにしているのを目の当たりにするのは初めてだ。それに加えて、普段は静かな月のように美しい瞳が、今は真紅に燃え輝いている。それをどう捉えていいのか、騎士はまだ判断できかねていた。
「キリエ、あなた、一体なんなのかねぇ……!?」
その場になんとか踏ん張って立ち、意地でもトーマスを掴んでいるものの、さすがの黒衣の女でも驚きは隠せなかったようだ。御者の首元に添えられている短剣も、持ち手が風に煽られて不安定なため妙に危なっかしい。
「トーマスさんを、放してもらえませんか」
「……お断りだねぇ」
強すぎる突風、不穏な暗雲、そしてキリエの赤い瞳。そんな不可思議な現象に動揺しつつも、黒集団の主導者は強気なままだ。その答えに、キリエの眼差しは更に鋭くなる。と同時に、黒衣の女の足元へ細い雷が落ちた。誰も怪我はしていないが、地面には焼け焦げたような跡が黒々と残っている。
ヒッと引き攣った声を上げた女のトーマスを捕らえている腕が緩み、隣にいた短剣を持っていた人物も思わず後ずさる。──その一瞬の隙を、夜霧の騎士は見逃さなかった。
キリエを片腕で抱きかかえたまま、リアムは短剣を持っている人物へ素早く駆け寄り、眉間を剣の柄で殴打して昏倒させる。そして、周囲がリアムへ意識を向けるより先に、黒衣の女の胴を蹴り退け、剣を握っている方の手で器用にトーマスを奪還し、再び距離を取った。神業と呼びたくなる一連の迅速な行動を起こしたリアムに対し、謎の突風は邪魔をすることなく、逆に彼の手助けをするように追い風を与えていたように思える。また、細い雷も追加で何発か落ちていた。
「クッ……、平民の命を惜しむかと思えば、女を容赦なく蹴っ飛ばすとは驚きだねぇ」
「トーマスは味方、貴様は敵。性別や身分の問題ではない。……まぁ、本来であれば、女性にあまり手荒な真似はしたくないんだが」
言い返しながら、リアムは腕に抱えている二人の状態を確認した。トーマスは気を失ってはいるものの呼吸はあるし、首の傷は浅く出血も少ない。キリエは相変わらず紅眼のまま無表情に近い顔でトーマスを眺めているが、外傷は無い。
「──さて、どうするかな」
敵方には聞こえない程度の声音で、騎士はぼそりと呟いた。腕に抱えている二人が無事なのは幸いだが、両腕がふさがった状態というのはまずい。周囲へ注意深く視線を走らせて牽制しながら、リアムは内心で焦りを感じていた。
膠着状態はあと何秒ほど許されるのだろうかとリアムが計算していると、キリエの手がトーマスの首元へ伸びる。細い指先が傷へ触れた瞬間、三人を加護するかのように、強い風が周りを囲う壁になった。そればかりか、跡は残ってはいるものの、トーマスの傷は塞がっている。
風の壁の向こう側では、何がどうなっているのかと騒ぎ立てる喚き声が響いているようだが、リアムもこの状況に思考が追い付かない。──よく分からないが、風や雷はキリエの紅眼と何らかの関係があるように思える。そして、この風の壁はおそらくキリエとトーマスを十分に護ってくれるだろうという直感もあった。
「……キリエ。トーマスを頼めるだろうか」
怒りを通り越して虚無状態になっているように見えるキリエは、相変わらず瞳を赤く輝かせて無言のままではあるが、しっかりと頷いて鞘を差し出してくる。リアムが鞘を受け取り、代わりにトーマスの身を預けると、華奢な身体で懸命に、自分より大きな老人を抱き支えようとした。下手をすると転んでしまうのではと心配になったが、彼を支えるような風が吹き、キリエはトーマスを抱えながら宙に浮いている状態になる。きっと大丈夫だろう。そう判断したリアムは、勢いよく風の壁を飛び出した。
「リアム=サリバン、推して参る!」
一応はキリエたちの様子を横目で捉えながらも、リアムは近くで唖然としていた一人の急所へ飛び蹴りを入れ、その勢いのまま、更に横にいた二人のうち片方を鞘で殴打し、もう一人の胸元を強く峰打ちした。
黒い集団の反応が遅れている中、真っ先に我に返ったらしい二人がそれぞれに長剣・短剣を振りかぶりながら向かってきたが、夜霧の騎士は各々の武器を的確に弾き飛ばしたうえで、順に鳩尾を蹴り上げて地に沈める。
「とりあえず、五人。あと二十人強か。──楽勝だな」
王国一の実力を持つ騎士は、不敵に笑いながら白手袋の指先で挑発してみせた。しかし、その誘いへ即座に乗ろうとする者はいない。目の前に立つ男がとんでもない戦闘能力の持ち主だと察し、たじろいでいた。盗賊集団はその活動内容から戦闘経験をそれなりに積んでいるが、だからこそ相手の力量が把握できるのだ。
「情けないねぇ! 怖気づくんじゃない!」
集団の頭である黒衣の女が背中に隠し持っていたと思われる双剣を抜き、真っ直ぐにリアムへと駆けてくる。彼女の姿に鼓舞されたのか、黒い集団は口々に男女様々な雄叫びを上げ、一斉にリアムへ襲い掛かってきた。
それでも、夜霧の騎士は余裕の表情だ。むしろ、彼らの注意がキリエやトーマスから完全に引き離されて良かったと安堵しているほどである。家名がどれだけ落ちぶれようと、自身が鍛え上げてきた剣の腕には自信があり、誇りを持っていた。リアムは藍紫の瞳を爛々と輝かせ、剣を握り直した。
黒衣の女のすばしこさは抜きんでていたが、手下たち一人ひとりの能力は大したものではなく、片っ端からリアムの脚や剣の柄で沈められてゆく。その合間を縫って黒衣の女が斬り込もうとし、その剣筋は称号無しの王国騎士と同等かそれ以上の腕前ではあったが、リアムに傷ひとつ付けることが出来ない。気づけば、月夜の人形会の中で立っているのは黒衣の女だけになっていた。
「まったく、頭がおかしい強さだねぇ」
「あとはもう、貴様ひとりになってしまったな。ちなみに、俺は双剣使いとやり合うのは慣れている。ここでおとなしく見送ってくれるなら、今回は見逃してやらんこともない」
「冗談も大概にしてほしいねぇ。エモノが何だって、騎士様はお手の物だろうに。だけどねぇ、こっちもここで引くわけにはいかないねぇ。なけなしの誇りってもんがあるからねぇ!」
双剣を持つ女が飛び上がり、翻る黒衣の間から包帯を何重にも巻き付けた手足が覗く。しかし、リアムはそれに気を取られることなく、相手の武器を己の剣と鞘で受け止めた。女にしては重みのある斬撃だが、その程度で怯むようなリアムではない。白い騎士服をはためかせた彼は、長い脚で女を蹴りつけた。それでも女は、倒れずに踏み止まろうとする。だが、リアムは凌いでいる双剣ごと彼女を押し、体勢を崩れさせた。
「クッ……!」
「けっこう健闘した方なんじゃないか? だが、ここまでだな」
「なにを、っ、……ぅ」
転ぶまいと足を踏ん張ろうとしていた黒衣の女の首へ、剣を鞘に収めた騎士が手刀を落とす。──勝負はついた。
気絶した黒衣の女が地へ倒れると同時に、後方に感じていた風圧が消え、リアムは瞬時に振り返る。すると、風の壁は消え、トーマスと重なるようにしてキリエが倒れていた。
「っ、キリエ……!」
顔面蒼白になったリアムはすぐに駆け寄り、気を失っているキリエを抱き起こした。




