【2-121】ジャスミンの反撃
「──ライアン。君は、不正徴収をそのまま見逃しておくべきだと言うのか?」
静寂を打ち破ったのは、ジェイデンだった。彼の金眼から注がれる冷ややかな視線にも臆することなく、ライアンは静かに語り始める。
「不正徴収があっても、結局は何年もそれが見過ごされてきて、表向きは国に大きな動きも問題も生まれていなかったわけだろう。つまり、わざわざ事を荒立てる必要はない。今のままでいいはずだ。よって、該当地域の領主へは軽く釘を刺しておく程度でいいだろう」
「不正徴収のせいで貧困に喘いでいる王国民を見捨てるということか?」
ジェイデンの声音は落ち着いてはいるものの、怒りを孕んでいるためか微かに震えていた。そんな兄弟を、ライアンは鼻で嗤う。
「貧民の存在が本当に問題であるのなら、何故その訴えが王都まで届いていないのだ? 悪質な領主のせいで貧民が出ているとしても、普通に暮らしている平民もいるわけで、その中には富裕層も存在しているのだろう? 彼らだって、貧民を見捨てているわけだ。貧民に声を上げる力が無かったとしても、周囲の人間は何をしている? 本当に貧民も必要な国民だというのなら、誰かが助けようとするはずだ。だが、誰もいないではないか」
「それは違います!」
咄嗟の衝動に従って否定の言葉を口走ったキリエは、その勢いのまま起立していた。注目を集めてしまい一瞬たじろいだものの、キリエは立ったままライアンをまっすぐに見つめる。
「確かに、貧しい人々は一般王国民からも軽視されがちです。苦しんでいる姿を見て見ぬ振りをする人も、馬鹿にしたり苛めたりしてくる人も少なくありません。それは認めます。でも、手を差し伸べようとしてくれる人だっているのです。実際に、慈善活動をしている貴族の方だっていらっしゃるでしょう? 貧しい状況を王都へ伝えようとしてくださる方々だっていました。救いの手を差し伸べる人が、誰もいないわけではありません」
「だが、限りなく少ないのではないか? 国を動かすだけの大きな声は上がらない。見捨てられているも同然だろう」
「それは……、でも、見捨てられているわけでは……」
ライアンが指摘していることは、あながち間違いではない。貧民を助けようと動いてくれている人たちは、貴族も含めてあまり権力が無い立場の人間ばかりだ。国を動かせるだけの力が無いという指摘は、悔しいが事実ではある。
どう反論するべきか分からなくなり、キリエの脚から力が抜けかけた、そのとき。今度はジャスミンが勢いよく立ち上がった。
「声が上がっていないわけではないわ。届いていないだけよ。……先日、慈善活動のために行った孤児院で、偶然だけど霧雨の騎士・レオンに会ったの。彼は随分と長い間、各地方で慈善活動をしていて、王都から離れれば離れるほど人々の困窮具合が酷いという旨を何度も報告書を作って提出しているんですって。だけれども、結局は何も改善されていなくて悲しい、と語っていたわ。わたしも胸が痛んだから、その報告書をまとめてコンラッドに見せようと思ったの。……でも、無かったわ。王国騎士団の管理下にも、王家の書類保管庫にも、どこにも無かった。レオンが嘘をついているとは思えない。彼はとても誠実な騎士よ。……地方の不自然なまでの貧困を知られたら都合の悪い誰かが、コンラッドの目に触れる前に報告書を処分していたとしか思えないわ」
ジャスミンの発言を受け、さざ波のようなざわめきが大広間内を満たしてゆく。コンラッドが片手を上げて制すると、再び静まり返った。
「レオンの報告書だけではないわ。さすがに保管されている過去の書類すべてを確認できたわけではないけれど、国民の貧困を訴える書類は殆ど無いの。それこそ、不正徴収に勘付けるようなものは何ひとつ無いわ。──それとも、コンラッドが確認したあとに処分してしまったのかしら?」
姫君から矛先を向けられた宰相は、緊張した面持ちながらも必死に首を振る。
「いいえ、とんでもございません! 地方の貧困が深刻であるという報告を複数受けていたならば、私めも該当地域へ注意の目を向けていたかと存じます。重ね重ねではございますが、神に誓って、そのような書類を手に取った事実は無いと明言いたします」
「そうでしょうね。わたしも、そうだと思っているわ。──そうなると、王城内に裏切者が蔓延っていることになる。重大な問題よ。……ライアン。それでもあなたは不正をしている貴族の味方をするというの?」
真剣な菫色の瞳が、ライアンをまっすぐに射抜いた。それをじっと見返しつつ、黒髪の王子は冷徹に答える。
「王城内にいる誰かが貧民関連の報告書を処分していたとしても、ウィスタリア王国に大きな影響を齎しているわけではない。この国の経済を動かしているのは富裕層だ。陰で何がしか妙な動きをしている貴族がいたとしても、王家に楯突くわけでもなく、上流貴族の生活に害があるわけでもなく、国自体が安泰であるのなら、あえて闇の中へ松明を差し入れる必要は無いだろう。そのまま暗闇を無視して歩んでいくことで辿り着く平和もある。──私は、そう考えている」
ライアンの言葉を聞いたジャスミンは落胆の色を隠そうとせず、それどころか非難の眼差しを彼へと向けた。
「……そう。ガッカリだわ、ライアン。あなたがそんなに考えの浅い人だとは思わなかった。……いいえ、思いたくなかったわ」
ライアンは、ジャスミンの態度の変化に若干たじろいでいる。淡々としていながらも自身の考えに自信を抱いていたと思われる彼の眼鏡の奥の瞳には、狼狽が滲んでいた。
その薄青の瞳を真摯に射抜き、ジャスミンは堂々と明言する。
「わたしは、あなたにだけはこの国を導いてほしくない。──ジャスミン=フォン=ウィスタリアは、ここに宣言するわ。わたしに集まった票は、全てキリエへ譲渡する。その結果、キリエからジェイデンへ票が渡っても構わない。今までわたしを支援してくれていた人たちの中で、それに賛同できないという方がいるのなら、離れてもらって結構よ」
水色の王女の凛々しい宣告を聞き、ライアンは顔中に絶望を滲ませ、ジェイデンは愉快そうに口元に笑みを刻み、キリエは理解が追い付かず隣のリアムを見上げた。
いつもキリエを落ち着かせてくれる藍紫の瞳にも、流石に強い困惑と混乱が浮かんでいるのだった。




