【2-87】地下牢の王女
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王城の地下は温度が低い一方で湿度が高く、薄暗い。先程までコンラッドと談話していた茶話室とはまるで真逆の環境である。
石畳を進んでゆく靴音がやけに響いて聞こえ、不気味な空間だ。
「キリエ様、お寒いですか? 何か防寒具を持って来させましょうか」
キリエの顔色がやや青くなってきたのを見て、リアムが気遣ってくる。しかし、キリエは首を振った。
「お気遣い、ありがとうございます。でも、大丈夫です。寒いというより、ちょっと怖い場所に感じてしまって」
「怖い……、ですか?」
「はい、その……、暗くてジメジメした場所って、オバケみたいなものが出てきそうじゃないですか」
一応は十八歳になり新成人という括りになったにも関わらず子どものようなことを言うのは気恥ずかしいが、側近を安心させるためにキリエは素直に打ち明ける。
リアムは微笑ましそうに小さな笑い声を上げ、表情を和らげた。
「それがこの世のものであろうとも、この世のものではなくとも、貴方に害をもたらそうとする全てからお守りいたします。御安心ください、キリエ様」
「ふふっ、ありがとうございます」
二人の雰囲気は穏やかなものだが、彼らが足を踏み入れた地下牢区域の空気は地下層の中でも特に冷え切っている。
牢番を務めていると思われる二人の王国騎士がキリエとリアムの来訪に気づき、椅子から立ち上がって一礼と敬礼で出迎えてくれた。
「キリエ王子殿下、お疲れ様でございます」
「ありがとうございます。お二人も、お勤めご苦労様です」
「はっ! 勿体ない御言葉を賜り、光栄に存じます」
牢番の騎士たちは、どちらもキリエと年齢が変わらないと思われ、若く初々しい。緊張感からの高揚か、彼らの頬はやや紅く染まっていた。
「現在、地下牢にマデリン様以外の罪人はいるか?」
「いいえ、現時点では此処に収監されているのはマデリン様のみでございます」
「そうか。それは良かった。罪人によっては、キリエ様の視界に入れるわけにはいかない者もいるからな」
リアムの言葉に、牢番たちも深く頷いている。そこまで言われるほどの罪人とはどういう類の人間なのか少々興味があったキリエだが、あえて尋ねることはしなかった。
「では、マデリン様の元へ案内してくれるか?」
「はっ! 承知いたしました。こちらでございます。キリエ様、御足元にご注意ください」
マデリンが王女であるために起こり得る何かを警戒してのことなのか、はたまた偶然なのか、彼女が入っている牢は最奥にあった。
「マデリン様。キリエ様が御面会にいらっしゃいました」
「はぁ? ……なんでキリエが来るのよ」
相変わらずふてぶてしい口調ではあるが、牢番の言葉を聞いたマデリンは素直に鉄柵の傍へ寄って来る。木製の古い椅子を引き寄せて腰掛けた彼女は、疲れた顔をしていた。いつも綺麗に巻いていた茶髪も、今はまっすぐ下ろしたままになっている。
牢番騎士の一人が椅子を持って来てくれたので、キリエはそれへ座った。その真横に、リアムが立つ。牢番たちは気を遣ったのか、会話が聞こえない程度まで距離を取って離れて行った。
「マデリン、こんにちは。ここは寒いですね。身体は大丈夫ですか?」
穏やかに語り掛けるキリエに対し、マデリンは片眉を上げる。
「……アンタ、相変わらず苛々するほどお人好しね。別に平気よ。罪人とはいえ王女だからか、防寒具はそれなりに与えられてるわ。……何よ、そんなにジッと見て」
「いえ……、今日は髪がクルクルしていないんだなぁと思っただけです」
「はぁ? こんな牢の中で髪が巻けるとでも思う? っていうか、もう、どうでもいいわ。どうせ誰に会うこともないし、見栄を張る必要もないし。ワタシ、元々あの髪型は好きじゃなかったのよ。王女らしく華やかに見えるようにしなさいってお母様に言われていたから、そうしてただけ」
あっけらかんと語るマデリンは、これまでの彼女と比べて随分と雑な印象だが、とても自然体だ。気の強さは変わらないが、雰囲気はだいぶ違う。
「僕は、髪を巻いていない今のマデリンのほうが可愛いと思いますよ」
「はぁ!? アンタ、お人好し通り過ぎて馬鹿なんじゃないの!? 自分に死ねって言ってきた相手に対して可愛いとか言う馬鹿、アンタくらいのものよ!」
マデリンは真っ赤な顔で噛みつくように言い、足で石畳を踏み鳴らす。その悪態に対しリアムはだいぶ苛立っているようだが、何も言わずに様子を見守っていた。
「大体、こんなところに来てる場合じゃないんじゃないの? 中間討論会はもう三日後でしょ。さっさと帰って、綺麗事を並べ立てる準備でもしなさいよ」
「討論会の準備は、ジェイデンと一緒に大体は終わらせましたので。それに、マデリンが遠くへ行ってしまう前に話をしておきたくて」
「……馬鹿じゃないの。ワタシにわざわざ会いに来たのなんて、ランドルフとコンラッドを除けばアンタだけよ」
──つまり、ヘンリエッタは訪れていないのだろう。マデリンは明日、幽閉されるために王都を出発するというのに、母は顔を見にすら来ていないのだ。
傷ついた表情を浮かべるキリエを見て、マデリンは鼻で笑う。
「いいのよ。分かりきっていたことだわ。ワタシに、母親はいない。そう考えることにしたの。……そうしたらね、なんだかスッキリしたのよ。おかしいでしょ? これから幽閉されるっていうのに、なんだか自由になったような気分になってきたのよ。キリエはお人好しの馬鹿だけど、ワタシは人でなしの馬鹿だわ」
そう語るマデリンの顔は晴れやかで、声音は清々しさに溢れていた。




