【2-85】飴と鞭
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「王子たちはお休みになったようだな。先にキリエ様が就寝されて、今はジェイデン様も寝息を立て始めていらっしゃる」
隣室のキリエたちの気配を様子見していたリアムが言うと、小さなテーブルの向かいに座っていたマクシミリアンは苦笑した。
「相変わらず、君の観察眼は素晴らしいね。本当は魔法使いか何かなのではないかと疑いたくなる。あるいは、実は神様からの御使いで、神力をお借りした奇跡の御業を披露している……とか」
「よしてくれ。俺は昔から剣の腕を鍛えることしか頭に無い、つまらない男だ。よく知っているだろう?」
「知らないな。私が知るリアム=サリバンは、剣の腕が素晴らしいのは当然のことだけれど、読書をして静かに過ごすのを好んでいるし、その一方で乗馬も得意で好んでいるし、鍵盤楽器の演奏も上手だ。そして、甘いお菓子が大好き。私が昔からよく知っている親友は、そんな男だよ」
上機嫌に輝かしい笑顔でそう言ってのけるマクシミリアンを睨みつけ、リアムは深く溜息をつく。
「お前のそういうところ、本当に嫌だ」
「おやおや、そんなに怖い顔をしないでほしいな。私はただ、大好きな親友の特徴を並べただけじゃないか」
「やめてくれ。気持ち悪い」
悪態をつきながらも、リアムは葡萄酒を注いだ洋杯を親友の前に置いた。そして、己の分の酒も満たして手に取る。それを見計らったかのように洋杯を手に取ったマクシミリアンは、どこか嬉しそうな微笑で掲げた。
「遠慮の無い物言いが出来るようになるまで復活した親友に、乾杯!」
「なんだそれ。……乾杯」
二人はそれぞれ目線の高さまで酒器を掲げてから、一口だけ酒を飲む。どちらも酒の味は好んでいるものの、大酒飲みというわけではない。ましてや、側近として、たとえ就寝前の深夜であろうとも酔った状態は避けたいと思っている。時間をかけて、少量を舐めるように味わいたいという感覚は共通していた。
「キリエ様は、たいそう可愛らしい御方だね。とても素直で、純粋で、まっすぐな御方だ。君が頬を緩めながら成長を見守りたくなる気持ちは、よく分かる」
「……何が言いたい?」
「他意は無いよ。あの純真さを維持したままの大人になっていただきたいし、そのために君が傍にいるのは最適だと思っている。私も、ジェイデン様もね」
ジェイデンの名が出てきたところで、リアムはわずかに表情を曇らせる。胸に湧き上がった懸念を、リアムはそのままマクシミリアンへぶつけた。
「なぁ、ひとつ訊いてもいいか?」
「どうぞ、何なりと」
「嫌な尋ね方かもしれないが……、ジェイデン様は、キリエ様を傀儡にしようとされているのか?」
直球な質問に対し、マクシミリアンが怒りや嫌悪感を見せることは無かった。しかし、彼はどこか困ったように苦笑する。
「うーん……、やっぱりあの迫り方はキリエ様に威圧感を与えてしまったかな。後でまたご注意差し上げなくては。──ああ、ごめんね。話が逸れた。結論から言うと、ジェイデン様にそんなつもりは無いよ。ただ、傀儡ではなく象徴にはなっていただきたいようだけれどね」
「象徴?」
マクシミリアンは洋杯に口をつけ、酒を少し飲んでから頷き、リアムの問い掛けへ答えた。
「ジェイデン様はとても賢く、様々な視点から物事を捉える御方だ。キリエ様の御話を聞いて、今までは実感が湧いていなかった貧困層の存在を強く意識されて、このままではウィスタリア王国は先細りする一方だと考えられた。そして、もし御自身が即位された際には、立場が弱い国民たちにとっての希望の象徴としてキリエ様の存在を推したいと思われたんだ。けれど、だからといってキリエ様を支配して言うことを聞かせたいというわけではないんだよ。そこは誤解をしないであげてほしい。あの御方はただ、役割分担をしたいだけなんだ」
「……役割分担、というと?」
「飴と鞭」
マクシミリアンは、含みのある笑みを浮かべる。
「キリエ様は、とても清らかで優しい空気を纏っていらっしゃるし、実際に御本人も正義感が強くまっすぐであられる。良い意味でも悪い意味でも、純粋そのものという御方だね」
「馬鹿にしているのか? たとえお前でも、あの御方への侮辱は許さんぞ」
リアムの視線が冷えていくのを見て、マクシミリアンは慌てたように両手を振った。
「違う、違う! 私は、キリエ様のことが大好きだ! 御顔を見る度に称えたくなるような御方を、蔑むはずがないじゃないか。……ただ、昨日のような一件もある。あの純粋さは眩しいほどに美しいけれど、同時に短所と成り得る場合があるのは事実だろう?」
「……まぁ、それはそうだな」
納得したリアムは表情を和らげ、洋杯に口をつける。マクシミリアンはほっとしたように苦笑し、先を続けた。
「とにかく、キリエ様は『飴』に向いた御方なんだ。国民に希望と安心感を与えるための、柔らかな象徴に相応しい。──でも、飴だけで統治することは難しい。だから、ジェイデン様は御自身が『鞭』になろうとしていらっしゃるんだ」
リアムは洋杯をテーブルに置き、口元を手で覆うようにして小さく唸る。
「うーん……、ジェイデン様が『鞭』に向いた御方だとも思えないんだが。今まであまり接点が無かったから、何をお考えになっているのかよく分からない御方だとは思っていたが、だからといって冷たい人だと感じたことも無い。むしろ、ここ最近では、温かみのある優しい御方だと思っているほどだ」
「うん、まぁ……、確かに。身内にはどこまでも御心を砕ける御方だよ。でも、見切りをつけられるのも早い。どんなに自分に近しい存在でも、いざとなればあっさり切り捨てられる。ジェイデン様も、私もね」
マクシミリアンの言葉を受け、リアムは複雑な面持ちになった。容易に肯定したくはないが、否定しきれないのも確かだからだ。
特に、マクシミリアンに関しては、リアムは旧知の仲であり、よく知っている。温和で明るい性格の裏に、冷血で腹黒い一面があることも熟知していた。
「キリエ様はもちろん、リアムだって『飴』に近い人間だ。だから、私たちは『鞭』になる。ちょうどいい役割分担だ、とジェイデン様は考えていらっしゃるんだ。──けれど、それはジェイデン様が即位できればの話だ。まずは、ライアン様へ政権が渡らないように戦わなければならない」
「そうだな。まずは目前の討論会に集中するべきだ。──キリエ様が即位を望まれていない以上、俺としてもジェイデン様に即位していただくのが最良だと思っている。表立って頑張らなければならないのは王子たちだが、俺たちも陰ながら御二人を支えていこう」
「うん、そうだね。よろしく頼むよ、リアム」
「こちらこそ」
側近騎士たちは握手を交わし、改めて乾杯するのだった。




