マニアには 垂涎の話がやってきた。
幸運とも言える話。
私なら興奮し、夜も眠れない。
すみません。高い評価をいただき、色々と予定外なので、ありがたいですが。
題名が似ている作品があるので、タイトルを少し変えました。
我が家に木下藤吉郎様がいらっしゃった。
父と話した後に私のところに来て、用件をお伝えに来てくださいました。
竹中様のところに私と前田慶次様と木下様、そして木下様の弟の小一郎様の4名で会いに行きます。会いに行くのは一ヶ月半後だと伝えに来てくれたようです。
この話を聞き、心が爆発寸前です。
木下小一郎長秀(一般には秀長で有名だが、羽柴の氏に変わった頃に変名した名だ。現在の木下藤吉郎の数少ない部下だ。)
前田慶次(前田氏だが、実父は滝川氏の益重だ。父前田利久は養父だ。そして本名は前田利益なのだ。慶次は呼び名と言われる。自身が名乗った名であるとも言われているのだ。)
この2人も戦国時代マニア垂涎の武将。
慶次殿は兼続様との関係と傾奇者が有名です。
小一郎様は豊臣秀吉を木下時代から、羽柴、豊臣と支える。小一郎殿がもっと長生きすれば、徳川幕府はできていないでしょう。
そして会いに行くのは竹中半兵衛様。
おー。
もうどうでもよくなりそう。
いやダメだ。
決めたのだ。父も兄も弟も守ると。
そして、木下様が帰った後に父より、
「津島の南の入り江に南蛮船が来ているのは知っているな?」
と聞かれた。
「そこに見聞に行く、明後日の朝より用意すること」
そう告げられた。
うそでしょ?
いいの。
南蛮船!!
見たい。当時の南蛮船が見れるんだ。
何と今日は良い日だ。
さらに、叔父上がいらっしゃった。
「勝三、再来月に京に戻るために尾張より出立するが、若者を勉学のために、京へと連れて行くことになった。そこでお主を連れて行く。準備をしておくように。」
今度は京都です。
勉強の為の京都です。
修学旅行でしょうか。
「さらに、堺と国友にも寄れれば行く。そのつもりでいろ。」
Sakai Kunitomo
ですって、奥さん、国友さんですって。
あの超有名メーカーの国友筒さんよ。
あの大きな大都市堺もよ。
ここに来て、前世のノリをしましたよ。心の中で。
そりゃ喜びます。
偉人に会え、
南蛮船を見、
京都から堺と国友で銃を見放題。
できれば根来とうまく繋ぎを持ちたい。これで父と兄を!
いただいた感想により、6話を少し変更しました。この話もそれに合わせて少し変更しています。
どこか変なところがありましたら、感想いただければ。
時期の話
半兵衛さんが1カ月半、京が2カ月後出発と考えています。それで、1カ月半後に半兵衛のところ、2カ月後の来月末としたのですが、わかりにくいようなので、1ヶ月半後に半兵衛、再来月に京へと尾張より出立すると変えました。




