西日本の騒乱へ
第2信長包囲網の西國編が始まります。
徳川は逆に包囲網を敷かれた。
ここまでが一年かかった。
毛利、長曾我部は動けなかった。
理由は2つ。
1つは織田に逆らうものは朝敵であり、賊軍となること。
いくら、朝廷が終わっていると言え、これはマズイ。他国にも賊軍ならばと攻撃される可能性がある。
2つは村上水軍が織田に接収されたこと。
厳島に攻められ拠点を失った村上水軍はすぐに降伏した。
これにより、毛利、長曾我部は連携が取れずに、動けずにいた。
もちろん、毛利は秀吉様が調略を繰り返し、寝返りが増えていた。
たった一度、将軍の偽物の文に乗ったために毛利は窮地に陥った。
攻撃すれば、朝敵となる。かと言って。
今のままなら、調略によって国力を減らされる。そしていずれは潰される。
いやすぐに攻めて来てもおかしくない。
どうしたものか。
そう思っていたところ、安国寺恵瓊がいい話を持ってきた。
「隆元様」
「恵瓊か。どうした。」
「はあぁ、良い話が」
「なんだ。」小早川隆景が急かした。
安国寺恵瓊は毛利の外交官で話が長いのが面倒だった。しかしながら話を伸ばすことで相手の心を操り、上手くこちらの話を呑ませる外交のプロだ。このものの存在が、毛利がこの戦国の大海原を生き抜くための水先案内となった。
「はい小早川様。大友がこちらと同盟を受けました。」
「なに、大友が」
「はぁ、2年ほど前に、治部卿が大友宗麟様が親しくしていたキリスト教の宣教師を切りました。それを未だに根に持っておったようです。」
勝蔵が殺したガブラルである。
「そうか、治部卿めバカなことをしたな。有難い。」
「隆元様、これで戦を行える。」小早川が
「あぁ兄上、これで長曾我部と大友の合同で攻略だ。」吉川元春が言う。
「いいえ、島津もです。長曾我部は島津を味方にしたようです。大友と島津も同盟しました。」
「そうか、これで勝てるかもな。こっちに治部が掛り切りになれば、徳川が。徳川にかかりきりになればこっちが得する。」
「ええでも、武田も上杉も降ったようです。」
「何?一年でか?」
そう、まだ1年と立ってないが、武田と北条攻めは1年で、両家が降り終了した。
「その間徳川は何をしていた?」
「どうやら、三河で反乱があったようです。」
そうなのだ。一向宗の生き残りたちは三河にいた。彼らを反乱に動かしたのだ。勝蔵が少し嘘の流布を行い。
反乱の後、大阪に移りたい者は、勝蔵が手を貸し、助けた。ただし、信仰を捨てるならと条件をつけて。
これが、徳川が動かなかった理由だ。
服部はあまりお膝元には関心がなかった。
織田さえ潰せば勝てるし、天下を治められるという考えだった。
ゲーム感覚と勝蔵に言われるが所以だ。
戦に勝てば勝てる。
策略をめぐらせば勝てる。
Npc相手ならそうだろう。数値があればそうだろう。
人間はそんな簡単じゃない。
歴史に乗らぬ人ほど大切で、難しい相手なのだ。
大義や民衆の忠信も重要だ。しかもそれらは読めない。数値化などもってのほか。そんなものを蔑ろにするなどあり得ないのだ。現実は。
そこに気づかぬ服部らはぬるい。
勝蔵ならば、まず領地を得れば、周りを固め、中を徹底的に片づけ、固める。
そうしたからこそ、民による反乱にあったことが、織田家は勝蔵が武将になって以降、なかった。
宗教勢など、敵対したものを民として受け入れたにもかかわらず。
でも、謀反はあった。だが、久政だ。これは予定調和ですぐ片付いた。
勝家の方は上手くやられ、先手を取られたが、それでも何も揺るがず。
ここがあの2人との違いだ。
こうして、1575年の年が明けた数週間後に
秀吉軍・勝蔵軍vs毛利・長曾我部・大友・島津の連合軍の戦いが始まった。
戦が始まる前にすでに備前、美作、因幡、播磨は秀吉が攻め滅ぼして黒田孝高改め黒田官兵衛が秀吉軍に入っていた。その高い知略は秀吉軍を助けた。なお、荒木村重の乱はない。なぜなら、比叡山も本願寺も勝蔵が潰したのだ。信長はその誹りを受けていない。
勝蔵が宗教憎しで殺した。言うことを聞かないものは殺すと言うのは全て勝蔵だ。それが世間の考えだ。
他の大名もそう考えていたため、勝蔵に畏れをなすものが大半だった。だからこそ、秀吉と対峙していた毛利は恐怖に怯えていなかったし、勝蔵の軍と離れていた長曾我部は織田を無視して攻略を強めていた。
これが織田信長が恐がられていたら、長曾我部は土佐からでれなかったし、毛利は出てこなかった。
また大友は毛利につかないし、島津は九州を討伐することを先にしたはず。
本編終了までノンストップでアップしまし。もうすでに全部書き終えました。後は行きまーす。




