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森勝蔵長可 転生者は家族を守りたいが為、狂い笑う。  作者: 確かな嘘
第4章 上洛と畿内と・・・
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京上洛

今回は第三者目線です。


苦手な第三者目線ですが、何とか形にできたと思います。


お楽しみに

西大和の戦いも終わり、準備も整った1569年の春

信長は京の都に上洛を目指す。

大義は将軍をお連れする。将軍の名前は

足利義助

11代将軍義澄の次男であった義維(堺公方)の子が足利義助である。

勝蔵がよくしていた堺の商人から紹介された。


この者は27歳だが、将軍職に興味もなかった。

しかし近衛らも他のものを用立て出来ずに困っていたところを勝蔵に見つけ出され、説得された。何もしなくて良いとのこと。身の安全は守るとのことが条件だった。

それならと受け入れ、職についた。自身は興味もないが、子には継がせた方が良いだろうと思った。

それが受け入れた要因。そのことは信長らは気づいていたが、どうせもって数年だから良いと無視した。


焦ったのは義昭だ。官位はもらったが、京にもいない。信長は自分を将軍にするために上洛と思っていた。

これでは信長によって義助が将軍になる。よしんばうまくいかないとしても三好らが用立てした義栄になる。


朝倉に相談する

「大丈夫です。義昭様」

朝倉義景にそう言われ、義昭はその場を後にする。


「何が大丈夫なのだ。」

細川藤孝に言う。

「まぁ、信長という男は所詮は田舎侍です。帝や公家衆を味方になど出来ません」

細川は本当にそう思っていた。

「そうか」

義昭は側近の藤孝に言われ、納得した。


これを見ていた明智は呆れた。

(近衛を動かし、山科を動かし、帝の覚えも良い。信長め。これはマズイ。付いたのがバカだった。細川までバカだった。そして朝倉もひどい。このままでは、信長は朝倉攻めをする。多分、将軍を認めよと言付けをして、それに従わないなら攻める。そんなところだ。)


明智は一人冷静だった。

信長の狙いは、これであった。三好と攻撃し、本願寺と雑賀衆を滅ぼし、最後は朝倉だ。根来衆は信長に臣従している。いや、勝蔵に借りがある。


明智は誰を寝返らせるか?どこをつくか?考えている。


一方で、近衛前久も考えていた。

自分の面子は丸つぶれだ。帝に奏上しながら、信長が見つけてきた。いや、知っている。あの時に林の横にいた小僧、森勝蔵長可とかいう者だ。

まだ10の年ほどのガキ。

あいつに全てやられた。

どうする?


三好当主は、

「何、義助?」

「はっ義継様」

裏切り王の松永は答えた。

信長の上洛を黙認したが、それは三好3人衆と呼ばれる養父 長慶の兄弟を破り、自身が押す者を将軍にするためだった。

そんな最中の足利義助の将軍就任だった。晴天の霹靂とはこのこと。


そんな中、信長一行は上洛を果たす。

その際に信長は次のことを織田軍に通告。

「京にて、乱暴狼藉は許さぬ。犯した者は死をもって償うこと」


これは普通のように思えるが、この時代では厳しいお察しだ。

奪った所で略奪をして、それで冬を越す金にした。また戦で昂ぶった感情を潰した国の村や町で乱暴をすることで沈めた。そうしないとおかしくなる。戦争とはそんなものだ。


その通告の詳細も厳しい。

乱暴狼藉は普通のもそうだが、女と目合わせたり、声をかけることもダメだった。

食事等は全て織田家中の者が手配し、京で外食はなし。


これは荒れた京において画期的で、三好ら、細川(藤孝は関係ない)、寺社仏閣らが行う乱暴狼藉に辟易していた京の民は織田家を支持した。

また、その様子はもともと高い評判の公家衆にも評判は良かった。

山科言継を通し、帝、公家衆への金銭や塩の奏上は評価されているが、信長を直接知らない公家衆は田舎侍とバカにしようと御所に来る信長を待ち受けていた。


しかし、訪れた信長は立派な格好で素晴らしい生地の着物を来ていた。また、文句のつけようのない礼儀作法だった。格好と作法の両面で、公家たちを驚かせた。

田舎侍?いや公家衆より立派だ。


これに近衛は焦った。近衛は田舎侍と罵る準備をしていたし、他の馬鹿にしようと画策する公家たちを煽っていた。

信長が来る前も公家たちに「あいつは田舎侍」だとか、「礼儀知らずの無法者」だとか吹聴していた。それが文句を言う隙間もない所作。

多くの公家が近衛は摂政にふさわしくないと言い出す始末。

結果、義助の将軍就任は成功し、近衛はその後に摂政の職を失う。代わりに他の五摂家である一条家の者が摂政についた。


また、事前に信長らが奏上したようにことは進む。

帝は、信長には将軍の補佐、信長以外には、毛利、武田、上杉、大友の管領就任を要請した。浅井には将軍補佐代理だ。事実上の幕府の摂政制度及び五摂家である。織田、毛利、武田、上杉、大友がトップだ。将軍補佐というのは事実上の副将軍で、実利は将軍という職だ。それを管領の家でを回す。これは、摂政・関白を五摂家で回しているのを模した。これは公家の慣わしを真似した。名目上は治安の安定と公家の素晴らしい制度を真似することで幕府運営を安定させる為とのこと。

また、将軍足利義助も彼らにこれらを要請した。


これも近衛を刺激した。近衛は甲斐の武田が嫌いだった。毛利も嫌い。もちろん信長も。

さらに公家をバカにするかの様な五摂家制度の擬似だ。

しかし、事前に要請を受けていたこともあり、彼はこれを承認するしかできなかった。

こうして信長の上洛は完全に成功した。



京に上洛しました。


やっと、今までの努力が少し結実です。

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