閑話 与太話 山本拓也の家族
閉話です。アナザーストーリーです。
山本拓也の前世の家族の設定です。
書いた方がわかりやすいかなと、設定を文書にしたので投稿です。
こちらは、塩の件で、気になる方もいるかと思い書いてみました。
最初から決まっていたプロットの文章化は案外大変です。
塩作りをし始めた頃、前世の家族を思い出した。
俺の母方の祖父は1922年生まれで76で亡くなった。
父は、入り婿であるため、祖父の苗字が俺の苗字だ。
俺はじいちゃんと呼んでいた。
じいちゃんは戦争終了後に戦地より帰還し、祖母とすぐ結婚して家督を継いだ。
祖母は俺が生まれてすぐに亡くなったらしい。
母方は三重県の出身で、塩作りや工場などを行なっていたらしい。他にも田畑や漁業などを行う地元の名士の家柄だったようだ。
じいちゃんは、家督を継ぐとまもなく塩作りが国の専売となり、仕事をなくした親戚のために三重県の土地などを譲った。
その後に、愛知に移り住み工場などを営んだ。最初は苦しんだが、時は好景気になり、結構羽振りは良かったらしい。
しかし、社員のその後を考え、従業員に事業を譲った。
そして、工場で儲けた金で父と地元で不動産業を営んだ。
初めは苦しかったが、俺が生まれる15年ほど前には軌道に乗り、多くの土地を持っていた。しかし、後にその土地が地元の開発で新興住宅の開発地となり、父の代で多くの土地を売った。
そして、じいちゃんが亡くなった後は、父が継ぎ、父が亡くなった後は事業をたたみ、祖父が所有していたアパート1件のみを残した。
じいちゃんは武道を嗜み、戦地にて銃の扱いを覚え、地元では猟友会にいた。
家には猟銃があり、触ろうものなら、ものすごい剣幕で怒られた。
周りには、豪放磊楽で漢気があり、怖い人と言われたが、本当はただ周りの人をほっとけないだけの優しい人だった。
ちなみにじいちゃんは森可成が好きだった。
父は1948年生まれで、65で亡くなった。
優しく、物静かな、どこにでもいる人だ。
特に母に優しく、誰よりも大事にしていた。
働きながら夜学で誰よりも学び、頑張って、その後はじいちゃんと共に不動産業を営んだようだ。
父に話を聞いたことがあった。
父曰く
「戦地でお義父さんと私の父が知り合い。戦地から帰ってきた父は母とともに事故で、私が8歳の時に亡くなり、身寄りもない私をお義父さんが面倒を見てくれていた。そして高校卒業後は恩を返すためにお義父さんの元で働いた。」とのこと。
そんなじいちゃんの近くで、書生のようなことをしていた父に母が惚れたとのことだ。
しかし結婚はじいちゃんに気を遣い、じいちゃんに恩を返してからと、父が27、母が24で結婚した。
じいちゃんは2人に任せずに、早く結婚させておけば良かったと後悔していたらしい。
父はそういう義理堅いところがある。
実際に父の知り合いがそっちの方と揉めた時に、恩があるからと助けたらしい。
大した恩ではなかったのだが。
助けられた人はその後、父のことをずっと恩人として慕っていたらしい。
そんな父は幕末が好きで、特に新撰組の斎藤一が好きだった。
母は1950年生まれ。おおらかな人で、お嬢様を絵に描いたような人だ。
だが、一度怒ると怖く、誰も逆らえない。父も祖父も、母が怒った時は何も言わずに気を使うだけだった。
母は織田信長が好きで、俺も洗脳された。
そんな家族に育てられた俺は、まぁ他聞に漏れず、似たような性格だと皆に言われる。
自分の信じたものを真っ直ぐに行うと言われる。
普通は、面倒とか不利だとかで諦めることもやめることなく貫く。それが原因で会社で嫌がらせを受けた。
母曰く、祖父や父のいいところであり、ダメなところが遺伝したとのことだ。
これからは、前世を思い出すこともないだろう、勝三だから。じいちゃん、父さん、母さん見てていてくれ。
今をしっかりと生きて、家族を守るよ。
ふう。これで2章が終了です。




