四倍加速
あくる日の夜。
アーストラック城内に何者かの影が入る。
城の警備兵達は後に言う。あれ程の、平民は立ち入ることすら許されないアーストラック城の構造を知り、警備兵まで一瞬で気絶させる観察眼と戦闘スキルを持つ者は知らないと。
……黒い影が城内の廊下を歩いている、その者の様子はとても侵入者とは思えないほど足取りが軽やかで気品と力強さを感じさせた。
「何者だっ……!!」
”それ”に出会ってしまった警備兵が異常を察知し槍を向ける。が、その抵抗は空しく足から崩れて落ちた。
一息つく何者かの顔にステンドグラスからの月の光が掛かり顔が映る。
どこか疲れたよく出来た顔、それはまごうこと無く勇者の顔であった。
「ここか」
何を考えているのか全く持ってわからない勇者が足を止める。その場所は牢獄。彼はここに何の用があってきたのだろうか、それはすぐに分かった。
看守を手慣れた戦闘技術で泡を吹かせると牢獄の鍵を手に囚人の下へ向かう。あまりに軽やかな手際に囚人たちは惰眠から起きることすら許されず気付く者もいない。
その中を堂々と歩くのは通常の人間ならば気持ちの良い物であるだろうが様々な悦と命のやり取りと云う経験をした彼にはこの様な事、まるで朝起きた時の歯磨きの様に小慣れたことである。
その足の向かう先はどこか?
一人の監獄の扉が開いた、研究と狂気にその身を委ねた男、その囚人の扉に刻印された名はスミフ・クロステルマン。
「……勇者殿……? なぜ貴方が?」
思ったよりも早く外の空気を吸えた事と意外な面会人にたまらずスミフは声をあげる。
「出ろ、クロステルマン。お前みたいなのは本来、助ける訳が無いのだがな」
「……あの水瓶について聞きたい」
勇者は冷たい目でスミフを眺めそう言った。
「……ハハッ!! 勇者殿は本当にお目が確かだ! 王や貴族はあの水瓶は死んだ者と会話できるものだと思っているがアレはそんな程度の物ではない!!」
スミフは目を開き口を耳まで裂けるかのような顔で興奮して勇者を心から認める。
「……あの話の続きを聞かせてもらおうか」
その言葉はもう不要だった、スミフはこの”研究結果”を誰かに話して仕方がなかった。
悲しいかな研究者とは自分が知るだけでは何もできないものでより高みに行こうとすれば必然的に誰かに知ってもらう必要があるのだ。自分が努力して知ったものを他の者に教えなくては何も成す事ができないという事は悲しい物である。
「はい! では、聡明な観察眼と探求心を持った勇者殿に説明を。
……例のあの世の娘に会ったのですがその娘はこう言ったのです何が起こりお父さんと話せるようになったのかは解らない、ただ初めて会った時のお父さんは人を殺してしまったという言葉を漏らしていたと言います。そして会話していくうちにお父さんは人は殺したが願いがかなってよかったと言ったと娘は言いました」
「ここで一つ疑問が、私も最初この水瓶は死んだものと交信できるものと暫定しておりました、しかし何か引っかかる」
「……「願い」?」
勇者は少し考えこの題の核心、正解の1ピースを繋ぐ。
「その通りでございます、勇者殿! 私もそれが引っ掛かりました、ので」
「……また、試したのか?」
勇者が険しい顔でスミフを睨みつける。虎に睨みつけられるより数倍恐ろしいそれにスミフは恐怖を覚えた。
「い、いえ!”二人目”は使っておりません!」
少し震える声で怒れる竜か白虎に自分の命の釈明を試みる。嘘をつけば逃れられると少々スミフは思ったがそれは文面だけ見た物だけが思う愚行であることを彼は知った。
本当の命をを終わらせる程の脅威の前では人間は虚を言うより本心から物事を話したほうがいい。というより彼の、スミフの器ではこの命を賭けた恐怖の賭博に嘘という虚実のチップを賭ける心の力はなかった。
それに全てを賭けれるのは相当の馬鹿者か、理解しがたい異次元の者か。
「……そこらのトカゲを。人の命以外でもこの現象は起きるのか実験がてらに使わせていただきました!」
「……ほう」
以外にも勇者は彼を信じた。それはそうで、彼の前では町一番の嘘つき程度では欺けないくらいには自分の問いかけに重みがあることを知っているからだ。
スミフは命の、言葉のやり取りに便宜を図ってもらえたことに安堵した。
「……それで、結果は?」
「はい」
少しためて、自分の発掘の成果と調査の賜物を言葉にする。
「成功でした! トカゲを入れた時、私が実験がてら望んだ物の湧き水がどこからともなく現れました! 何故か死者と会話する願いは叶えられなかったのですが……しかし!そう!! やはりあの瓶は死者と会話できる程度の代物ではなく!」
「……「溶かした物を代償に願いを叶える水瓶」。確かに、これはS+級、いや、それ以上の宝物だな。……ただそれは大きすぎて」
人に扱えるものではない。この水瓶の真の力が知れれば人はどんな残虐な事でもするだろう。奪い合いあうだろう。醜く、醜悪に、どこまでも黒く、深く。この世界を飲み込んで。
「クロステルマン。何故これを王に献上しようと思った? この瓶が魅力的に見えないほど貴公の目は曇っているのか?」
頭に浮かんだ当たり前の不思議を馬鹿にしたように勇者が問いかける。
これほどのお宝。いや、人の夢を描いた願望機、独裁者が持てば如何様にも世界は変貌するだろう。持った者の願いのままに。
それにスミフは今までの質問よりいち早く答えた。
「はい、曇っております」
意外だった。スミフはそのまま続ける。
「……私はこう思うのです。研究者はみな、等しく毒に犯されていると」
「……毒?」
思わず茶々を入れた。
「はい、毒です」
「その毒を治すために研究者は毒を調べるのですが調べれば調べるほど毒に犯されていく、そのような厄介な毒です」
「研究者はみなその毒にかかり何かを捨てています。それは、お金だったり恋人だったり、また自分の人生すら投げ売ってその毒に立ち向かう者も多い」
「しかし悲しいかな、その毒の名を研究と言います。目など、とうに毒によって曇っているのですよ」
勇者は目を丸くしこの男の第一印象を改めて思い出した。
「……ふっ、冗談が言えるんだな、クロステルマン」
久しく心の底から彼は笑いを口に出した。スミフも乾いた口で笑う。
まるで小さな女の子が友達と秘密を隠して笑いあうように二人ともくすくすと声に出して笑っていた。
二人は城内を歩く、目標はあの水瓶だ。
「お前は来なくていいんだぞ、クロステルマン」
「いえ、私が発掘した代物を世界を救う宿命のお方がどの様に使うか見物だと思いました!」
「俺は水瓶を壊すだけだ。それ以外に何を期待している?」
「それも、また良しとしましょう。ただ私は見たいだけです! その瞬間を!」
「この機に逃げればいい物を、貴公もまた変人だ」
と、話の最後にスミフより一歩多く前に出て彼の行く手を遮る。スミフは驚きながら少したじろぎ、同じく足を止めた。
「そして、お前もだ」
勇者が暗闇を見つめ問う。スミフはそれに気付かないが先ほどの勇者と同じ様に月の光が体に掛かりやっと正体がつかめる。
「なあ、アーニド」
冗談めかして言う勇者にアーニドは柔らかな表情でこう答える。
「これより先に進まないでください、勇者様」
「……なぜ?」
「……勇者様が久しぶりに声を大きくして話している所を見ました。……話に参加していない私までも良き時間が過ごせました」
暗闇の中とは言えアーニドの気配を見逃した事に勇者は衰えを感じていた、先の子供の件もあったのもそれを思う切っ掛けになったのだろう。
「……アーニド、僕らの時代は終わったよ。もう勇者という力の象徴は要らないんだ。世界は僕ら無しでも、もう必要十分に回っていくだろう。大きな戦争も終わった。そして、次の力の象徴となるあの水瓶もこの世に不必要なものだ」
「勇者様、私たちは英傑です。確かにもうこの世にそれは必要ないかもしれません。でも、私たちの”意思”を残す必要はあると思います。その意志を語り継ぐために私たちは、英傑は生きなければならないと私は考えています」
殺気と殺気がぶつかり合うというのを初めてスミフは感じた。本当に空気が凍り付いたものと思えるほどの間が三人を分ける。
「水瓶もその”意思”の一つだと……?」
「……下がってください、勇者様」
「……下がれん!!」
勇者の一声を皮切りに戦いは始まった。そしてその声が発せられた瞬間、誰よりも速くアーニドは剣を抜いた。
惨劇のアーニドのスピードは勇者より勝った。だが、彼女の狙いは勇者ではない。勿論勇者の四肢を狙い、怪我を負わせることに成功すれば大きなアドバンテージになるだろうしかし世界で一番勇者の戦いを見てきた、彼の実力を誰よりもよく知っているアーニドは真面に戦うことはしない。
それが悪手だと知っている。勇者という最強の剣士を戦うことが不可能な状況に陥れることがどれだけ、果てしなき程難しいか説明は不要である。なら狙うは。
……誰よりも速くスミフを狙いアーニドは突進した。勇者は、彼は間違いなく助ける命は、助ける。そう思っての事だった。
思ったよりも勇者の反応が遅れていた。以外にも簡単にスミフの心臓に穴が開くと彼女は決め込んだ。……が。
「っだぁぁああ!!」
勇者の声と同時に鈍い音を発て剣は弾かれた。
スピードは圧倒的だった、彼女の一撃は勇者すら碌に反応できていなかっただろう。現にスミフの心臓は貫かれる一歩手前のところまで来ており、通常ならどのように体を極めた物でも防ぐことはかなわなかっただろう。
しかし、勇者はそれを可能にする。
「「四倍加速」……。勇者様の固有スキル……ですね」
「固有スキル……か」
勇者の口にする「固有スキル」実際にはただの自称神を名乗る老人から渡されたチートスキルを勇者がそれらしく周りに吹聴したものである。
彼の歴戦の戦いの中で最も信用したそのスキル「四倍加速」は勇者の十八番として最も知る者の多いスキルである。
初めて異種族を殺めたスキルだった。しかし何度も助けられたその技に彼の思い出がない訳が無いだろう。
「しかし、誰かを守る為に使ったのは少ないな」
「……クロステルマン! ここまでだ! 逃げろ!」
彼女の、アーニドの一挙手一投足も目を離せない状態の勇者はスミフの方は見ずに大きな声で叫んだ。
「しかし!」
「……せっかく目の曇りが晴れてきたのだ、生きろ! スミフ・クロステルマン!!」
「ぐっ……!!」
人類最高の英雄にここまで言われたのだ、少々泣いても仕方がないだろう。しかし何もできない自分の悔しさも目に浮かんだ。
「勝ってください! ……勇者殿っ!!!」
そう言ってスミフは勇者たちを見ながら二歩三歩とゆっくり足を動かし名残惜しいようにその場を離れようとした。
その隙だらけの様を惨劇のアーニドが見逃すはずがなかった。その技の発動からのタイムラグは0,2秒もあるのだろうか? 足元に陣が敷かれる。
……勇者はそれを知っている。それは彼女の足に描かれている魔法陣「加速」。それを瞬時に発動させたのだ。
この技と彼女のスピードを合わせられると正に鬼に金棒。勇者にすら手が付けられない。
「させると……!」
一瞬でスミフとの間を詰めると共に今度は彼の頭を狙う。
「思わないな……!」
剣と剣による火花が散る。これまた
「四倍加速……っ!!!」
そう言ったのは勇者だろうかアーニドだろうか。