花の蜜が好物な鈴鳥
数時間後のビラニスト国、屋台路
「どうしましたか? お気分でもすぐれませんか?」
作られた人形のような体から発せられる声に周りの町人は魅了されていく。
そして、その声を一身に受けるものは一体どこぞの馬の骨かと男たちは思うが、その人物を見て、その美女はいくら視線を送っても万が一、億が一でも自分の手の中に入るわけがないと知る。
「大丈夫だよ、アーニド。それよりあまり破廉恥な服は着ないでくれ、恥ずかしい」
「恥ずかしい……ですか? 確かに勇者様に比べると私は不釣り合いな女かもしれませんが……」
「いや、そういうわけではなくて……」
と少し照れ笑いしながら歩く二人に人は優しい笑みを浮かべたり嫉妬の視線を送ったり様々だ。
(この程度の女に嫉妬か……本当に、異世界の田舎者共ときたら見た目だけで判断する。まあそれは少し言い過ぎか、仮に日本だとしてもコイツは少し目立つ)
勇者の少し曇った顔を見て、少しでもこの人の心を軽くしたいという純粋な思いでアーニドは問いかける。、
「その……城内であまり、よくない話があったのは知っています。詳しくは聞いていないのですが勇者様がそのことで悩んでいるならどうか私にも話して? 二人で分け合いませんか?」
「ああ、話すよ。しかし今はその話ではなく二人の話をしよう。悩み事があるならそのあと、今は二人で楽しむことが先決だ」
「……はい!」
(正直あの話に心が揺らがなかったのは何故だ? あそこまで人を激怒させる話だったらしいのに。なぜ俺は冷静だった? 心がくすんでいるのか?)
「ついていきます、どこまでも!」
アーニドは嬉しそうに自分の最愛の人物に惜しげもない愛を向ける。その世界中が嫉妬しそうな幸運を本人は見ようともしない。
だがしかし。もし仮に、その様な幸運を全て不幸にしても青年は何も感じないだろう、今その全てをひっくり返したとしても、青年はただ静かな目で世界の終わりすら見据えるのだろう。
捻くれを少々通り越した捻じれた、いや、捻じ”切れた”勇者の前に数名の子供が通る。
「……子供ってかわいいですよね」
アーニドが潤った瞳で通った子供たちを粒になるまで見送り、勇者の方に顔を移し語り掛ける。
「そうだね」
その瞳にあどけない子供は本当に勇者の前に写っていたのだろうか。解らない。しかしアーニドは続ける。
「私たちも何時かは……」
希望に満ち溢れたアーニドの言葉を、何年ぶりだろうか。……遮り、勇者が自分の事を話した。
「……僕はね、アーニド。自分が大人になったなんて自覚は今まで生きてきて一度もないんだ」
「だからね、子供は僕が大人になった時に作りたいと思うんだ。でないと子供が不幸になってしまう、子供と変わらない幼い精神で自分の妻の次に愛する人に教える父親になりたくない」
「……僕はまだ完全に世界を救ったわけではないと思うんだよ。まだまだ救うべきものは沢山あって、みんな助けを求めてる」
「本当に周りが、みんなが、世界に平和が訪れた時、その時にようやく僕は大人になれたと実感できると思うんだ」
「アーニド。僕が大人になったと納得するのは一体いつになるのかな」
この言葉もねじ切れた偽りの言葉なのか、はたまたアーニドに数えるほどしか話したことのない本当の心の中の声なのか。誰にもわからない。
「勇者様はカッコ良すぎます。もうそれを思った時点で、語れば誰もが大人だと認めると思いますよ……?」
「そうかな?」
「ええ、きっと……」
二人がお互いの顔を離す。本当に、この二人の心が繋がっていればいいのに。
……そのまま歩き続ける二人に足を止めるものが居た。
「お二人ともお似合いですね!」
急に声をかけられた勇者たちも同様に足を止めた。ふと、話しかけられたほうを見ると小さい女の子がにこにこと笑いこちらを見ている。
ふわふわとした雛鳥のような雰囲気を放つその子供に勇者とアーニドは微笑ましく思い、顔を見合わせ、勇者が答える。
「何か用でしょうか? 申し訳ありませんが今はプライベート中でして」
と、いきなり現れた小さな少女に少し冗談めかし、丁寧に対応する。職業が例え戦闘のエキスパートでも最低限のレディの扱いと言う物があることを彼は勿論理解していた。
少女は頬にえくぼを作りそれに反応して見せた。そして先ほどより数段上の笑顔を勇者たちに見せてくれた。
「すみません! お二人があまりにも美しく、まるで花の蜜が好物な鈴鳥の夫婦の様に見えたものですから。つい」
突然の。子供ながらにも少し大人びた例えをしてきたなぁというのが勇者の感想だった。
勇者のほうは特にそのぐらいしか感じずありがとうと言うだけなのだが、すぐ隣にいる美女のほうはそれだけでは済まないらしい。
「あら、ありがとう。勇者様、この子口がお上手ですね」
……文面から受け取ると不機嫌なように見えるが顔を見ると途端にその印象が変わるくらい嬉しそうだ。
これがアーニドの、彼女の僕以外の他人に対するせいいっぱいの好印象の態度なのだ。
よく顔を見ると先ほど目の前を走っていた子供と五つと違わない栗色の髪をした、少し大きな目が印象的な少女だ。こういう子供にはぴょこぴょこという擬音が似合う。
「ありがとう。僕の大事な人が君のおかけで嬉しそうだ。お礼に何か買ってあげたいところなので君のお勧めのお店を教えてくれないかな?」
アーニドにも目配せで確認をとる。どうやら彼女もこの子供が気に入ったらしい、すぐに頷いて見せた。
「はい! ありがとうございます!」
子供と三人で歩く。よくその姿を見ると服が少し古く、ズボンが所々ほつれては直しを繰り返し、言い方は悪いがミミズの様に見える。
(下流層の子供か、こんな風に上手いこと言って物を恵んでもらっているのだろう。美味しい物を食べた後は服を少々買ってやって、少し話して帰すか)
「ごめん、名前を聞いてないな。僕は」
「この国を救った勇者様。ですよね」
知っていたのか、と勇者は少し安心し目を軽くつぶった。
軽く少女の頭が勇者の上着の腹の部分に触れる。どうやら抱きしめられているようだ。
……鈍い感触が腹に伝わる。
……違う。
目を開けると俺は腹部に刃物を充てられていた。
「……つっ!!」
あまりの事に。十に満たない子供が自分を殺しに来たのは初めてな事実とこの程度の奇襲に気付けなかった情けなさと自分がここまで平和ボケしていた事に驚きつつも後ろに飛び退き、内臓を何度も刺し回される最悪の状況を回避する。
腹部を押さえながら勇者は話す。
「君みたいな子供が何故……?」
いや、解っている。勇者は人類史上最高の英雄である。が、それは「人類」の話。
「君は……!」
理解した勇者に少女は恨みの言葉を大きな声でぶつける。
当然その声は響き、何か事が起きたのかと暇な市民たちが騒ぎを起こす。
「私の親の仇……!! 私は霊猿族の……!! お前たちに殺された父マルトと母カレスの子だっ……!」
「お前たちをころ……!!」
少女が続ける自分の父母を殺された恨み事を話そうとした時勇者が大きな声を上げた。
「待て! ……アーニド!!!」
勇者のこれまた数年ぶりに出した雷音の様な声がした瞬間、霊猿族の少女が蹴られ、吹き飛ぶ。
世界有数の勇者に次ぐ魔法剣士「惨劇の」アーニドに係ればこの程度のモンスター、駆除するまでに勇者の言葉が半分も終わらない。
「勇者様のお声により頭を蹴り吹き飛ばす程度にしました。が、何故このモンスターを生かすのです? 訳が分かりません」
と、先ほどと同じ人間とは思えない低く冷たく重い声でアーニドは語る。
「勇者様、この程度では……」
アーニドは頭では理解し解ってはいるが万が一でもと勇者の傷の具合を聞く。
普段なら自分の刀傷より勇者の擦り傷を心配するのだが今、大切な物を守る為にはそのような隙を見せてはいけない事をアーニドは歴戦の戦いでとてもよく知っている。
そして、勇者はこの程度の攻撃は効かない。
「ああ……大丈夫だ。剣闘士スキル「オートシールド」が発動した」
「レベル30以下の攻撃は無効でしたね。常時発動させるその技術には感服致します……が」
何故自分を刺し殺そうとした敵を殺さなかったのか? 生かしておく必要がない。
もし生かすとすれば捕虜にするか慰み者にするかだが、彼がその様な事をするとは思えない。
最愛の彼は何をしたがっているのか解らなかったが次の言葉で流石に肝を抜かれた。
「あの少女は殺さないでほしい、……話したい」
「ダメです」
勿論許せるはずがなかった、当たり前である。戦いとは敵を侮った瞬間、例え実力が竹と鉄の硬さ程離れていても、鉄が竹に強度で負けることも優にあり得る。
敵を侮るという事は鉄をも真っ赤に錆びさせるほどの悠長な時間を相手に与えるという事。そんな願い聞けるはずもなかった。
「……君を初めてパーティに入れた時以来のお願いだ、頼む。聞いてくれ」
ここで最愛の彼は恐ろしく卑怯なことを持ち出してきた。好きな男に自分が初めて会った時の態度の失礼を枷にされると女は何もできなくなる。
勿論その事を勇者は知っているわけだが。
「……分かりました」
アーニドは唇を強く噛み、願いを聞いた。
確かに彼の心配はしている、もちろん十分なほどに。しかしなぜこの様な願いを聞いたのか? それは少女と勇者の力の差が小麦の乾麺と樹齢150年になる太く大きな大樹の堅牢性を比べてみろという程に圧倒的な差があったからだ。
たとえ勇者が少女にわざと数時間喉元を見せようとも、少女はそれに手の平で触れることすらできない。
そこまでの実力差があっての事。おまけにもしもの時の保険に自分が居る。そう判断し勇者の愚行とも言える行為を受け留めた。
何が起こったのかと周囲の衛兵たちが彼女の周りに集まってきた。その衛兵たちを制止するようにアーニドは命令する。最後に異を唱えた衛兵はこう話した。
「ですが! 市民の話によれば勇者様は!」
それを冷たくアーニドは突き放した
「この程度で倒れる程、英傑は優しくはない。静かにしていろ」
……天気が良かったのだろう乾いた雑草をサクサクと踏みしめ勇者は少女に近づく。
「……大丈夫かい?」
少女の栗色の髪は血で汚れ大きかった瞳の片方は潰れていて血が流れている。そしてもう片方の目で明らかな殺意を持ちこちらを睨みつけている。
「片目がつぶれてしまったか、少し待って」
アーニドと衛兵たちの驚く声をはさみで断ち切るように少女に上級魔法リア・ヒールを掛ける。
「このヒールならたとえ手足がもがれても元の状態に戻すことができるんだ」
「話してくれないか? 君の事を、悪い様にはしないから」
勇者は足を折り手を伸ばし少女に優しく問おうとする。先ほど殺す気で襲い掛かってきた者にするその態度は他の市民の目からするに、馬鹿でもなければ人格者でもない。
完全に狂ったそれに見えた。もちろん衛兵もアーニドも放ってはおけなく声を上げるのだが勇者はそれを制止する。
「少し黙ってくれ」
そう言って見る目は、一緒に時を過ごしてきた恋人を見るような目ではなかった、その目の中にあったのは憎しみと怒り。それだけが渦巻いたとても悲しくそしてとても強い眼だった。
そして少女のほうを見るがそのさっきまでアーニド達に見せた物とは程遠い。まるで味方と敵を間違えたかのような様子にはまさに狂気という言葉が似合っていた。
「狂っている……の? 勇者様……?」
アーニドは初めて勇者の本質を見抜いたのかもしれない。
「動けるかい?」
先ほどまでよりは大人しくなった周囲を見据え勇者は少女に話しかける。
「……何故、ヒールを掛けた……?」
先ほどの柔らかな微笑みは今は、憎しみを含めたナイフの様に刺々しくこちらを向いている。
勇者は、彼は、ただ少女を助けたかった、自分が関わった種族を殺してしまった後悔や異種族だからという理由でひどい扱いを受けていたであろう彼女に少しでもこれから先裕福になってほしい。
自分の今の力ならそれができると思っていた。その確信があった。
「……君と話したいと思ったから」
だからこのような無理を言ってまでこの子に便宜を図った。知りたかった。この子だけでも幸せにしたいと思った。
そうすれば自分の罪が少しは軽くなると思ってしまったのかもしれない。
「死ね」
そして、その敵意を勇者は聞く。
「お前たちが両親を殺した、お前たちが私の平和を奪った……!! 親と兄弟が魔法の雨に打たれ焼死し一体私に何が残ったと思う?
「何も残らなかった。お金も私の人権も家族と居る温かさも何も残らなかった……!! ただ一つ使命として心に残ったのはお前たちを殺すという目標だけ……!!」
「その目標にたどり着くまで、今ここに私が居るこの瞬間だけのために私が何をしたか貴様に分かるか? 体を売り、人を殺し、過去と空腹と寂しさに心を委ね!!」
「それはただお前たちを殺すためだけにしたことだ、罪を償え! 皆を返せ! お前も私の閉じた未来を……絶望を味わえ……!!!!」
「私はお前たちを……許さない。分かり合おうとも思わない。永遠の地獄に落ちろ……!! 大量殺戮の極悪人!!!」
その言葉が終わった瞬間少女は何やら呪符を唱える。それは追い詰められた、何かしらの信念を持った敵が最後にやる行動。
勇者とアーニドは何十回と見てきたその呪文を少女は一瞬で唱え終わる。
「全員伏せろーーー!!!」
アーニドが周囲を気にして叫ぶ。
その瞬間、少女は腹の中から粉々にはじけ、爆風となり勇者を襲った。
……煙の中に失意に塗れた男が一人立っている。
「……僕は唯、君を助けたいと思ったんだ……」
周囲が肉片と血にまみれた中心で男は自分が大量殺人者だという事を、心でも体でも理解する。
「君の言葉を聞いて心の底から謝って、ほんの少しばかり理解してもらって……」
それは、昔から分かっていたはずだった。
「ダメージを受けないんだ……」
はずだったんだ。
「レベル30以下の攻撃は……」
自分が異種族に嫌われていることは。
「君の攻撃は届かないんだ」
けど心の底では違うって思いたかったんだ。
「心はこんなにも痛いのに」
否定したかったんだ。
「君の痛みを知りたいのに」
ただ平和になってほしかったという独り善がりな願いが。
「僕は知れないんだ」
世界すら潰す呪いになるなんて、理解したくなくて。
「それは、僕が勇者だからなのかな?」
世界平和。それは唯の願望。みんなが抱く世界平和なんて結局は自分の理に繋がるから。自分が幸福だからと不幸な人に対する後ろめたさが生み出す幻想だったんだ。
そう言っていれば少しは不幸な人を憐れんで自分の器の大きさに浸れるただの高慢の一つだったんだ。
それまでの僕は本当に正義と言う道の後に平和があると信じていた。正義の後に付いてくるものなんて、結局は自己満足しかないのに、本当に平和を願っているならすることは何か。
その先にあるものは結局血でしか語れない、自分や他人の都合で引き金を引く事。それが正義だと気付くのはもう僕の手におびただしい血が付いた頃だろう。
眼から零れ落ちるのは深い絶望と永遠に逃れられない闇。