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古神幻想  作者: 鈴本恭一
1/8

プロローグ:森と川の


 やはりあの川辺の近くで、彼女達は大きな飛行船を見上げていた。


 結婚式の後、ホイナはあれに乗って遠くへ行く。ヒーエは行かない。



 その前に、ヒーエはこの森の神の為に死ぬのだから。

















 私は、川から生まれ落ちた。









 光を含んだ水の中に、自分がいる。しかし何よりも先に襲ってきたのは、呼吸が出来ないという危機感だ。私は慌てて手足を藻掻かせる。




 頭が川面を突き抜けた。口は意識するよりも早く、冷たく澄んだ空気を吸い込み貪る。息切れをしながら呼吸を繰り返すうち、自分が川の中に立っていることに気づいた。



 それほど深い川ではなかった。川岸に近い。川の岸辺の向こうに、森が始まっている。





 私は落ち着きを取り戻すと、とりあえず岸に向かって歩き始めた。




 川底の石の感触を、靴底越しに感じる。自分は靴を履いていた。服装を目で確認する。質素な靴と白いスカート。上半身にはやはり簡素なシャツと紺色の上着を着て、その上に時代がかった古い外套を羽織っている。




 それらの衣服は全て濡れそぼっていたが、岸に上がった途端、不思議とすぐに乾いてしまった。まるで何者かが不要な水気を払い散ったかのように。



 その青い外套が奇妙な熱を帯びていることに、私は気付く。



 革ではなく布で織られた外套だが、何の繊維から出来ているのかは分からない。まるで生き物のように温もりを保った外套は、不気味さではなく安心感を私に与えてくれる。





 私は岸を少し進み、川の流れからだいぶ離れたところまで移動した。



 そこで自分の髪に触れる。身体同様、髪の毛も充分に乾いていた。長い髪だ。色は茶。おそらく腰まで届くだろう。





 自分の髪を梳かしていると、その手首に紐飾りが巻かれていることを発見する。青みがかった緑の紐だ。手首から余って垂れた部分で、剣に似た形を織っている。



 この紐飾りからも、ただの繊維の塊とは思えない気配を感じてしまう。手首を二回りする程度の長さしかないというのに、まるであらゆる魔性から私を守護してくれるかのような感覚があった。




 青い外套と緑の紐。これらを身に纏う私は、とりあえず周りを見渡す。






 目の前にすぐ森があり、その枝葉は大きく広がっている。その為、視界が良いとは言えなかった。川の上、木々達の手の届かない場所に、わずかだが緑の切れ目がある。青い空と白い雲が見えた。晴れている。





 ここはどこなのだろう。






 私は自分の居場所を考えた。




 しかし、すぐにもっと重大な欠落があることに気付く。








 私は、誰だ。







 愕然とした。思い出せない。記憶がなかった。



 いや、正確には記憶はある。




 しかし、この記憶は私の記憶ではない。




 私ではない、別の誰かの記憶だ。誰だ。知っている。ヒーエという女の子だ。彼女の記憶。





 自分のことに関する記憶は、思い出せない。





 頭の中をどれだけ探っても、出てくるのはそのヒーエという子のことだけだ。





 私は、誰だ。





 疑問が戻る。そして頭の中を占拠した。手の先が寒さではないものに震え、しびれる。



 しかし、その手は腕に巻いた紐の感触を感じた途端、静かに収まっていく。そして震える体へ、青い外套が労るように温度を与えた。まるで本当に生きているかのようだ。




 私は深呼吸をいくつか行い、混乱する頭を静める。






 そして、ふと外套のポケットからかさり、という音を聞いた。何かが入っている。私はポケットをまさぐってみた。




 それは、真っ白な封筒だ。宛名も、差出人もない。



 封印はされていなかった。私はその封筒の中を開ける。





 封筒の中には、何枚もの高額紙幣、旅券、地図、何かの乗船券、そして短い手紙が入っていた。




 旅券には、ある人物の名前や年齢、住所等が記載されている。ヒーエのことではない。だが、これが果たして自分のことを記しているのかも分からなかった。私にはまるで実感できない。





 この謎を解く為、私は封筒の中にあった手紙を読む。



 達筆で少々読みにくいが、そこにはこう書かれていた。






『契約は成されました。地図に従い、件の女性へ会いに行きなさい。尚、旅路の上でのあらゆる艱難は、輝きの霧の名の下に排することをここに保証します』





 手紙にはこれだけしか書かれていない。



 私には、何のことなのか全然思い出せなかった。






 困り果てていた私は、その手紙の最後にまだ続きがあることに気付く。





『追伸。生まれて間もない為、混乱しますでしょうが、その場合はまず落ち着いて、ヒーエの記憶を辿りなさい』





 ヒーエ。





 そう、私が持っているのは彼女の記憶だ。彼女の一生、十二年の生涯。





 その時、私の頭にある血液が、足下へ降下したような喪失感が湧き起こる。



 それは同時に、足先にあった血が頭の方へ急上昇してくる感覚でもあった。








 私は知っているのだ。



 ヒーエが、既に死んでいることを。










 思い出した。



 私は、ヒーエの生まれ変わりだった。



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