小説の亡霊
「どうぞ椅子にお掛けください」
神妙な面持ちで診察室に入ってきた男に医者は促した。
「それで、今日はどうなされました」
「どうか、笑わずに聞いて頂きたいのですが…」
「笑いませんよ。患者さんの不安を取り除く為に我々医者がいるのです。安心してお話ください」
医者の言葉に幾分か気が楽になった男は語り出した。
「実は最近、亡霊を見るのです。亡霊なら霊能者とお思いかもしれませんが、先日霊能者にも匙を投げられまして、こちらに伺いました」
「ほう…」
医者はどうしたものか考えながら頷く。
「私は物書きをしておりまして…。簡単に言いますと、思いついたは良いが作品にする事の出来なかったネタが亡霊として現れるのです。ほら、そんな風に…」
男が指差すところを見ると、先ほどまではいなかった身体の透けた犬と猫が室内を歩いていた。男は説明する。
「初めは幻覚の類いと思っていましたが、どうやら違うらしく、小説を書いてはボツにすると、その作品の登場人物が出現するのです。ボツネタの怨霊とも言えましょうか…。その犬と猫は、犬と猫が戦争する話を思いついたのですが、作品に出来ず現れた亡霊です」
気づけば現れたのは犬や猫だけでなく、いつの間にか男の側には、身体が半透明のドラキュラ伯爵、博士、福の神にサンタクロースといった面々が立っており、それはさながら仮装大会といった模様…。
医者からすれば信じがたい現象ではあったが、目の前で起こってしまっては信じざるをえない。
「なるほど、これを治療でどうにかしてもらいたいと…」
「話が早くて助かります」
「わかりました。しかし中々希少な症例です。私の方でも慎重に治療方針を決める必要がある。今日のところはお引き取り頂いて、また後日いらしてください」
「はい、宜しくお願いします」
男は医者に一礼して帰っていった。男が帰った後、医者は感慨深く呟いた。
「あの男、自分が小説の書き手だと思い込んでいるらしい。自分の身体が透けている事に気づいていなかった…。私が趣味で書いている、売れないSF作家が主人公の短編小説、やはり完成させた方が良さそうだな…」
そして、医者は次の患者を迎え入れ、やってきた患者が言った。
「あれ? 先生、なんか身体が透けてませんか?」