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案内の兵に先導され、宛がわれた部屋の中で俺は一人、ゆっくりとした太極拳の動作を取りながら体をほぐしていた。
いや、ストレッチとかでも良かったと思うんだけど、以前に何かの本で読んだ「体操っぽく見える太極拳の動きは、体に負担をかけずに全身のバランスを整えて体幹を鍛える事ができる」なんて話を思い出したので、折角だからとこうしてやってみている訳である。
ふぅぅぅ……。
深く呼吸をして心を落ち着ける。だが、頭に張り付くように浮かんでいる二つの思考が消える事はない。
一つは言うまでもなくイスコットさんの事。
まさか『蟲系魔獣の操作』に特化した神器とか、無敵と思っていた蟲脳にそんな天敵がいるとは思わなかった。
って言うか、ファンタジーな異世界なら炎とか雷とか、そういう物を操れよ!何で蟲なんだよ!
害虫駆除の業者じゃあるまいし、仮にも英雄とか呼ばれる存在がそんなことでどうするよ?
……まぁ、そんな事を言ってると自分が害虫ポジションで悲しくなるから口には出さないけどさ。
はぁ……と、ため息をついて、もう一つの懸念であるティーウォンドとラービの件に考えを巡らせる。
たが、それにはまず自分の気持ちを整理しなければならない。
ラービは男女の恋愛として俺の事を好いていてくれるみたいだし、ティーウォンドもそう思っているのだろう。
まあ、以前に脈はあるみたいな事を言ってしまった俺にも責任はある。
だが、ぶっちゃけて言ってしまえば俺がラービに感じる愛情……彼女の正体云々を抜きにしても、それは家族に向ける物に近い。熟考してみてそこに至ってしまった。
つーかね、女子とお付き合いしたこともない俺が緊張感ゼロで接してるあたりで、もう家族ポジションな訳ですよ。
それに以前も思った事だが、如何に外見が俺好みな美少女であろうと中身が自分の分身みたいな物と考えると……それに惚れるのは無理だろう。
まぁ、俺も思春期の男の子だし、多少は場の空気や性欲に流されてしまう事があったのは認めるけど。
だが、だからと言ってラービを邪険に扱う訳じゃない。むしろ妹並みに大事に思ってる。
故に、ティーウォンドみたいな糞ナンパ野郎の毒牙にかける訳にはいかないのだ。
そんな俺の心情など知らないであろうラービは、いま「女子会」を行っている。
個室を宛がわれたにも拘らず、レイとハルメルトを引っ張り混んで様々なトークに花を咲かせているのだろう。
まぁ、ハルメルトは彼女にとってショッキングな事が起こりすぎたから、女同士でお喋りでもして気が晴れるなら良いことだ。
数人で固まってれば、ティーウォンドの夜這いも防げるしな!
……脳裏に、岩砕城壁で、深夜コルリアナに夜這いをかけられそうになった時の事が浮かぶ。ありゃ、怖かった。
コルリアナがゴリウーである事を差し引いても、寝てる所を襲われるのはかなりの恐怖だ。
あれと同じような恐怖をラービ達に味わわせようものなら立場も糞もない、『限定解除』を使用してでも酷い目に会わせてやる。もう、すんごい酷い目に会わせてやる!
大事だから二回言うのは基本だな。
くわぁっ……。
思わず大きなあくびが出た。思いの外、疲れがたまっているのかもしれない。
考えてみれば、今日は朝から森の中を走って、村でゾンビと戦って、また追跡のために走るという、結構な強行軍だった。
うん、そりゃ疲れるわ。
眠くなってしまったら頭の回転も鈍くなる。こんな時はさっさと寝て、目が覚めてから考え事をした方が効率がいい。
俺はランプの灯りを消して、ベッドに潜り込む。
万が一、ティーウォンドが夜這いをかけてきたら……ラービ、金的を蹴りあげろ!レイ、ケツに槍をぶちこんでやれ!
もちろん、俺も殴りに行く!
あいつらに届く訳ではないだろうが、そんな事を考えながら俺は眠りへと落ちていった。
…………………。
カァーン!カァーン!カァーン!
突然、けたたましい鐘の音が鳴り響き、俺は眠りの世界から引き戻される!
どれくらい眠っていたのか……窓の外を眺めてみると、わずかな日の光が差し込み、うっすらと明るくなっていた。少なくとも数時間は眠れたみたいなので、俺は上体を起こす。
鐘の音はまだ鳴り響いていて、慌ただしく動く大勢の人の気配がする。
これはただ事ではないな?
何事かは解らないが、ベッドを飛び出して手早く鎧を身に付ける。そしてラービ達と合流すべく、部屋を出た所でダリツと出くわした。
「おお、カズナリ!すまないが、君たちの力を貸してくれ!」
一体、何事かと訪ねると、ダリツは少し呼吸を整えてから口を開いた。
「アンデッドの……アンデッドの群れがこの砦に向かって集まって来ている!」
な、なんだってー!
昼間に昨日の昼間に戦ったばかりだってのに、またアンデッド?
「どうなってるんだ?この辺は、そんなにアンデッドが出現しやすいのか?」
ダリツに問うが、彼は首を横に振る。
「いや、こんな事はめったにあるもんじゃない!それに通常なら五、六体程度の群れだが、今回は百体以上も集まって来ているし、人以外のゾンビも確認されている!」
百体!そして、人ならざるゾンビ!
それは確かに異常だ。ふと、昼間のハルメルトの村での戦闘が思い出される。
「一成!」
名を呼ばれ、そちらの方を見ればラービ達が駆けて来る姿があった。すでに戦闘可能な格好をしているあたり、異常事態である事を何となく察したんだろう。
ダリツはもう一度、ラービ達にも現状を話す。
それを聞いたラービ達も、昼間の戦闘を思い出したようだった。
「どう思う?」
「……例の蟲の仕業かもしれんな」
やはりそう思うか……。
死体に寄生してそれを操り、やがてその死体と融合してキメラ・ゾンビとなる寄生虫。自然発生したのではなく、人工的に作られたであろうその蟲は、既に大量生産されていたのか……。
いや、もしかしたら普通に交配して増えたのかも……?
だとしたら最悪だ!
死体が死体を増やし、さながらゾンビ映画の如くねずみ算式にその数は増えていくだろう。
「とにかく、急いで迎撃しよう!街に入られて感染が拡大したら手に負えなくなる!」
「感染?なんの事だ?」
不安を隠しきれないダリツが問いかけてくる。
「昼間にハルメルトの村であった事は話したろ?あれと同じことが起きている可能性が高い」
それを聞いてダリツは納得し、そして現状がいかにヤバイかを理解したようだ。
「寄生虫の仕業とはいえ、ゾンビがゾンビを増やすなんて……最悪だ」
ダリツが憎々しげに吐き捨てる。
ゾンビ映画ではお馴染みの設定だが、この世界では違うようだ。
まぁ、確かに恨みや呪いで死体が起き上がるのは個人的な事情だろうし、ウイルス的なものでパンデミック!の方が現代人特有の発想で珍しいのかもな。
まぁ、その辺の楽しそうな考察は後回しだ。今はゾンビ討伐に全力を注がねば!
念のため、ハルメルトはここに残して怪我人が出たらそちらに手を貸すよう頼んでおく。
……ゾンビを見て昼間の辛い思いがフラッシュバックしたらキツいからな。
「よし、行くぞ!ダリツ、案内を頼む!」
頷き、先導するダリツの後を追って俺達は駆け出した!