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「と、とりあえず、お互いの紹介は終わったんだし、今後の事について話し合うとしよう!」
場の空気を変えるためか、ダリツが取り繕うように宣言した。
確かに今は決めなくてはならない事が多いし、あのスケベ野郎の事は一旦置いておかなければな……。
だからラービに色目を使っているティーウォンドを刺すように睨み付けるだけで済ませ、先ずはブラガロートへの追跡にどれだけの人員を出せるかの話し合いを始める。
「すまないが、僕がこんな有り様ではこの砦から出せる人員はゼロだ。下手に兵を出せば防衛はおろか、都市機能その物が麻痺してしまう」
常時千名ほどが駐屯しているらしいこの砦だが現在は、調査に防衛、被災した住民の仮住居の設営、流通を切らさぬための商隊の護衛など、多岐に渡って出払っているそうだ。
なるほど、個人的には気にくわない相手だが、この砦を指揮する者としては素直に感心する。
個人的には気にくわないが。
「まぁ、僕が動けるならば多少は融通が利いただろうが、恥ずかしながらこの有り様ではね……」
自嘲ぎみに笑うが、あのイスコットさんとブラガロートの英雄を相手に生きているだけでも正直、大した物だ。
「あの……それでしたら、この薬を試してはもらえないでしょうか?」
おずおずとハルメルトが手を上げながらポーチをまさぐり、一本の小瓶に入った薬を取り出す。
「これは……?」
「わ、私の薬学の師匠と開発した新しい回復薬です。この薬ならば、怪我の治療と体力の回復を同時に行えます」
薬学の師匠とは、マーシリーケさんの事だろう。確かあの人の世界の魔法だけじゃなく回復薬なんかにもハルメルトは興味を持っていたしな。
「効能については、私が自分で試したので安全です。どうぞ……」
「ありがとう、お嬢さん。早速試させてもらおう」
そう言うと、ティーウォンドは瓶の中身を一気に飲み干す。
「!!」
次の瞬間、カッと目を見開き、驚愕の表情を浮かべながら包帯の上から自身の体をなで回した。
「つっ……まだ痛みはあるが……かなり軽くなってる」
体の調子を確かめるように各部位を曲げ伸ばししながら、信じられないと呟くティーウォンド。
異世界チートってやつの一種だろうか?
どうやらマーシリーケさんの世界の技術は、この世界では革新的な物みたいだな。
「治療と回復が同時に行えるとは……これがあと数本あれば完全復帰できそうだ」
少し期待した目付きでティーウォンドはハルメルトを見るが、彼女は申し訳なさそうに頭を下げる。
「ごめんなさい、まだ試作の段階なので今飲んだ分しかないんです」
詫びるハルメルトに、ティーウォンドは優しく頭を上げるよう声をかけた。
「いや、むしろそんな貴重な薬を提供してくれてありがとう。回復が早まっただけでも、とてもありがたいよ」
「そうじゃ、一成の持っている特注品ならすぐに全快するかも知れんぞ」
突然、ラービが口を開く。
特注品ってもしかして黄金蜂蜜を使った『限定解除』用の回復薬の事を言っているのか?
なんで数も少い貴重品をこんな野郎に……。
いきなりのラービの言動に戸惑っていると、肩に触れた彼女の手から念話となった言葉が流れ込んでくる。
『冷静に考えよ。いまアヤツを全快させて恩を売っておけば人手が借りれるかもしれんし、様々なバックアップを受ける事ができよう』
むぅ……それは確かに……。
『それにアヤツが女に甘く男にキツいタイプというのは雰囲気で解る。じゃが、一成からもらった薬で回復したとなれば、ヌシに対する印象も変わろう』
そこまで考えてたのか……。
まいった……さっきは少し揉めちまったが、俺よりも全然ラービの方が冷静になってた。
ふぅ……。せっかくラービが場を作ったんだ、もったいないが助言に従ってあのスケベ野郎に恩を売っておく事にしよう。
自分のポーチから黄金蜂蜜製の回復薬を取り出しながら歩を進めてティーウォンドの前に立つ。
「これだ。試してみるといい」
「へぇ……ありがとう」
一見、人畜無害そうな表情で薬に手を伸ばしたティーウォンドは、それを受け取ろうとした瞬間、俺にだけ聞こえるような小声でポツリと呟いた。
「そんな良い物があるならさっさと出せばいいものを……。その顔つきに違わず愚鈍な男だな、君は」
……あれ?俺、喧嘩売られてる?
やや、困惑する俺にティーウォンドは小声でさらに続ける。
「彼女……ラービさんは君と親しいのかな?愚鈍な男に引っ掛かるとはなんとも不幸な事だ。彼女は僕が幸せにするから、君はとっとと身を引くというのが賢明な判断だと思わないか?」
……よーし、喧嘩売ってるんだな?上等だ!
「あんたもコルリアナみたいに手合わせでもしたいのか?遠回しな挑発は止めてストレートに来いよ」
胸元をつかんで、座るティーウォンドを引き起こす!
と、次の瞬間!
「ぐあぁぁぁぁっ!」
突然、ティーウォンドは苦しげな声を上げて顔を歪めた!
「何をしておる!相手は怪我人じゃぞ!」
慌てたラービが俺達の間に割って入り、負傷しているティーウォンドの体を支える。
しまった……やられた!
俺を非難するように見つめるラービの死角で、糞野郎の顔が笑顔の形に歪む。ご丁寧に、ハルメルト達からも見えづらく、俺にだけ見せつける様に!
セコいと言うか、芸が細かいと言うか……とにかく、俺は奴の仕掛けにハマって株を落としたのは確実だった。
「ありがとう、ラービさん。もう大丈夫です」
大丈夫と言いつつ、ラービの手にさりげなく自分の手を重ねて、奴は離れようとしない。
「少しばかり回復したもので、調子に乗って彼を刺激してしまいました。彼があんなに熱い男だったとは、読み違いだったみたいで恥ずかしい事です……すまなかった、カズナリ君」
あくまで爽やかに!自嘲するように奴は軽く頭を下げる。
やってくれる……。
俺の株を落としつつ、非は自分にあったと見せかける事で謙虚さと潔さをアピールして自身の株を上げる……今時、少女漫画のキャラにも見かけなくなったテンプレ糞野郎の存在に、俺は二の句が繋げなくなってしまった。
いかん……こんな場合、下手に取り繕おうとすれば、ティーウォンドに口を挟まれて更なる墓穴を掘ることになる。
だから俺は女性陣に「とにかくティーウォンドには気をつけて!」とだけ告げ、ダリツに部屋の外に付き合うように合図をした。
バツの悪そうな顔をしながら俺と共に部屋の外に出たダリツに詰め寄るように問いただす。
「アイツは一体、なんなんだ?何が目的で俺達を引っ掻き回そうとしているんだ?」
まさかラービに一目惚れしたから俺を排除しようってんじゃないだろうな?
強大な権力を持ち、英雄とまで呼ばれた戦士がそんな単純な話はないだろうが……。
「多分、ティーウォンド殿がラービに一目惚れしたのかと……」
単純な話だった。
「あのティーウォンドという人は、普段は老若男女、誰にでも優しく面倒見も良い人なんだ。自他共に厳しい所もあるが、上からは信頼され下からは慕われる清廉潔白な名士でもある」
マジか?俺に対する態度とは全く違うじゃないか!
「ただ……一つ欠点があって、女性に惚れるといかなる手段を用いてでも添い遂げとする。仮に女性にパートナーが要れば、全力をもって排除し、女性を自分に惚れさせようとするだろう……しかもその行為は彼の中では完全に正義だから更生もしない……困った人なんだよ」
困った人の一言で片付けるなよ!
なんで、そんな完璧超人なのに色恋沙汰だけサイコパスっぽいんだよ!
『五剣』、『七槍』、『六杖』……この世界最高戦力の戦士達にまともな奴は居ないのか!どいつもこいつも欲望に忠実すぎるだろうに……。
「……なんにせよ、ラービをアイツの毒牙にかける訳にはいかない。そこは解ってるよな?」
「わ、解ってる。ティーウォンド殿には、俺からも自重してもらうように言っておこう」
殺気に近いプレッシャーを放ちながら俺はダリツに強く迫り、これ以上ティーウォンドに好き勝手させないよう協力を取り付ける。
ったく、イスコットさんも助けなきゃならないのに、余計な心配事を増やされたらたまらんわ。
ため息をつきつつ、さっさとブラガロートに向かうべく手筈を整えようと、ティーウォンドと打ち合わせをするべく再び部屋の扉を開いた。