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ざっと見、ゾンビの数は三十体ほど。
この規模の村ならばもう少し多くの人口があったと思うが、村人の全員がゾンビになったわけでもないだろう。
迫り来るゾンビ達を迎え撃つべく、俺は前に出る。
「ワレも……」
ラービが言いかけたところを、手で制した。
「お前はレイと一緒にハルメルトを守ってやってくれ……頼むぞ!」
俺の発言を意を察して、ラービは頷いた。
ハルメルトは一度、今まで住んでいた村が壊滅し、家族や親しい隣人と死に別れるという辛い思いを味わっている。今回、ゾンビとなった村人の存在、そしてそれを倒さなければならない状況は、心の傷を抉り返して辛い記憶を追体験させる事だろう。
さすがにまだ十代前半の彼女には、その精神的負荷に耐えられずに壊れてしまうかもしれない……。
だから、なるべくハルメルトには俺達と村人ゾンビとの戦いを見せたく無かった。
幸い、ゾンビの動きは素早く走ったりやたら狂暴な昨今のアクティブタイプのゾンビではなく、ゆっくりとした動きと数の力で押してくるタイプのオーソドックスなやつだ。
ならばこの程度の数、今の俺なら五分で倒し尽くせる!
「御主人様、噛まれたり体液が口に入るような状況には気を付けて下さい。感染するかもしれません!」
マジか!こんな異世界のゾンビにも俺の世界の映画みたいな法則があるのか!
てっきり、魔力とか死霊とかそういう物で死体を動かしているのかと思ったが、これは注意しなくては……。
「レイ、一成の世界のゾンビは、基本的に作り話の産物じゃぞ……」
横から掛けられたラービの声に、「そうなんですか!」と言った表情で驚愕するレイ。
なんだよ、元は俺の知識かよ!
どうもレイや彼女の使役する骸骨兵達は、俺の娯楽関係の記憶や知識に引っ張られている気がする。よほど楽しみの飢えていたのだろうか……。
ふと、異臭が俺の鼻を突く。気がつけば、もう十数メートルくらいの距離までゾンビ達は迫っていた。
呻き声と共にポトポトと腐汁をたらし、ただ目の前の俺を食らわんと大きく口を開けて近寄ってくる。
視覚的な見た目だけならば、その手の映画で慣れている。しかし、実際のゾンビは臭いや質感といった視覚以外の五感に訴える不快感が凄まじい。
蟲脳による精神安定の効果が無ければ、とてもじゃないがまともに対峙できなかっただろう。
ハルメルトの為にも、俺の為にも素早く戦いを終わらせるに限る!
駆け出した俺は、間合いに入ったゾンビの頭を速やかに粉砕すべく、拳を振るう!
寸分違わずゾンビの頭にヒットした俺の拳は、まるで腐ったかぼちゃでも砕いたような感触でその頭部を破壊し、血やら何やらを撒き散らす!
ひ、ひいぃぃぃぃっ!
自分でやっといてなんだが、ゾンビとはいえ頭を砕く感触や拳にまとわりつくベッタリとした腐汁の気持ち悪さは精神衛生上、非常によろしくない。
精神安定の効果が効いている俺でさえ背中が粟立ち、軽い吐き気を覚えるのだから、普通の人がゾンビと素手で戦ったら卒倒するんじゃなかろうか?いや、ゾンビと素手で戦う方がおかしいのかもしれないが。
海外のゾンビ映画で銃をぶっ放すシーン、あれは威力もさることながら精神的ダメージを軽減する為なんだな……と、変な感心をしつつ、俺は無心でゾンビ達の頭を砕き続けた……。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……。
成仏しなっせと内心で拝みながら、最後のゾンビの頭を砕く!
仏教が無い異世界でこんな御題目が通じるのか甚だ疑問ではあるが、「弔いは死者に必要なのではなく、生者がけじめをつけるために必要なのだ。死者に対する気持ちがあるのなら、どのような形でも問題はない」と聞いた事があるから、まぁセーフだろう。
この世界の宗教観はよく解らんから、下手にちゃんとした手順を取ろうとして拗れるよりは良いよな、うん。
哀れなゾンビとなり、二度目の死を迎える事に成った村人達に対して手を会わせる。ニチャリとした体液の感触は一旦、忘れよう。
さて……ハルメルトに少し相談しなくてはならない。村人達の遺体を、火葬にして良いかどうかを……だ。
土葬文化が普通らしいこの世界では、ひょっとしたら火葬という行為は死者への冒涜にあたるかもしれない。
少なくとも、この世界で死体を焼却する行為は魔人相手位にしかやってないみたいだしな……。
だが、こうしてゾンビとなってしまうリスクや、伝染病の蔓延等の危険性を考えれば、やはりちゃんと火葬した方がいいとは思う。とは言え、遺族代表的な立場のハルメルトの気持ちも尊重してやりたい。
だから、彼女に相談しようと後方に振り返ったその時、ふいに頭部を失った死体がピクリと動いたのが視界の端に入る。
「!?」
慌ててそちらに再び目をやると、倒れているゾンビ達が、再度起き上がろうとしている所だった!
なにぃ!マジか!
異世界のゾンビは頭を失っても動き出すのか!?
それとも、この世界から見て異世界の宗教である「南無阿弥陀仏」の御題目では成仏出来なかったか?
「御主人様、右より新手のゾンビです!」
動揺していた俺の耳に届いたレイの声にそちらを向けば、未だに残っている家屋から数体のゾンビがノロノロと姿を現す。
くっ……これはあれか、ゾンビの全身をバラバラに砕かなきゃ止まらないってやつなのか……?
正直、それを想像するだけで心が削れていきそうだ……。
「お姉ちゃん!」
不意にハルメルトの叫び声が響いた!
お姉ちゃん?
ハルメルトの言葉に新手のゾンビ達を見渡すと、その中に一人どことなく見覚えのある女性がいた。
俺がこの世界に召喚されたばかりの頃、初めて出会った二人の女性……一人はハルメルト、そしてもう一人は彼女の姉らしき人物。服装こそあの時とは違っているが、やはりこの長い黒髪の美女はハルメルトの姉だったのか。
だが、彼女はあの時とはすっかり変わり果てた姿を俺達の前に晒していた。
初見でも印象深かった美女の面影は無く、艶やかだった黒髪はボサボサに乱れ、白い肌は土気色に染まり、知性を宿していた瞳は白く濁みきっている。
崩れ掛けた顔の肉の間にはウゾウゾと小さな虫が沸いていた。
死んでしばらくすれば皆そうなるのかもしれないが、それにしたって生前との激しいギャップには切なくなる気持ちを禁じ得ない。
「ハルメルト……悪いがここからはもっとキツくなるぞ。だから、辛かったら目を閉じておけ」
声を掛け、頭部を失ったゾンビと新手の動く死体を前に、俺はコイツらを動かなくなるまで砕く覚悟を決める。
今後ゾンビ映画は観れないな……と、内心でため息をつきながら一歩踏み出した時、唐突にゾンビ達に変化が現れた!
グジュグジュと気味の悪い音を立てて、頭の無いゾンビの傷口から触手のような物が姿を現す!
だが、それはよく見れば触手ではなく、十数匹のミミズのような虫だった!
それらが身悶えするように蠢くと、死体が操られるようにして俺の方に歩み寄る。いや、「操られるよう」にではなく、コイツらが死体を操っているのだろう。
死体に巣くって虫が動かしていたなら、道理で頭を吹き飛ばしてもダメな訳だ。
だが、ゾンビに現れた変化はそれだけに止まらなかった。
俺に向かって伸ばしていた死体の指がズルリと剥けて、脱皮するかのように皮膚の下から虫の鉤爪みたいな新しい指が現れる!
さらに新手のゾンビ達にもカブトムシのような角が生えたり、甲虫のような皮膚の変化がみられ始めた!
まるで虫とゾンビの合成獣のような集団の中、当然だがハルメルトの姉にも変化が訪れた……。
ピリピリと口元が耳まで裂け、ムカデと牙の様な突起物が伸びてくる。金属質な音を立てて噛み合う、ナイフのようなその牙からは、毒とおぼしきトロリとした紫色の液体が垂れていた。
豊かな胸の双丘の下から、皮膚を破って昆虫の脚みたいな副腕が飛び出しキチキチと軋む音を立てながら蠢く。
人としての面影を残している分、より一層グロテスクな外見と成った死体の集団。俺はこのヘドが出るような光景にある人物を思い出す。
だが、今はこの状況を何とかするのが先決だ。
後ろから聞こえてくる、ハルメルトの嘔吐と嗚咽する声が俺の背中を叩く。目の前の悪趣味が過ぎる悪夢を終わらせるために、俺は再び拳を握り先程のように……いや、先程以上に力を込めて拳を握りながら駆け出した!