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いよいよ俺達を乗せた馬車は大街道へと合流したらしい。後はこの街道の付近に点在する町で宿を取ったり、物資を調達しながら王都を目指す。
ちなみに「らしい」というのは、俺が自身が大街道に入った事を確認したわけでは無いからだ。
というか、それどころではなかった。
「グハアッ!」
ラービとの回線を切り、大きく息を吐き出した俺は、弾かれたように床の上にぶっ倒れる。ゼーハーと荒く呼吸を繰り返し、滝のように流れる汗を拭き取る余力も無い。
「どうした一成、まだ脳内組手は二百戦しかしとらんぞ」
こちらも疲労が目に見えているが、ポタポタと汗を滴らせながらも、ラービは挑発するように声をかけてくる。
「少し……休憩……だ。頭が……焼き切れ……そうだ……」
オーバーヒート状態の蟲脳にズキズキとした痛みが走る。
ここ半日の間、ぶっ通しで先程ラービが言ったように二百戦の脳内組手を行った訳だが、その内容が濃すぎた。
以前、行っていた脳内組手は、俺達が使っている「なんちゃって拳法」を実戦で使えるくらいに昇華させる為の、謂わばトレーニングモードだった。しかし、今回の脳内組手は、実戦さながらのハードモード。
中国拳法に限らず、空手、柔道、柔術、ムエタイ、ボクシング、マーシャルアーツ、プロレスなど、俺が知っていたり見たことがある格闘技を総動員し、尚且つ指折り、目潰し、金的と急所攻めもオールOKな、ルール無用の残虐ファイト仕様である。
連続で行われたそのハードモード脳内組手は、実際に肉体に損傷こそは無いものの、精神的なダメージはかなりの物だった。
なんせ二百戦中、二十五回は死ぬレベルの攻撃を食らい、十八回くらいは死ぬレベルの攻撃を加えたのだ。勿論、脳内のイメージトレーニングではあるのだが、トレーニングモードとは違って受けるダメージも与えるダメージもリアルな手応えを持っていた為、精神的な疲労が半端ではなかった。
しかし、大量の汗を流してはいるがラービの本体である蟲脳のヤバそうな状況とは裏腹に、目の前のラービは俺ほどのダメージを受けてはいないように見える。
やはり、本体とスライム体は別物としてうまいこと切り分けているのかもしれない。
「わあっ!ラービさん、一体どうしたんですか!」
訓練が一先ず休憩になったのを見計らい、水を持ってきてくれたハルメルトが驚きの声を上げる。
「ラービさんのスライム体、溶けてきてるじゃないですか!は、早く水分補給しないと!」
って、おい!あれ、汗じゃなくて溶けてたのかよ!
「う、うむ……そういえば確かに暑いとは思ったが、ワレは溶けていたのか……」
自分の状態がいまいち解っていないように呟くラービに、手持ちの水では足りないと、別のスライムを呼び出して点滴のように水分補給させるハルメルト。
うん、やっぱり蟲脳が不調になれば、スライム体にも影響は出るんだなぁ……。
流石にすぐさま脳内組手を再開する訳にもいかず、携帯食みたいな昼食をすませると再び床に寝転んだ。ラービも俺の隣に陣取り、真似するようにゴロンと寝転がる。
「いや、以外にキツかったの。まさかこの体が溶け始めるとはな」
ラービ自身も蟲脳がどれくらいでオーバーヒートするが知らなかったのだろう。
ある意味、この辺が限界といったラインが解ったのは不幸中の幸いと言えるかもしれないな。
「もー、あんたら何をやってるのよ」
寝転がる俺達の元に、マーシリーケさんがやって来て呆れたような声で話しかけてきた。
「ほら、これを飲んでおきなさい」
そう言って俺に手渡したのは、あの黄金蜂蜜を使った回復薬だ。だが、これは肉体疲労時の滋養強壮が目的の薬だったんじゃ……?
「あんたらの今の状況は、蟲脳の酷使による過労と栄養失調が原因と見たわ。だからこの薬で回復させた後にゆっくりと休みなさい」
おお……なんかマーシリーケさんが医者みたいだ。いや、前線を駆ける軍医みたいな物だったか?
まぁ、ともかく今の状態から脱出できるなら大歓迎だ。俺は受け取った薬を一息に飲み下す。と、同時に、ひさしぶりの極上の甘味を取り入れ、俺の全身の細胞が喜ぶのを感じる!
特に蟲脳に染み入るような感覚は、今までに感じた事の無い心地よさがあった。
あ、ヤバイ。メチャクチャ眠くなってきた。
蟲脳が栄養補給の後は、回復の為の休憩を欲しているのがわかる。
「悪い、ラービ……少し寝る……」
まだ、脳内組手をやりたがっていたラービに一言詫びて、自分ではどうにもできない睡魔にその身を委ねる。
起きたらどっかの町に到着してるかな……などと考えながら、俺の意識は闇に溶けてぷっつりと切れた。