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死んだのかな……?
最初に浮かんだのはそんな言葉。
恐る恐る様子を窺う為に近づこうとした時、落ちてきた人影を追うようにマーシリーケさんが上空から降りてきた。
状況からして、彼女がこいつを叩き落としたんだろう。と言うことはこいつが、ゴブリン達を率いていた黒幕か?
チラリとローブの人影に目をやると、僅かながらに動き出そうとしている所だった。
「捕縛!」
マーシリーケさんの指示が空気を切り裂くような鋭さをもって飛ばされる!
俺達の戦いに呆然としていたダリツ達が、叩き付けられた指示にハッとなり、慌てて準備していた捕縛魔法を発動させた。ついでにハルメルトが再びバインド・スライムを召喚し、ローブの人影に向かわせる!
ダメージと捕縛魔法、スライムによる物理的な拘束と三重に絡めとられ、敵は身動きひとつ出来ない、四つん這いの状態で固定された。
「まあ、これでひとまず安心かなー。カズナリにラービも御苦労様」
一仕事終えたバイト上がりみたいな軽さで、マーシリーケさんが俺達の方に歩いてくる。
そこかしこに散らばるゴブリンやオーガの死骸、その破片などを踏まぬようにして俺達の前に立ったマーシリーケさんは、僅かにその端整な顔をしかめて見せた。
「二人とも、返り血やら何やらでドロドロじゃない。まだまだ甘いわねー」
そう言うマーシリーケさんは、確かに血の沁みひとつとない綺麗な外見を保っていた。
今回は急襲だった事もあり、以前の女帝母蜂と戦った時のような目のやり場に困る(困らない)戦闘装束ではない。
いつもの動きやすそうな普段着に、いつもの白衣に似たローブ。普段と同じ格好で、彼女は俺達を包囲していた後方の魔人の群れを相手取ったというのに、血の一滴もその身に受ける事無く奴等を倒した。正直な感想を言えば、彼女は正に化け物である。
同じ蟲脳でチート能力を得てはいるが、マーシリーケさんや、彼女に匹敵するイスコットさんに追い付ける日は来るのだろうか……。
「ほら、二人とも、こっちにいらっしゃい」
マーシリーケさんは俺達を連れて、魔人惨殺ゾーンから少し離れる。そして、俺とラービに向けてとある魔法を発動させた。
彼女の手から放たれたキラキラ光る霧のような物が俺達を包み込み、魔人達の返り血や泥に土煙といった戦いの痕跡を洗い流していく。
その霧が消滅した時、俺達はまるで清水で体を洗ったかのような清々しさと、洗濯したように綺麗になっている服に身を包まれていた。
今の魔法は何かと尋ねると、彼女は『洗浄魔法』だと教えてくれた。
「これは戦地で治療する時によく使われる魔法なんだよねー。水がない場所でも傷口を洗ったり、不衛生な着衣や装備品を綺麗にするためにね」
なるほど、確かに医療の現場では清潔が一番だ。この魔法はある意味、一番重要な魔法なのかもしれない。
さすが元の世界で医療部隊の副隊長!
「うん、うん。綺麗になった。特にラービは女の子なんだから、いつもの身綺麗にしとかなくちゃね」
そう言ってラービの頭を撫でるマーシリーケさん。その、溢れんばかりの姉オーラに、俺もラービも胸の高鳴りを覚えた。
思わず「姉御」と叫んで、その包容力に身を任せたくなるが、すでにガキとはいえない年齢の俺はしっかり自制しなければ!
「姉御ー!」
しかし、己を律しようと堪える俺を尻目に、ラービがマーシリーケさんに抱きつき、その豊かな胸に顔を埋める。
ずるい!
思わず叫びそうになるのを堪える!同性だったらセーフだとでも言うのか!
……うん、セーフか。
しかし、ここで暴走しそうな思春期の頭脳が冷静に計算を始める!
戦闘直後の開放感、溢れんばかりのマーシリーケさんの姉オーラ、先に抱き付いているラービの存在……。
いける!今ならどさくさに紛れて、俺も抱き付ける流れだ!
乗るしかねぇ……この、ビッグウェーブに!
「姉御ー!」
あくまでも自然に!下心を隠して、感極まったような表情で!
ミッション成功まで後、数歩!と、そこで
「そりゃあ!」
突然放たれたラービの蹴りを受け、俺の体は宙に舞う。
数メートルほど飛ばされるも、なんとか着地してダメージを押さえる。
と、突然、何をするんだこいつは!
困惑と腹立たしさを覚えて、俺はラービに向かって突き進む!ラービも憮然とした表情で俺に向かって歩を進めて来た!
俺とラービは向かい合い、どちらからとは言わず、四つ手に組んで力比べのような体勢になる。
一見すれば男の俺が有利だが、スライム体であるラービは見た目では判らないが自在に重心を移動させて力を流し、反転させてくる。
一進一退の静かなる攻防。やがてラービが口を開いた。
「何をするつもりだったのかの、一成や」
「なぁに、俺もお前達と勝利の喜びを分かち合いたいだけさ」
「にしては、下心丸出しだったがの!大体、ヌシの情欲をぶつけるなら、まずワレに来るのが筋ではないかえ!」
「フルオープンでウエルカムなんて、女の方から言われてもおっかなくて素直に行けるかよ!大体、いろんな初めての相手がスライム体ばかりとか、悲しすぎるだろうが!」
「確かにスライム体ではあるが、ワレの姿はヌシが理想とする美少女の極みぞ!それに手を出さんとは、ビビりが過ぎるのではないかの!」
「外見だけならな!だけどお前はある意味、俺の分身みたいな物だろーが!そんな特殊な自慰行為に走るほど、落ちぶれちゃいねぇよ!」
「はー、童貞様は言うことが一味違うのぅ!」
「ど、どど、童貞は関係ないだろうが!」
ギリギリと力比べをしながらギャアギャアと言い合う俺達二人。
後にして思えば、こんなもん、端から見たら痴話喧嘩そのものだったろう。
拘束された敵も含めて、呆れ返った視線と空気に俺達が気付くのはもうしばらく後の事だった。




