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「乱心なさいましたか、ナルビーク様」
静まり返る戦場で、一人の英雄が前に歩み出てきた。
確か、五剣の筆頭ラブゼル。
厳しい表情の彼女は、返答したいでは王族でも容赦しないといった気迫を纏っている。
「乱心などはしていない。強いて言うなら、少し素直になっただけだ」
しかし、そんなラブゼルの眼光などどこ吹く風といった感じでナルビークは受け流す。
もはや、余裕というより馬鹿にしているといったレベルの態度に、ラブゼルは眉をひそめた。
「そうですか……」
改まりそうにないナルビークの言動を理解して、彼女は残念そうにため息を吐く。
「聡明な御方と思っておりましたが……せめて痛みは感じさせませんので、動かないでください」
キャロリアの命令を待つまでもないと、ラブゼルはその手に剣を下げてナルビークに近づいていく。
その動きに呼応するように、各国の英雄達も自国の王に害を成した乱入者達を牽制していた。
「よく狙え、ここ……」
思いっきり挑発しながら首筋を晒すナルビーク。そして、その言葉が言い終わる前に、ラブゼルの剣が一閃した!
一瞬先の未来で、ナルビークの首が飛ぶ光景が見えた気がする程の一撃!
だが……。
「!」
ラブゼルの表情が驚きと戸惑いに彩られる。
そしてそれは、襲撃者達以外の全員に共通した表情だった。
それほど見事な一撃だったというのに、彼女の剣はナルビークの首を飛ばせていない。
いや、それどころか皮一枚すらも切り裂けていなかった。
確かに全力で斬りつけた訳ではないだろうが、それにしても無傷というのは予想外過ぎだろう。
その驚愕する英雄の表情を堪能したナルビークはにんまりと笑った。
「ククク……英雄だ神器だと気取ってはいても、所詮はこの程度だよな……」
嘲る彼の……そして襲撃者達の肉体が変化していく。
華奢とまでは言わないが細身だった男達の筋肉が盛り上がり、どんどん巨大化して三メートル程の高さまで伸び上がっていった。
爪や牙が鋭さを増し、魔獣の王族とでも呼ぶに相応しい容貌を携えて狂暴な笑みを湛える。
そんな野性的な変化とは逆に、女達は白鳥のような羽を生やし、ドレスを纏う汚れない純白の花嫁を想像させる神々しさを見せていた。
見とれてしまうほどの……一枚の名画のような神秘的な変化遂げた彼女等は、ふわりとその身を空中に浮かばせる。
悪魔のような黒い体躯の魔獣。
天使のような白く荘厳な風貌。
俺達はこいつらを……この種族を知っている。
「天魔神と……地魔神……」
俺と同時に奴等と遭遇したイスコットさんが緊張した声を漏らす。
そう、俺達をまさに死の寸前まで追い詰めた伝説の魔神。
それがあの時より多い六体……三倍の脅威となってこの場を支配していた。
濃密な……文字通り空気が重く感じる程の重圧感を漂わせながら、魔神となったナルビークは英雄達を見回す。
『怯えるのも無理はない、これが神の威光というものだからな……』
以前、地魔神と化したヤーズイルとは違い、ナルビークには自我が残っているようで唸るような声で呟いた。
誇らしげな彼を前に、虚勢を張る英雄はいない。
誰もが認めているのだ、目の前の魔神は英雄よりも強いと。
『幸い、我々は慈悲深い。だから貴様ら、哀れな英雄にもう一度選択肢を与えてやろう』
圧倒的な力を持つ者の余裕からか、魔神達は再び英雄達に問うた。
下僕となるか、死か。
だが、誰一人として彼等にひざまづく者はいない。
英雄達は皆、知っているのだ。
相手が自分よりも強い事というが、諦める理由にならないことを。
『愚かな……』
戦う意思を放棄しない英雄達に、呆れているのか哀れんでいるのか……ナルビークは芝居がかった態度で天を仰いだ。
『ならば、お前達の旗印をへし折ってから蹂躙してやろう』
恐怖では英雄の心を折れない事を悟った魔神は、その忠義を捧げる相手に狙いを変える。
つまりはキャロリア達に、だ。
ようするにあれだ、護るべき者を護れなかった無力さと、英雄よりも強いと思われる神獣殺しを排除する事で英雄の心をボロボロにしたいんだろう。
どんだけ英雄にコンプレックス抱いてたんだ、こいつは。
狙いが俺達に向いた事に、ラービがビクリと怯える。
そのまま彼女は小刻みに震えるが、まぁ無理はないと思う。
なにしろ、こいつは一度、魔神達に食い殺されているんだからな……。
上手いこと復活出来たとはいえ、その恐怖感は拭えなくても仕方があるまい。
だから俺は、震えるラービの手をギュッと握りしめた。
驚いた表情で俺の方に振り向く彼女に向かって、俺は力強く頷いて見せる!
「安心しろ、今度は必ずお前を守るさ……」
その言葉を聞いたラービの震えが収まり、代わりに顔がみるみる赤くなっていく。
んん……今のは我ながら、かなり決まったのではないだろうか?
ラービさんも(やだ、かっこいい……)って顔をしてらっしゃるし。
だが、そんな俺達のやり取りを知らぬ魔神達の中から、キャロリア達の首を取るべく一体の地魔神が跳んできた。
確か、耳長族の反逆者……カルマッタとかいう奴だと思う。
英雄達がその動きに対応しようとするが、残る魔神達が威嚇してその行動を封じる!
『族長……いや、テナーロ』
俺達の近くに降り立ち、族長さんを本名で呼びながら、地魔神は涎を啜る。
『お前をようやく自由にできる……じっくり遊びたい所だが時間もないのでな、軽くいたぶったら頭から食ってやろう』
涎と鋭さでギラつく牙を見せながら、地魔神は王族達に近づいていく。
させないけどな。
「おい……」
一応、声をかけてやる。
だが、カルマッタはこちらを一瞥しただけで、ほぼ無視してくれた。
多分、好きに攻撃させて力の差を見せつけるつもりなんだろう。
「……この、馬鹿がっ!」
その、貴族っぽいの思い上がりが命取りだ!
俺の頭の中で鍵が外れるような音がイメージとして響く!
全力全開で『限定解除』を発動させた俺は、その無防備な膝頭に渾身の『頂心肘』を叩き込む!
ボゴン! という鈍い音と共に魔神の膝は砕け、ぐらりと体勢を崩す。
そうして晒した無防備なわき腹目掛けて、今度は全開の『鉄山靠』をぶち込んだ!
『ごばぁっ!』
苦悶の表情を顕にし、呻き声とヘドを撒き散らしながら地魔神の巨体が宙に浮く。
そうして倒れ込んだ先に待ち構えていたのは、仮面の戦士マスクド・カコウトンことリョウライである!
自身を下敷きにするように落ちてくる魔神に対して、『限定解除』と似たような能力を付与する『神器・竜爪』を発動させた彼は、絶妙なタイミングの『崩拳』で魔神を打ち落とす!
地面を転がるカルマッタに、『神器・赤の槍(改)』を振りかざしたイスコットさんが迫っていく!
ようやく体勢を立て直した魔神は、それを迎撃するため右腕を振るおうとするも、その右腕の感触が無い事に気付いた。
なぜなら、奴の腕は『神器・虎爪』を身に付けたマーシリーケさんによって誰にも気付かれる事無くズタズタに引き裂かれていたからだ!
辛うじてぶら下がっているだけの右腕に戦慄しつつも、迎撃することを諦た魔神は、イスコットさんの一撃を防ぐために左腕でガードを固める。
が、横凪ぎに振るわれたイスコットさんの斬撃は、ガードした左腕ごと、カルマッタの首をはね飛ばした!
驚愕の顔つきで舞った地魔神の首は、ドスンという鈍い音を立てて地面に落ちる。
よっしゃ、トドメだ!
「ラービさん、やーっておしまい!」
「応ともよ!」
返事をしながら、ラービは取り出した『神器・蟲の杖』を発動させる!
それに応じた無数の蟲型魔獣が何処からともなく呼び出され、一斉にカルマッタの生首へと殺到していく。
『…………………………!!』
なまじ生命力の強い魔神だからこそ首を飛ばされてもまだ意識は在ったようだ。だが、それゆえ群がる蟲達に貪り食われる自分を知覚して声なき悲鳴を上げる。
まぁ、人間を辞めて力を手に入れた末路がこれではな……。
とはいえ、馬鹿みたいに油断してくれてたから、やたらあっさり勝てたわ。
いくら力を得ても、見積りが甘ければこうなるということだな。
俺も肝に命じておかなければ。
しばらくして、原型も残らぬ程カルマッタの頭を食いつくした蟲達が飛び去っていくのを見送った俺達は、再び戦場に目を向ける。
するとそこには、ポカンと口を開けて間の抜けた表情を晒す魔神達と英雄達が佇んでいた。