176
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「さぁて、それでは行きますか」
最初に動いたのは、『六杖・霧の杖』の英雄、ムシルダ!
神器を発動させると、深い霧が沸き上がりディドゥス側の陣を包み隠す。
味方の気配を全て隠すこの霧の中では、絶対的有利な行動が可能だ。
迂闊な敵が侵入すれば、視界を奪われ気配無き敵に無防備な背中を晒す事になる。
そんな魔性の霧が、自然ではあり得ない速さでどんどんと平野を侵食していく!
だが、アンチェロン側に進行してくる霧の結界に向かって走り出す影が二つ。
『五剣・岩砕剣』のコルリアナと、『六斧・黄玉斧』のウォーリだ!
二人は伸びてくる霧の手前、数十メートル辺りの地点で足を止めて、同時に神器を振るう!
「ハッハー! 悪いがここで通行止めだぁ!」
「好き勝手にはさせませんよぉ!」
長身にたくましい筋肉を搭載した女傑二人は、神器を発動させて地を穿つ!
次の瞬間、轟音と共に大地が裂け、そこから押し出されるように巨大な岩の壁が出現して霧の進行をせき止めた!
「へぇ、やるじゃないか」
「そちらこそ」
同じ様に大地に干渉する能力を持つ神器の使い手達は、互いの力を認めると顔を見合わせニヤリと笑う。
「ならば今度は俺の番だな」
不意に声を挟まれ、意表を疲れたコルリアナ達が振り返ると、そこには弓を引き絞っている英雄の姿があった。
「ちょうどいい壁だ。使わせてもらうぞ」
気配を感じさせることなく忍び寄っていた『四弓・大地弓』のユーグルが、彼女らの作り出した岩壁に向かって矢を放つ!
その矢はまるで吸い込まれるように壁に溶け込むと、こちらからは見えない、壁の向こう側で爆発するような音を響かせた!
コルリアナ達には何が起こったか理解できなかったが、矢を放った張本人であるユーグルには、狙い通りに壁の向こうで数百本に増幅された魔力の矢が発射された手応えが伝わる。
いかにあらゆる気配を遮断する霧とはいえ、それ自体に防御能力が備わっているわけではない。
普通の兵士が相手ならば、今のユーグルの一撃でほとんどが串刺しになっていただろう。
普通の兵士ならば。
(倒せたとは思えんが、いくらかでも削れたか?)
相手も英雄。あれで仕留められるとは思っていない。
間の抜けた奴が手傷を負えば成果有りと言ったところだろう。
だが、やはりそう甘くはない。
急に空が明るくなった気がして、その場にいた三人が顔をあげると上空から数十本程の炎の矢が降り注いで来るのが見えた!
「ちっ、『六杖』の魔術師どもかっ!」
悪態を着きながらも、元気一杯なその反撃を軽々とかわしていく。
しかし、わずかにタイミングを遅らせて発射された魔法が、まるで追尾するかのようにユーグル達の真上に迫っていた!
突然ギィン! と、何かが割れるような音が響き、ユーグル達と炎の矢の間に氷の壁が一瞬で形成される!
氷壁の傘は炎の雨を受け止め、相殺されて消滅した。
「お前ら、先行しすぎだ」
呆れたような声で『五剣・轟氷剣』のティーウォンドがユーグル達をたしなめる。
「いやー、悪いねティーウォンド! なんにせよ助かったわ」
いっこうに悪びれなく笑うコルリアナに、諦めぎみのため息を吐いた。
「とにかく、少し下がれ。もうすぐ本隊が……」
言いかけたティーウォンドの言葉を無視して、ユーグルが再び岩壁に向かって矢を放つ!
話を聞けと怒鳴りそうになったティーウォンドだが、吸い込まれたユーグルの矢が、壁の上に向かって発射されたのを察知して言葉を飲み込んだ。
「さっそく壁を越えて来た奴がいるようだ……ここは手分けするとしよう」
ユーグルの提案に、ティーウォンドも頷く。
「後から来てる連中も、俺達の動きを見て別れるだろう。頭を取られないように、ここは敵の足止めとやつらの数を減らすのが先決だ」
敵の方が機動性に勝るのは承知している。
だからこそ数が拮抗している今は、攻めるよりも守りを堅くして耐えねばならない。
「よし……」
一つ呟いてユーグルは左方に駆け出す。
それを見たウォーリも右方へと走り去る。
「やれやれ……ま、連携が取りやすい奴等同士でバラけた方が安全か」
おそらく、駆けつけてくる英雄達も右翼に『六斧』、左翼に『四弓』、そして中央に『五剣』と別れるだろう。
守りを固める以上、あとは敵の出方次第。
「さぁてと……」
舌舐めずりするコルリアナと共に、ティーウォンドは獰猛な笑みを浮かべて敵に備える……。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
コルリアナとウォーリが生み出した壁に沿って走るユーグルの視界に、ふわりとした動きで壁の上に立つ人影が見えた。
跳躍というより浮遊という表現が正しいその動きに、ユーグルはある確信を得る。
それは『六杖・空の杖』の能力。そして、その神器の使い手であるフィラーハの存在。
「見つけたぞ……」
ユーグルはさらに加速し、壁の上に現れた者達の真下に到着した。
「フィラーハ!」
そうして上にいる人影に向かって大声でその名を呼ぶ!
そんなユーグルの声に反応した人影が、フードを払って顔を見せた。
じっと自分を見つめてくるその顔は、間違いなくあの愚かな妹の物。ユーグルもあえて感情を隠して彼女を見つめ返した。
「戻ってこい、フィラーハ」
そう言ってユーグルは手を伸ばす。
「俺の監視下に入り、素直に罰を受けるなら大きな罪には問わない。だから大人しく投降しろ」
なるべく刺激しないよう、淡々とユーグルは告げる。
病むほどに兄を溺愛している妹だ、罪の大きさ云々はともかく、四六時中彼の監視下に置かれる状況はむしろご褒美と言っていい。
当然、あっさりと投降するかと思われていた彼女だったが、ユーグルを見下ろすフィラーハの目には敵意が満ちていた。
「フィラーハ……?」
その様子に、ユーグルが怪訝そうにもう一度名を呼んだ。
「気安く私ノ名を呼ぶナ、四弓の英雄ゥ……」
返ってきた彼女の声には、隠し様のない憎しみが込められている。
あまりの様子の変化に、さすがのユーグルも困惑してとっさに言葉が出てこなかった。
「お兄様ノ邪魔をスる奴は、私ガすべテ殺ス! 殺しテやル!」
兄であるユーグルに向かって、フィラーハは殺意を持って宣言する!
対するユーグルも、本気で言っているであろうフィラーハに戸惑っていた。
「こらこら、フィラーハ。そんなに殺気立っていては、せっかくの美人が台無しだぞ?」
不意に横合いから声がかけながら、一人の男が姿を現す。そして、その声を聞いた彼女の表情が、みるみる緩んでいった。
「お兄様ァ……」
蕩けるような甘えた声で、フィラーハが声の主の胸に飛び込んでいく。
「やれやれ、フィラーハは甘えん坊だなぁ」
そんな彼女を受け止めた男は、彼女の頭を撫でながらまるで兄のように振る舞っていた。
「お前が……フィラーハに何かしたのか……?」
圧し殺した声でユーグルが問うと、男はあっさりと肯定した。
「ええ、その通り。あー、先ずは自己紹介をしたほうがいいですね」
男は、見せつけるようにして手にした杖を差し出した。
「私の名はファンテル・イルベン。『六杖』で『幻の杖』を担当している者です」
丁寧にペコリと頭を下げて礼をする。
ファンテルと名乗った男は、二十代後半くらいの一見すれば人畜無害そうなおとなしい研究者といった風貌だ。
だが、よくよく観察してみれば、研究者特有の冷徹とも言える冷たい雰囲気が内側から滲み出ているようだった。
「『幻の杖』……幻術か」
「お、鋭い! その通りです」
ユーグルの口にした予想を、ファンテルはあっさりと認める。
「本物の兄を目の前にしたら彼女はあっさりと我々を裏切っていたでしょう。ですから、保険を架けておいたんです」
そう言って、ファンテルはフィラーハの頭をぽんぽんと軽く叩いた。
「ここを少し、弄らせてもらいました。今の彼女には私が兄と認識されている……つまりは、言いなりです」
そうだな? と問うファンテルに対して、フィラーハはその通りですと嬉しそうに答える。
そんな彼等の様子に、ユーグルは心底がっかりしたようなため息を着きながら、軽く頭を振った。
「馬鹿な妹だと思ってはいたが、ここまで馬鹿だとは……」
言葉と共にもう一度ため息を吐く。
意外にも冷静そうなその態度に、ファンテルは更なる挑発を加える事にした。
「君たち耳長族の価値観では、女性はスレンダーな方が好まれるらしいね」
唐突に投げ掛けられた妙な質問に、ユーグルが眉をしかめる。
「勿体ないなぁ……性欲処理にはちょうどいいだろうに」
そう言うなり、ファンテルはフィラーハの豊かな胸を鷲掴みにした。
「はァん……」
愛する兄に求められ、歓喜の吐息を漏らしながらフィラーハが悶える。
「なぁ、フィラーハ。君も私を満足させる道具になれて嬉しいだろ?」
愛撫ではなく、玩具をいじるように彼女の胸を弄びながらの下卑た問いかけ。しかし、彼女はうっとりしながら首を縦に振った。
そうして、ファンテルは下にいるユーグルの様子を伺う。
と、同時に飛来した矢が彼の頬を掠めていった!
「そんな無駄な贅肉の価値など解らんし、馬鹿な妹には呆れ果てている……」
矢を放った体勢のまま、ユーグルは彼等に語りかける。
冷静な語り口ではあったが……次の瞬間、押さえきれない怒りの込められた声が、その口から飛び出した!
「それでも俺にとっては残された家族でな! 貴様のような奴に弄ばれるのは我慢がならない!」
再び矢を放つユーグル! その矢がまたも彼の頬を切り裂いて、赤い飛沫が舞う!
だが、上手く挑発に乗せることができたファンテルはニヤリと口許を歪めていた。