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──その日はとてもよく晴れた朝だった。
岩砕城壁の砦の内部、あてがわれた俺達の部屋に差し込む朝日はこれから行われる戦いを嘘みたいに感じさせる。
「……今日で色々と決着がつくのじゃな」
となりのベッドで寝ていたはずのラービが、いつのまにか俺の横に腰かけて、感慨深げに声をかけてきた。
一瞬、驚いたものの、なんとか態度には出さずに小さく「ああ……」とだけ答える。
「……生き残ろうな」
ラービが小さく呟いた。もちろんそのつもりだ。
俺は返事の代わりに、彼女の肩を抱いて引き寄せる。
ラービもそれに逆らわず、素直に体を預けてきた。
「今日か明日で、この異世界ともお別れだ。最後に一暴れといこうぜ」
言ってはみたが、俺達に出番があればの話ではある。
まぁ、無きゃ無いでありがたいので英雄の皆には頑張ってほしい。
「一成……約束は覚えておるか?」
不意にラービが問いかけてきた。
んん? 約束?? やっば……なんだっけ……。
どの約束の事かと思案していると、なぜか顔を赤らめたラービがあえて耳元のイヤリングを通し、囁くように答えを告げる。
「あれじゃよ、その……元の世界に帰れたら……ヌシの……はじめての……」
ああ! 脱・童貞の約束ですね!
忘れるものかよ、いつも頭の片隅にあったわ!
男子高校生の性行為への執着なめんなよ!
「お、落ち着け! 別に反故にしようというのではないわ!」
当ったりめぇーだ! そんな事になったら、俺が許しても全世界の童貞が許さん!
いや、やっぱり俺も許さん!
興奮覚めらやぬ俺の姿にため息を吐きながら、ラービは俺の顔を引き寄せて唇を重ねる。そうして、舌をするりと潜らせて、深く深く絡め合う……。
あまりにもさりげなく、それでいて濃厚な……そんな不意打ちみたいな行為にポカンとしていると、俺の間抜けた顔を見たラービが悪戯っぽく笑う。
「まぁ、あれよ。いつもの『手付け』というか、ちょっとした『おまじない』というか……とにかくそういうやつじゃ♪」
お前、そんな映画のワンシーンみたいな真似しやがって……めっちゃやる気出たわ!
「よっしゃ!行くぞ、ラービ!」
「おうともよ!」
「私も頑張ります!」
今まで空気を読んでいたのか、部屋の隅っこで置物と化していたレイも加わり、俺達は意気揚々と部屋を出た。
「あら、皆様。おはようございます」
部屋から出たとたん、英雄達の陣中見舞いでもやっていたのかキャロリア達とばったり出くわす。
本当に来れたんだなと少し驚きつつ、つい二日前のやり取りを俺は思い出していた。
──二日前。
この岩砕城壁までの移動手段が徒歩しかないと聞いた俺達は、慌てて支度を済ませた。
今の俺達なら全力で一昼夜走りぬけば到着するとは思うけど、今朝までユーグル達と語り明かしていたし、疲れを癒すためにはやはりもう一日くらいは欲しい。
そんな訳で、すぐにでも出発しなければ時間がないとバタバタしていたのだ。
幸い、大して準備は要らなかったのですぐに動けるようになる。
唯一の灯戦闘員であるハルメルトをイスコットさんの『工房』に待機させ、後はキャロリア達に挨拶を済ませたら一路、岩砕城壁へ向かって突っ走るのみだ!
城へ向かうと、ちょうど俺達よりも一足先に出立したユーグル達を見送っていた王族達と入り口で出会う事ができた。
これは余計な手続きが省けてちょうどいい。
簡単な挨拶をすると、彼女達も今日中に打ち合わせを済ませて、明日には砦に向かうとの事だった。
……間に合うのか、それ?
前回の岩砕城壁での戦いで、移動手段として借り受けた王家専用である馬型の魔獣、デルガムイ号の足でも思いきり跳ばして一日半以上はかかった道程だぞ?
かの魔獣の全力疾走に王族の面々が耐えられるとは思えないし、絶対に遅刻するんじゃないかな……。
そんな風に疑問に思っていると、こっそりとキャロリアがそれに対する答えを教えてくれた。
簡単に言えば、この城には各国境の砦に一瞬で転移できる魔法のゲートが設置してあるらしい。
なんだよ、そんなもんがあるなら皆で一気に行けばいいじゃん! とは思ったのだが、そうそう話は上手くできていない。
まず、一度に転移できるのは三、四人が限度。さらに、起動させると十日ほど魔力を充電しなければ使えないとの事。
本来は王族が緊急避難するための装置らしいが、今回は戦場に出向くという逆の使い方をする。
ある意味、退路を断つんだからそれなりに覚悟は決めているんだろう。
……そんな話をしていた事を思い出してぼんやりしていたら、キャロリアから一枚の紙を手渡された。
「この度の戦いのルールです。一応、頭に入れておいてください」
えー……今頃ルールって……。
遊びでやってるんじゃねえんだぜ? とか思いながら一応、目を通す。
※ルールは三つ。
1、相手方の王族を捕縛するか殺害すれば勝利。
2、戦いによる英雄達の生死について賞罰は問わない。
3、神獣殺しは戦闘に参加しない。
……うん、遊びじゃないわ。ガチのヤツだ、これ。
ようは、戦闘方法のルールじゃなくて、終わらせるためのルールって事ね。
つーか、王族の殺害アリって……。
チラリとキャロリアを見ると、何か不備でも? といった感じで首を傾げる。
「これさぁ……王族が殺害されちゃったら、戦後処理とかどうなっちゃうわけ?」
心配なんで聞いてみた。
すると、彼女は平然とした顔で、「どちらにしろ、負ければ相手に全てを差し出して奴隷になるわけですから、あまり生死は関係無いかと」と答える。
なにそれ……。
「あら? 言っておりませんでしたかしら?」
今さらながら、彼女がこの戦いを成立させるために相手方に出した条件を教えてもらった。
それは、「アンチェロン側が勝てば相手は王権のみを放棄して統一に従う。ディドゥス側が勝てばこちらの領土、財産、神器を全て差し出し、王族に対する処罰も自由」と言ったもの。
それにプラスして、先程のルールだ。
……いや、こっち側が勝った時のメリット少ないよな。
それに、人数的にはこちらの英雄の方が多いけど、隠密性や機動性という点では敵方の方が優れている奴が多い。戦闘力の無い頭を取れば勝ちっていうルールも向こうの方が有利だ。
まぁ、だからこそ相手も土俵に上がってきたのかもしれないが。
「大丈夫かよ、これ……」
少し心配になってキャロリアに問う。が、彼女はもちろんと力強く答える。
「私は自陣の英雄達の力を信じておりますし……いざという時には、カズナリ様達がいますから」
……ん?
俺達は戦闘に参加できないんじゃ……?
俺が疑問符を浮かべていると、いずれ解りますよと彼女が笑う。
うーん、解らん。キャロリアには一体、何がどこまで見えているんだ?
ま、凡人には計り知れない視野を持った彼女が自信ありげな様子なんだ、なんとかなるんだろう。
考えても解らない事は置いといて、万が一が無いようにだけ備えておくか……。
そして、それから数時間後……。
アンチェロンとディドゥス。
二国の国境に股がる平野を挟んで英雄達が横一列に並んで睨み合う。
一キロほどの間が空いた両者の陣の前には、何も無い荒れた平野が広がるのみ。
ディドゥス側、英雄は十一名。
アンチェロン側、英雄は十四名。
最小限で最大規模の戦いの幕は、その日の昼過ぎに切って落とされた!