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翌朝。
俺は気まずさと気恥ずかしさを抱えつつ、起き出して部屋を出る。
昨夜の一件もあり、どんな顔してラービと話せばいいんだろう……なんて考えていると、不意に後ろから声をかけられた。
「おはよう、一成! 良い朝じゃな!」
満面の笑みを浮かべ、上機嫌なラービが俺の背中をバンバンと叩く。
あわわわ……ま、まだ心の準備が。
「お、おう、おはよう……」
照れ臭くてまともに彼女の顔を見れず、目線を剃らしながら挨拶を返した。
そんな俺を怪訝そうに見ながら、ラービは鼻歌まじりで俺の隣を歩く。
「ず、ずいぶんと御機嫌だな」
「ふふ、ちと昨夜に良い夢を見てな」
へ、へぇー……。
そうか、夢の出来事だと思っているのか……。
「……どんな夢だったんだ?」
恐る恐る尋ねると、ラービはふにゃりと頬を緩ませ、照れたように顔を赤らめた。
「女の口から言わせるでないわっ!……まぁ、強いて言えば、ヌシとの将来についてかのぅ」
そう言って、俺の反応を窺うように顔を覗き込む。
将来の……それはノーマルなプレイだろうか? それともアブノーマルな……?
微妙な表情をしていたであろう俺を、ラービが不思議そうに見つめてくる。
おっと、これはいけない……。
ここは彼女に変に勘繰られないよう、満面の笑みを浮かべて返事を返す!
「俺達の将来か……楽しみだな」
俺達のというフレーズが気に入ったのか、ラービはパッと表情を輝かせる。
「そうじゃな! 向こうの世界に帰ったらやる事が山積みじゃからな!」
ニコニコとさらに機嫌を良くして、俺の腕を抱き締めるようにくっついて一緒に歩くラービ。
……はっきり言って、めっちゃ可愛い。
勝ち組という者が存在するなら、俺は今、そちら側かもしれん。
うーん……しかし、ラービのこれだけ機嫌が良いなら、今のうちに昨夜の事を注意しておいた方がいいだろうか?
また酒でも飲んで例のイヤリングが誤作動を起こしても困るし……そうだな、こういうのは早い方がいいに決まってる!
「あのな、ラービ……」
「ん~?」
小声で呼び掛けると、じゃれつく猫のような返事をしてくる。
そんな彼女に、俺はそっと耳打ちをして、昨夜の一件を伝えた。
………………………………………………長い沈黙。
そして、「ア、ホ、かー!」とラービの絶叫が響いた!
ちなみに
「ア」の所で『頂心肘』
「ホ」の所で『白虎双掌打』
「かー」の所で『猛虎硬爬山』
が、流れるようなコンボとなって俺にヒットしました。
いやー、人の逆鱗に触れるツボはどこにあるか解らないね。
……なんて、妙に頭の隅で醒めた感じで考えながら、体は「く」の字に曲がって吹っ飛んでいく!
俺はそのまま窓をぶち破って、庭に転がった。
そんな脳裏に、『場外負け・KO!』の文字が煌々と輝くのを見た気がする……。
「ヌ、ヌシは人の、そんなアレを、聞くとか……」
真っ赤になったラービは震えながら訴えるが、ちょっと待ってほしい!
そりゃ不可抗力ってやつですよ? 「聞いた」というか「聞こえてきた」んだし!
言い返したい所だが、強烈な打撃のせいで声が出ねぇ……。
「バカバカ! アホウ! 池田亀太郎!」
覗き行為である「出歯亀」の語源になった人物に俺を例えて罵りながら、彼女は顔を両手で隠して走り去っていった!
……神代の時代から女に恥をかかせるとロクなことにならないと言われているが、それって本当かもしれん……。
そんな事を、俺は身をもって痛感していた……。
それから少しして、騒ぎを聞き付けたレイとハルメルトが駆けつけ、倒れていた俺を回復魔法で治療してくれる。
原因を聞かれた俺は、理由をぼかしつつもラービとケンカしたからだと説明すると、二人は少し呆れた顔をしていた。
そうだよな、いい歳こいてこんなアホみたいなケンカとか……。
「御主人様達が『ケンカの後の仲直りイチャイチャ』を好んでいるのは承知していますが、いささかエスカレートしすぎかと……」
「わ、若いうから……あ、あまりハードなのは控えた方が……」
あれぇ? ちょっと待って、ひょっとしてすごいマニアックなプレイをしていたと思われてる……?
違いますよ、そういうもんじゃないんですって!
頑張って弁明したけど、二人からは生暖かい笑顔が返ってくるばかりで、誤解は解けてないようでした……。
その後、冷静になったラービが詫びてきた事もあり、ようやくこの件は収まった。
まぁ、アバラが数本イワしていたけど、俺にもデリカシーが無かった所もあるから、ここは素直に許すのが男の度量ってもんだろう。
今後は彼女も通信の際に細心の注意を払うだろうし、とりあえずは一安心だ。
ところで、この件の原因になったと思われる、酒を俺達に進めた大人たちだが……全員が食堂で酔い潰れていた。
いや、ユイリィだけは酔っぱらい達の世話疲れかもしれないが。
普段は立派な彼等ががこうも醜態をさらすとは、お酒恐るべし……。
しかし、帰る目処がついた途端にこの有り様なのは、頼もしいというか不安というか……。
とにかく、今日はマーシリーケさんに教えは請えないみたいだし、久々にラービ達と脳内組手に勤しむとしよう。
でもなー、こんな調子で大丈夫なのかね。
物事は上手く行きそうな時こそ穴があるって言うしなぁ。
一抹の不安を覚えつつも、やれる事をやっておくため、大人の介護を相方達に任せて、俺はラービ達と精神世界にダイブしていった。
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翌々日に迫った戴冠式の準備のため、アンチェロンの城内は慌ただしく人が行き来していた。
そんな城内において、固く閉ざされている部屋が一つある。
それは本来なら今回の式の主役となるはずだった男の部屋。
アンチェロンの第一王子、ナルビークの私室だ。
内側から施錠され、昼間だというのに厚手のカーテンが光を遮っていて、室内は薄暗い。
そんな部屋の中で、主であるナルビークは頑丈そうな椅子に腰掛け、ブツブツと何事かを呟いていた。
見る者が見れば、妹であるキャロリアに王位を奪われ精神の均衡を崩したのかと思うかもしれない。
しかし、今だその瞳に宿る知性の光は、彼が正気であることを知らせていた。
では一体、何を呟いていたというのだろうか?
その答えが、彼の手の中にある一枚の紙切れだった。
その紙切れには、何やら複雑な紋様が画かれており、そこからナルビーク以外の人物の声が聞こえてくる。
その何者かと彼は会話をしていた。
「……なるほどな、キャロリアの計画を潰すより利用しろと言うことか……」
『ええ、そうすれば貴方は最小の労力で六国の支配者となりましょう』
その言葉に、ナルビークは自虐的に笑う。
「なんとも情けない話だ。妹の成す功の横取りとはな……」
『この世は結果が全てであり、それが真理です。力無き者が全てを奪われるのも……ね』
そうだ。妹の方が一枚上手であり、彼よりも力を示した。
だから彼は王位を奪われ、こんな所で腐っている。
「……いいだろう、君に協力しよう。事が上手く進んだ際には、十分な見返りを約束する」
『ありがとうございます。では、また近いうちに……』
それだけ言い残して、謎の声を伝えてきた紙切れがボロボロと崩れて消滅していった。
「見ていろよ、キャロリア。お前の好きにはさせんぞ……」
逆恨みが大いに混じっているのは端から見れば明らかだ。
しかし、大きな権力を握る為の賭けでもある今回の行動は、ナルビークの中では正当な行為と認識されている。
表に出た妹と、裏に潜り始めた兄。
二人の確執の波は、英雄や異世界人達を彼等の知らぬ所で巻き込みながら、ゆっくりとうねり始めていた……。
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