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こふっ……と、小さく咳き込むよう血を吐いて、アルツィはガクリと膝から崩れ落ちる。
その様子を、ナトレに肩を借りながら族長テナーロは静かに見つめていた。
「テナー……族長! 動いて大丈夫なんですか!」
まだ、自分の傷もちゃんと塞がっていないのに、ユーグルはハルメルトの制止を振り切ってテナーロの元に駆け寄る。
「私は大丈夫……あなたも無理はしないでね」
いつもに比べれば細く弱々しい声だったが、包帯の隙間から覗く瞳には大事に至りそうな苦痛などは感じられない。
本当に大丈夫そうなのだと理解して、ユーグルは安堵のため息を漏らした。
「しかし、俺達が王都を出るまで面会謝絶になるほど容態は悪かったのに……一体、どんな方法で回復を……」
「……これのお陰よ」
不思議がるユーグルの前に族長が懐から取り出したのは、小さな小瓶だった。
「それは……あっ!」
何となく見覚えのあるその小瓶は、戦いに赴く前に一成が秘書官に渡していた回復薬だ。
彼等が知るよしもないが、神獣の力を行使する蟲脳達の『限定解除』。
その後遺症を一瞬で癒すほどの薬効がある回復薬は、瀕死の状態だったテナーロの体力をあっという間に回復させたのだった。
「まだ火傷は痛むけれど、動けるようにはなったからね……色々なケジメをつけに来たのよ……」
様々な責任を背負う族長としての面と、歪んだ欲望に焼かれた弟に対する責任を取る姉の面が入り交じった複雑な物言いで、テナーロは倒れたアルツィとユーグル達を交互に見回す。
「実はここに着いてから、あちらのマーシリーケさんが加勢するまで身を隠してあなた達の会話は聞いていたの」
すぐに出てこれなくて、ごめんなさいとテナーロとナトレは頭を下げる。
そんな二人に、ユーグルは慌てて頭を上げるように頼む。
というか、二人がすぐに姿を現さなかったのはむしろ正解なのだ。
状況の判断が付くまでは伏兵に徹した二人が居てくれたから、最後のアルツィの一撃を無効化できたのであり、病み上がりのテナーロが表立っていたら逆に不利になっていただろう。
その冷静な判断で結果的に命拾いをしたユーグルからすれば、感謝することはあっても謝られるような事はない。
「さすがは……姉上……ですな」
彼女の話が聞こえていたのか、ゴボゴボとした血の水音が混じる声でアルツィが話しかけてきた。
まだ彼の意識があることを知ったテナーロが、ナトレから離れてアルツィの元へと歩いていく。
そうして彼を見下ろしながら、厳しい表情で冷たく言い放った。
「アルツィ・ウェルズ。国を守護する『四弓』の英雄という立場でありながら、私欲の為に仲間を裏切った貴方の行為は断じて許される物ではありません!」
アルツィはテナーロの顔を見詰めたまま、黙って彼女の口上を聞いていた。
「よって、グラシオの族長として貴方をここに処罰しました……。最後に何か、言い残す事はありますか?」
最後の問いは族長ではなく、姉としての問いかけ。
それを悟ったアルツィは、ほんの少し申し訳無さそうな表情になる。
そして、血を吐きながら口を開く。
「貴女に……殺される……なら、本……望で……す……。火傷……ごめんね……愛……して……る……よ……」
愛する姉に討たれる喜びと、計画上とはいえ傷付けてしまった申し訳無さ。
最後にそれらを告げて──彼の目から光が失われていった。
「バカな子……」
息絶えた弟の前にひざまづいて、テナーロは呟く。
その瞳からは、ポロポロと涙ががこぼれ始める。
「本当に……バカな子……」
アルツィの亡骸を抱き締め、テナーロは声を殺して泣いていた。
その姉弟に、誰も声を掛けることはできず、ただテナーロの泣き声だけが静かに、この戦場跡に響いていた──。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
先程、ラービ達と合流を果たした俺は、今度はユーグル達と合流すべく最初に会敵した広場に向かって走っていた。
ただ俺達は今現在、各々が荷物を抱えている。
俺の背には妻を寝取られて真っ白な灰になりつつあるリョウライを。
ラービの背にはディセに暴行された傷心のパドを。
そして、レイはディセの亡骸から回収した『神器・虎爪』を両脇に抱えていた。
まぁ、英雄とはいえ、体にも心にも傷を負った連中を置き去りにはできないし、神器も捨てておけまい。
無理矢理、回復薬を飲ませて体力を回復させ、傷口には魔法薬を塗りたくってそれらを塞いだから、これで体の方はこれで大丈夫だろう。
でも、ひょっとしたら、この先には六杖の英雄がまだ居るかもしれないんだよなぁ。
精神的に大ダメージを負ったままのコイツらを連れていってよいものか……。
「マーシリーケ達が間に合っておればよいがのぅ……」
隣で並走するラービが呟く。
そう、こいつから聞いた話では、ラービ達が奴等に捕まっている間に、マーシリーケさん達の元に大鷲蜂を使者として送っていたというのだ。
さらりとデタラメな事をしてくれてるが、今やラービは神獣『女帝母蜂』としての能力に加え、『蟲の杖』を支配下に置いたことで、自称していた通り『蟲の女王』と言っていい力を手に入れたらしい。
大鷲蜂だけでなく、あらゆる蟲の魔獣をいずれ従えてやるわと豪語する彼女に、思わず「風の谷の姫様かよ!」とツッコまずにはいられない!
しかし、「支配してるからもっと凄い! ほめて!」と返されてしまうほど、ラービは調子に乗っていた。
あまりにも急激に力を付けたラービに対して、若干の焦りを感じてしまう。
このままでは、コイツの尻に敷かれる未来が目に見えるようだ……そんな風に考えていた時期が俺にもありました。
なんか、素直に頭を撫でてやったらめっちゃ喜んでたから、一方的なカカア天下とやらにはならなさそうで、少しホッとしている次第です。
そうこうしている内に、最初の広場付近まで到着した。
この辺りでリョウライとパドを降ろしていった方が良いだろう。
彼等と神器を置いて、比較的まだ戦えそうなパドにこの場を任せる。
「アンタらだけで大丈夫なの……?」
パドは心配そうに問いかけてきたが、あっちにはユーグル達もいるだろうし、本調子じゃない彼女らを連れていくより俺達だけの方が素早くケリをつけられる!
心配すんな、任せとけと力強く答え、俺達は再び駆け出した。
「御主人様、作戦は?」
レイが尋ねて来るが、ここまで来たら細かい作戦は逆に邪魔ってもんだ。
「敵の横っ面をいきなりぶん殴る感じで強行突破!」
考えなしな事この上ないが、ラービもレイも笑いながら賛同する。
「一撃で決まれば、それが一番良いからの!」
「ええ!速攻で決めましょう!」
うんうん、頼もしい娘さん達だよ、まったく。
やがて俺達の視界に、森の切れ目が見えてくる。
「いくぜ、二人とも!」
「おう!」
「はい!」
息を合わせて俺達は、一気に木々の間から戦場へと躍り出た!
「おらあぁぁぁっ!」
敵の意表を付く、そしてその注意を引き付ける為、俺は大声で叫びながら勢いよく飛び出す!
さらに続くラービとレイは、俺の左右に別れて標的に向かい……ってあれ?
飛び出した俺達の前には、マーシリーケさん達に、ユーグルとナトレと……包帯の人は族長さんか?
そして、地面に倒れているアルツィの姿があった。
しかし、敵である六杖の英雄達は影も形も無く、俺達は振り上げた拳の降ろし所を失ってしまう。
あきらかに場違いな空気が漂い始める中、状況が解らずおろおろしながらマーシリーケさんやユーグルに助けを求める俺の表情は、きっと先程のラービ達みたいな感じだった事だろうな……。