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「えっと……そういえば、君の名前をまた聞いてなかったよね」
地に伏せる少女にイスコットさんが問いかける。
「は、はい!私はハルメルト。ハルメルト・クレイともうします」
頭を上げて、ハルメルトと名乗る少女は怪訝そうな顔をした。
それは俺達がなんとも微妙な表情で彼女を見つめていたからだろう。
「あの、何か……」
居心地が悪くなったのか、ハルメルトはソワソワとしながら俺達を見つめる。
うーん、どうしたものか……。
「まぁ、ハルメルトちゃんも起きて間もないし、とりあえず元気が出るから、これでもどうぞ」
そう声をかけ、マーシリーケさんがハルメルトに飲み物を差し出す。
椅子に座らせ、どうぞと進めるあれは……間違いなく、黄金蜂蜜から作ったジュース!
女帝母蜂の暴走の原因が黄金蜂蜜の枯渇によるものかもしれないと聞き、その黄金蜂蜜をめっちゃ採集したのは俺達……。
ある意味、村壊滅の遠因が俺達にあるかもと、ぶっちゃけるのか?かますのか、マーシリーケさん!?
進められた黄金蜂蜜のジュースを、ハルメルトは恐る恐る口に運ぶ。そして、僅かに口に含んだ瞬間、その表情が輝く様な笑みに変わった。
余りの美味しさに、驚きと多幸感にまみれながらも夢中でコクコクと飲み干し、空になったコップを置いて恍惚とした蕩けるような表情のまま幸せの余韻に浸る。
「……はふぅ。すごい……こんなの初めて……」
緩みきった顔で、うっすら涙さえ浮かべてハルメルトは呆然と呟く。そんなハルメルトに、にっこりと笑みを浮かべて、マーシリーケさん話しかける。
「気に入ったみたいで何よりだわ。そのジュース、何から作られたか解るかしら?」
「ふえ……?」
まだ頭が働かないのか、マーシリーケさんの問いにぼんやりとハルメルトが反応する。
「ひょっとして……異世界のジュースですか?」
異世界産と思ってしまうほど、ハルメルトにとっては衝撃の美味しさだったのだろう。まあ、無理もない。
「いいえ、これはこの世界の黄金蜂蜜から作ったジュースよ。美味しかったでしょ?」
あ、スゴくサラッと話した。勿体ぶらすにストレートに言うつもりなのか?
「はい、とても美味しかったです!そうですか……黄金蜂蜜から……」
元気よく答え、原料を聞いて繰り返して呟いたハルメルトの表情が一気に固まる!
「黄金……蜂蜜……?」
ハルメルトは呟き、ギギギ……と錆び付いた音が聞こえて来そうな動きで、俺達を見回す。
「いやぁ、最初はカズナリが見つけてきたんだけど、あまりの美味しさと薬効の高さにいっぱい採集しちゃった。ごめんね!」
てへペロッ!と言った感じでアッサリ謝るマーシリーケさんに、ハルメルトは今だに固まったままだ。
ハルメルトから見れば、異世界に問答無用で喚ばれて、有無を言わさず生け贄にされた俺達は、確かに自分達が手を下した被害者だ。しかし、村壊滅に関わっているかもしれない加害者の可能性もある。
複雑な感情と様々な情報が入り乱れてフリーズしたハルメルト。
さもありなん。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
時は少し遡る。
一成達がいる巨大な森を領地に抱える国、アンチェロン。その国の王は、届いたとある一報を聞いてから寝る間もなく重鎮達との会議に追われていた。
王の元に届いた一報。それはただ一言。
『女帝母蜂の活動を確認』
それだけである。
しかし、この地に生きる者達ならば、その一言がどれだけ重要なのかが理解できるであろう。
女帝母蜂……それは、滅多に動かず発見される事すら珍しい、とある巨大な昆虫系の巨大な魔獣。災害に匹敵する被害をもたらすことから、稀少かつ強力な「神獣」にカテゴライズされるその魔獣が活動していると言うのだ。
これから起こりうる甚大な被害を想像すれば、王ならずとも寝ている暇などありはしない。
今だ民衆には何も知らされてはいないため、町は平穏ではあるが、城の中は上を下へと大騒ぎである。
これから先の対応に一先ずの指針をつけ、斥候に出した特殊部隊からの連絡を待つだけの義会場には、重苦しい空気が立ち込めていた。
沈む重鎮達を眺めながら、自身も重い気持ちで国王はため息をつく。
今、現れた神獣。
伝承によれば、女帝母蜂の本体は巨体であることと強固な外骨格に覆われている為に、なみの武器では歯が立たない事くらいで脅威度はさほどでもない。しかし、問題はその卷族にある。
大鷲蜂と呼ばれるその卷族は、文字通り猛禽類並の大きさを持つ蜂の魔獣だ。強固な外皮、強靭な顎、強力な毒針を持つこの厄介な魔獣を女帝母蜂は数千と言った数で使役する。
かつて、ある小国が一日も立たずに壊滅した事例もあり、まさに災害そのものと呼ぶに相応しい。
そんな化け物が、国の西に位置する深く、巨大な森に生息している事は知っていた。だからこそ、その災害が目を覚まさぬよう、同じ森に住む現在も禁呪とされている召喚魔法を伝えていた一族と契約までしたと言うのに。
奴等は女帝母蜂と繋がっていたのではなかったのか?何故、この期に及んで連絡のひとつも寄越さない?
苛立ちが募り、王は肘掛けを握る手に力をこめる。
「場合によっては、『五剣』の召集も考えねばなりるまい……」
ポツリと漏らした王の一言に、議会室にいた重鎮達からざわざわとしたどよめきが上がる。
「五剣」とは、この国が誇る最強の戦士達。
現在は他国との国境付近に分配されて睨みを聞かせている彼らを呼びもどす事になれば、他国からの侵入に対抗できなくなる。
「重鎮達の言い分もわかっている。だから場合によっては、だ。しかし、万が一女帝母蜂が王都に向かってくれば、他国云々の前にこの国が終わるかもしれん」
王の言葉に、重鎮達も沈黙する。確かにその可能性もあるのだ。そうならぬ事を祈るしかない、無力な自分達が恨めしい。
そんな重苦しい空気の漂う議会室に、扉をノックする音が響いた!
入室を許可すると、満面の笑顔を浮かべた伝令の兵が飛び込んでくる。
「せ、斥候に出ていた部隊からの報告です!女帝母蜂の死を確認したとの事です!」
全く予想していなかったその報告に、王をはじめ重鎮達も全員がポカンと口を開けて呆然とする。
「そ、その報告に、間違いは無いのか?」
「は、はい!とある村の近くで、頭のない女帝母蜂の死骸が確認されたそうです!脅威は去りました!」
わっ!と部屋の中が盛り上がる!最悪からの急展開に、議会室の重鎮達からも歓声があがる。
「報告、ご苦労だった。斥候部隊には、近隣からの情報収集と調査を命じる」
王の言葉を受け、伝令兵が走り去っていく。沸き上がる議会室の中において、命令を出した王だけが冷たい汗が流れるのを自覚していた。
頭を無くした女帝母蜂の死骸?それは自然死でないことを示唆している。
つまり、神獣を越える「神獣殺し」がいる可能性があるのだ。
一つの脅威は去ったかもしれない。しかし、見えない新たな脅威がヒタヒタと近づくのを王は感じていた。