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「カズナリの師匠……」
ならば彼女も神獣殺しと呼ばれる連中の一人だと悟って、ようやくユーグルは納得できた。
しかし、以前アンチェロンに赴いた時にはすれ違いで会うことはなかったが、まさかこんな学者然とした女が神獣殺しとは……。
想像とはかけ離れた彼女の姿につい見とれていたユーグルに、ハルメルトが「大丈夫ですよ、あの人は強いですから」と声を掛ける。
──そうだろう、そうには違いあるまい。
一瞬だけ見せた動きだけでも、彼女が並みの英雄を凌駕しているのは理解できる。
しかし、三人もの英雄を同時に相手しては、さすがに神獣殺しといえど危険すぎるのではないか?
はやく応急措置だけでもしてもらい、自分も戦線に復帰しなければなくては!
そんな焦るユーグルを、ハルメルトが慌てて動かないように体を押さえる。
「お兄様に触れるな!」
突然、激昂したフィラーハがマーシリーケを無視してハルメルトに向かって電撃の魔法を放つ!
だが、二人に電撃が届く前に飛び込んできた影によってその魔法は弾け掻き消された!
「いけませよ。ハルさまは非戦闘員なんですから、狙うのはルール違反というものです」
魔法を打ち消したのはもう一人の少女。
が、何より驚愕すべきは彼女が手にした二刀のダガーで魔法を防いだという事実だ。
「あ、ありがとう、ノアちゃん」
ハルメルトに礼を言われたノアと呼ばれた少女はにっこり笑ってそれに答える。
「ナイスよ、ノア。そのままハルちゃん達を守ってあげなさい」
「はぁい、了解しましたお姉さま!」
マーシリーケの指示に嬉々としてノアは従う。
その命令の通り、これから先彼女の後ろにいる二人には触れさせないとダガーの刃を擦りあわせて敵の英雄を威嚇して見せた。
愛しい兄に抱きつくようにしていた小娘が腹立たしく、思わず魔法を使ったが思わぬ防がれ方にフィラーハも冷静になる。
おそらくはダガーに仕掛けがあるのだろう。が、それでも高速で飛来する雷よりも速く進路上に割り込む技量はただ事ではない。
気持ちを切り替え、今は目の前の神獣殺しに集中しよう。
小娘に兄に抱きついた罪を償わせるのはその後だ。
そうフィラーハが集中しようとした時、それは目の前にいた!
一瞬の意識の切れ目に滑り込むようにして、マーシリーケは神速の動きでフィラーハの眼前に迫る!
反射的に動こうとしたフィラーハの両足を、しゃがみこんで薙ぎ払うようにマーシリーケの蹴りが苅り取った!
そのまま足を払われた彼女は、成す術無く倒れ込む。
そんなフィラーハをマーシリーケは無力化すべく追い討ちをかけようとするが、そこを狙ってムシルダの魔法が発動する!
『重力倍加!』
対象の物や人物に倍の負荷を与える魔法をムシルダは使用したが、発動したはずの魔法は効果を発揮すること無く霧散した!
驚愕するムシルダをよそ目にフィラーハに一撃を入れたマーシリーケは、いつの間にか取り出した数本のナイフを彼に投げつける!
慌ててそれをかわしたほんの一瞬、飛来するナイフに気をとられただけの間に、またもマーシリーケの姿は消えていた。
それはただの勘!
かつてヤーズイルに、杖による近接戦闘術を学んでいたムシルダは振り返りながら己の神器でガードする!
ギィンと金属質な音が響き、今まさにムシルダの肉体に叩き込もうとしていたマーシリーケの拳を止める事に成功した。
少しだけ驚いたような表情を見せた彼女に、短時間で散々驚かされたムシルダの溜飲が少し下がる。
わずかに動きが止まったマーシリーケ目掛けて数発の矢が放たれた!
絶妙のタイミング、かわすことなど不可能な瞬間を狙ったその攻撃!
しかし、マーシリーケはムシルダに蹴りを入れつつ体勢を変えると、迫り来る矢を難なく叩き落とす!
「嘘だろっ!」
叫んだのは端から見ていたユーグル。
しかし、迎撃されたアルツィも同じ意見だった。
平然と彼の方に向かって歩いてくるマーシリーケに向かって再び矢を放つ!
が、やはり彼の矢はマーシリーケの体に届く前に防がれてしまう。
愕然とするアルツィだったが、体勢を立て直して後方から魔法を撃とうとしている魔術師二人の姿が目に入った!
完全に死角から、しかも二方向からの同時攻撃であり、さすがのマーシリーケもかわせまいとアルツィがほくそ笑む。
だが、まるで背中に目が付いているかのように、振り返りもしないで後方に投げられたマーシリーケのナイフが、魔術師達の頬を掠める!
化け物めっ!
アルツィが内心で悪態を突くが、ナイフを投げつけた為に両腕が流れている今なら彼の矢を防ぐことはできない筈!
千載一遇のチャンスとばかりに矢をつがえたアルツィの顔面に、一足跳びで飛び込んできたマーシリーケの蹴りが叩き込まれた!
「すげえな……」
誰にとも無くユーグルが称賛の言葉を漏らす。
もちろん、英雄三人を同時に手玉に取るマーシリーケに対してだ。
その呟きに、なぜかノアがドヤ顔をして見せる。
だが──
「やはり俺も行かなきゃ……」
立ち上がろうとするユーグルをハルメルトが慌てて止めた!
「怪我人に助太刀していただかなくても、お姉さまの方が優位ですよ」
少しムッとした表情になったノアがユーグルを制する。
その言葉に、解っているといった風に彼も頷く。
「確かに彼女のスピードには英雄でも簡単にはついていけないだろう……だけど、彼女の攻撃には威力が欠けている」
ユーグルの見立て通り、無防備な顔面に思いきり蹴りが入ったにも関わらずアルツィは倒れていない。
また、フィラーハ達もある程度のダメージはあるものの、戦闘不能には陥っていない様子だ。
「長期戦になればいずれスピードは落ちる。なら今のうちに少しでも敵の数を減らさないと……」
決定打に欠けたマーシリーケでは、やがて魔法か矢の餌食になってしまうだろう。
ユーグルの見立ては正しい。
だが、それでもマーシリーケを慕うノアの表情には、余裕が透けて見えた。
その余裕の元は何なのかと訝しんでいると、ノアがスッと杖の英雄達を指差す。
つられたユーグルの視線の先には、フラフラと足元の定まらないフィラーハ達の姿が映る。
「……毒か!」
「はい、その通りです。とはいえ、致死量ではありませんから、しばらく体が麻痺するくらいでしょうけど」
事も無げに言うノアに、ユーグルは背筋が寒くなる思いだった。
確かにそれならばマーシリーケの攻撃が軽くても問題ない。
しかし、いつの間にあの二人に毒を打ち込んだというのか……?
「先程、お姉さまが投げたナイフがあの二人を掠めた時ですね。刃に塗ってあったのでしょう」
たったそれだけの量で英雄が麻痺するほどの毒とは、一体どんなものなのか……その手の知識の無いユーグルには見当もつかない。
ただ、それらを自在に使えるのであろうマーシリーケにそら恐ろしい物を感じる。
「私がいた世界じゃ、捕虜の尋問は結構キツイ手段を使ってたのよね……さっさと降伏して洗いざらい知ってる事を話すなら、痛くしないけどどうする?」
まるで子供に言い聞かせるように、圧倒的優勢なマーシリーケは敵の英雄達に、にこやかに語りかけた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
火花を散らしながら金属製の穂先や柄がぶつかり合う音が森に響きわたる!
先程からレイは黒い槍の英雄と交戦していたのだが、未だにお互いにまともな傷一つつける事が出来ないでいた。
レイからすれば、まるで木の陰から陰へと瞬間移動のように絶えず移動しながらレイの死角を突いてくる相手に防戦一方だったし、黒い槍の女……カルゴンからすれば、召喚した屈強な骸骨兵によって円陣を組むレイは死角を取るのも一苦労で、なんとも攻めづらい相手だった。
(ったく、なんなんスかあの娘は! トドなんかよりも、遥かに『灰色の槍』を使いこなしてるじゃないッスか!)
使役している骸骨兵の強さといい、木が生い茂る森の中で槍を振り回す技量といい、敵でなかったら『七槍の切り札』として雇いたいくらいである。
(ランガルさんも思ったほど槍の力を使えないみたいッスから、こりゃいざとなったら逃げる算段をしといた方がいいかも知れないッスね……)
彼女の同僚である緑の槍の七槍……ランガルは、あらゆる植物を操ることができるのだが、どうもこの国の森は操る事がむずかしいらしい。
何でも、この森は神獣の気配が強すぎて神器で操ろうとすると妨害されてしまうとのことだった。
そんなランガルも、今は数体の骸骨兵を相手に激戦を繰り広げている!
(ハァ……やっぱ、敵地で集団行動は苦手ッス)
自分一人だけなら、ターゲットが単独でいる時を見計らって暗殺でも何でもするカルゴンだが、他の人間に合わせた行動というのが彼女はとことん苦手らしい。
いっそ帰って寝てしまいたい気持ちで一杯だったが、その動きに緩慢さは微塵もなく、レイと骸骨兵の隙を縫うような攻撃を続けていた。
戦況は一進一退。
しかし、そこへ突然の乱入者が現れる!
大気を揺るがすような羽音と共に、森の中を激流のような大量の虫の群れがカルゴン達を押し流そうと迫ってきたのだ!
軽装のため肌が多く露出していた彼女は、慌てて重武装のランガルに元まで飛び退いき、彼を壁代わりにして虫の群れをやり過ごす。
「な、なんスか……あれは」
訳のわからぬ突然の珍事に呆気にとられていた槍の英雄達だったが、再び敵の槍使いの少女に目をやると、そこにはいつの間にかもう一人、少女の前に立つ女の姿が増えていた。
あれ? どっかで見たような… …などと、カルゴンが眺めていると、その女を確認したランガルが驚きの声を漏らす!
次いで、カルゴンも「あ!」と間の抜けた声を出していた。
「ラービ姉様!」
嬉しそうなレイの声にラービは頷いて答え、カルゴン達に向き直る。
警戒する敵を前に、ラービは胸元から怪しい蟲のオブジェが着いた杖を取り出した。
それを振り回してからカルゴン達に向かってビッと突きつける!
「あえて名乗ろう!ワレはラービ! 一成の嫁にして、蟲の女王! 貴様らに捕らわれた屈辱、必ず晴らさせてもらうぞっ!」
雪辱に燃えるラービの声が、森の中にこだました!