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くちゃ……じゅる……ずずっ……くちゃ……
コルノヴァとヤーズイルが咀嚼する音だけが辺りに響く。
俺やレイだけでなく、バロストと戦っていたイスコットさんも呆然とした顔でその光景を見ていた。
ラービが魔神に食われている。
依り代としていたスライム体だけでなく、それと繋がっていた何かが一緒に失われていく感触があった。
その現実を頭では理解しているのだが、感情が追い付かない。
叫んだ声も枯れ、自分でも知らない内に一筋の涙が頬を伝っていた。
やがて、満足そうなため息と共にラービを食い尽くしたコルノヴァとヤーズイルがベロリと口元を舐めると、裂けていた口が元通りになっていく。
何事も無かったかのように俺達に向き直る二体の魔神。
まるで最初からラービが居なかったかのような雰囲気を醸し出しているが、奴等の足元に散らばるラービの身に付けていた鎧が、先程の惨劇が現実であった事を物語る。
俺はゆっくりと回復薬の入ったケースを口元に運ぶ。
身体に走る激痛も、体内に流れ込んでいく薬の味も、何も感じない……。
現実感の無い意識の中で、ただひとつだけの想いが俺を動かす。
ころす……殺す、殺す!絶対に殺す!!
これが純粋な「殺意」というものなんだろうか。
黒くて熱くて物が渦を巻いていて、そのくせそれは氷よりも冷たい。
こんな感情は、日本に居たときには……いや、この世界に来てからも感じた事はなかった。
自衛や捕食のための殺し合いでは感じなかった禍々しい感情……その感情には、何もかも忘れて溺れてみたいという誘惑がある。
自分で言うのもなんだが、多分、動き出したらもう止まれないだろう。
だから、今の内に考えておかなきゃならない事がある。
バロストとの間合いを取るために跳躍したイスコットさんが、俺の近くに着地した。
すぐに駆け寄ってきて、俺の様子を伺う。
俺がその時、どんな顔をしていたのかは解らない。
だけど、イスコットさんが一瞬だけ怯んだのは理解できた。
「……イスコットさんの『工房』って何人くらい入れるんですか?」
唐突な俺の質問に、意図を察したイスコットさんは少しは戸惑いながら答えてくれた。
「……二人だ。僕ともう一人で定員になるように設定してある」
技術の漏洩や素材の盗難を防ぐ為に、イスコットさんと助手係になる誰かの二名しか入れないようになってるらしい。
以前、見学させてもらった時はかなり広かったから、シェルター代りにならないかなと思ったんだけど、やっぱり思い通りには行かないか……。
「じゃあ、俺がこれから戦いを挑みますんで、俺達が殺られたらハルメルトを連れて『工房』に避難して下さい」
「何を……言ってるんだ……」
俺の提案に、イスコットさんが厳しい顔付きになる。
本当はイスコットさんも俺の言葉の意図を解っているんだと思う。
だけど……だからこそ、俺は考えを言葉にして口にした。
「アイツらからは逃げ切る事なんて出来ない」
逃げるつもりは更々無いが、事実を先ず確認する。
「生き残る可能性が一番高いのはイスコットさんの『工房』です。その工房に二人しか入れないなら、自分の世界に帰る方法を見つけられそうなハルメルトを絶対に助けなきゃならないでしょう?」
「……冷静な判断だな」
イスコットさんが硬い声を漏らした。
そう、俺の判断が一番効率的なのは彼も解っているんだ。
ただ、俺という犠牲が必要なのだということも。
自分の命も客観視するのは確かに冷静といえば冷静だけど、普通に考えれば常軌を逸していると言った方がいいかもしれないな……。
「死ぬ気なのか……ラービの後を追って」
確かに端から見れば、俺の行動と判断は自殺志願者と変わらないだろう。でも、明確に違う点がひとつだけある。
「後を追う訳じゃありません。奴等に勝てないことも解ってます」
そう、解っている……だが。
「アイツらへの殺意が押さえられない……。何もせずに、逃げるなんてできるハズがない!」
俺なんかを好きだと言ってくれた、家族同然の女を目の前で食い殺されて、おめおめと逃走なんか出来ない!
次の機会を伺えば、きっと俺はもう奴等を討つ事が出来なくなる。
だから今!ここで!奴等を殺す!
勝ち目や可能性はどうでもいい、たとえ殺されても奴等を殺す!
どうしようもない殺意が俺の中で嵐となっている。
それを悟ったのだろう、イスコットさんはハルメルトを呼んで『工房』へと入らせた。
「カズナリさん……死なないで下さいね!」
涙目で訴えるハルメルトに小さく頷いて返し、俺は一歩踏み出す。
「ギリギリまで見守らせてもらうぞ。場合によっては加勢もさせてもらう」
後ろから頼もしい事を言ってくれるイスコットさんに感謝しつつ、俺はまた一歩踏み出した。
そして、そこにはレイが待っていた。
「悪いな、付き合わせて」
あちらこちらにヒビが入っている少女。
そんな彼女の手を借りなければならない事に、少し罪悪感を感じる。
しかし、レイは首を横に振った。
「主と戦場を駆けられるなら本望です。最後までお供しますよ」
ニコリと笑い、レイが手を伸ばして来る。
俺がその手を取ると彼女の体は崩れ始め、再び集まって再構築された一振りの槍がこの手に残っていた。
さあ、準備は出来た。
かつて灰色の槍と呼ばれた『灰色白骨』を手にし、本日三度目の『限定解除』を発動させる。
すると、不意に鼻から血が流れた。
やはり日に三度は無茶だったのだろう。だが、そんなことはどうでもいい。
鼻血が流れようが溢れ出そうが、身体が動きに支障なく奴等の息の根を止められるなら問題など何もないのだ。
そんな俺達を観察していたバロストが、感慨深そうに何度か頷いた。
「そう……そう来なくてはな。追い詰められた鼠よりは、不退転の覚悟で来てもらった方が良いデータが取れるというものだ」
……魔神も最悪だが、コイツはもっと最低だ。
ついでに殺せたら殺しておこう。
激しく荒れ狂う漆黒の殺意にこの身を全て委ねる。
狂気にも似た感情に突き動かされ、俺は憎き魔神達をくびり殺す為に地を蹴り、一本の矢となって駆け出していった!
…………………………数分後。
ボロボロになった『神器』が地面に転がる。
俺はといえば、ヤーズイルの巨大な手に押し付けられるようにして大地に倒れ伏していた……。




