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「が……ぐっ……うごご……」
謎の薬品を注入され、ヤーズイルが苦痛に顔を歪める!
ボタボタと吐瀉物を撒き散らしながら、もがき苦しむその様は、毒物を打ち込まれたようにしか見えない。
てっきりドーピングか何かで、テンションを上げながら大暴れするもんだと思っていたから、予想外の展開に面食らう。
だが……。
「なにかのぅ……嫌な予感が消えぬ」
ポツリと呟くラービの表情は堅い。そして、バロストとコルノヴァを除く全員が似たような表情をしていた。多分、俺も。
明らかに失敗した風にしか見えないのに、バロストの余裕と何か……勘のような物が警戒を解くなと告げている。
「じゃあ、これ。コルノヴァ君の分ね」
緊張する俺達とは逆に、平然とバロストは再び取り出した薬品入りの注射器をコルノヴァに渡す。
受け取った彼女は、顔色ひとつ変えずに自らの腕に針を射し込んで、躊躇なく中の薬品を流し入れる!
何やってんの!と、敵ながら心配してしまう。褐色美女だからって訳ではなくてな!
だが、足元にめっちゃ苦しんでる人がいるっていうのに、なんでそんなに平気な顔して怪しい薬を受けられられるんだ……。
そんなにバロストを信用しているんだろうか?
「あっ……え"え"ぇ……」
目を見開き、端正な顔を歪めて、やはりヤーズイル同様に苦しみだすコルノヴァ。
元が凛々しい美人なだけに、苦悶の表情と胸を掻きむしるような苦しみ方は凄惨の一言に尽きる。
……いかん、なんか開いちゃいけない性癖の扉が開きそうだ。
パンパンと頬を叩いて気合いを入れ直す!
「さて……二人が羽化するまで少しかかるだろうし、それまで私が君達の相手をしようじゃないか」
「羽化」という単語に不吉な予感を持った俺達は、一斉に構えてバロストに対峙する!
しかしそんな中、俺の近くに移動してきたハルメルトが、小さく問いかけてきた。
「あの、いいんですかカズナリさん……。い、今あの人を倒してしまうと、帰還魔法の手がかりが……」
あ……それがあったか。
うう……確かにそれは大事なんだが、かといって手加減できる相手じゃ無さそうだし……。
高速で考えを巡らせて、導きだした答えは……。
「今は全力で奴等を倒そう!上手く生け捕れればよし仮に殺害しても、後で奴の研究施設を漁れば手がかりは見つかるかも知れないしな!」
何となく……いや、かなり悪役っぽい考えだが、ハルメルトは無理矢理に納得したのか、吹っ切れた表情で戦闘に備えた。
「気を付けろ!奴は恐らくヤーズイルと同じ戦法で時間を稼ぐつもりだ!」
ティーウォンドが警告を発するが、レイ達がヤーズイルと戦っていた時は俺も操られていたラービ達と戦っていた訳で……どんな戦法を使われたのかよく解らん。
「間合いを取ってからの、細かい魔法の連打による削り戦法ですね」
レイがティーウォンドの警告に補足してくれた。
なるほど、そのパターンか。
確かに魔術師なんて近づかれたらアウトだしな……そういう事もするかもというのは、予想の範囲内だ。
だが、レイとティーウォンドだけで戦っていた時とは違い、今はハルメルトを除いても英雄クラスが五人もいるんだ、下手すりゃいじめになっちまうぜ。
油断してると足元を掬われるから容赦はしないけど。
「いや……実を言えば私はヤーズイル殿ほど攻撃魔法が得意ではなくてね」
参ったな……と言わんばかりの、困ったような笑みを浮かべてバロストは頭を掻く。
普通は自分の弱点を晒すなんて、引っかけの為のブラフだろうが……コイツは多分、本当に攻撃魔法が苦手だと告げている。
だが……まるで某探偵小説の主人公みたいな、「外見で侮られるが実はめっちゃ出来る人」的なオーラを感じるぜ……。やはり油断はできん。
「まぁ、だからね。こういう手段を取らせてもらうよ」
神器『星の杖』をバロストが振りかざす。俺達は奴がどんな魔法を使ってきても対処出来るように身構えた!
「転送空間」
ん?
バロストの唱えた魔法って、確か転送……って、うおっ!
何かをここに送り込むのかと訝しんだ次の瞬間、唐突に足下の地面が無くなり、ぽっかりと口を開けた空間に腰まですっぽりと落ち込んでしまった!
そこからズブズブと、まるで底無し沼に沈んでいくかのようにゆっくりと落下していく。
「とりあえず時間稼ぎのため、君達を適当にこの周辺の森の中に飛ばすから、ゆっくり戻って来てくれ」
そう言うと、奴はにこやかに手を振りながら俺達を送り出した。
ちくしょう、ふざけやがって!
なんとか抜け出そうともがいてみるが、奮闘むなしく俺達は転送魔法の入り口に全身を飲み込まれてしまった……。
一瞬だけ、水中に沈んだような感覚を覚える。
が、すぐに転送魔法の出口側から排出されて、森の中に放り出された。
くそっ……ここはどの辺なんだ?
とりあえずは先程の戦いの舞台だったヤーズイルの拠点である、塔が建つ広場を見つけなければ!
……ここは、高い木に登ってみるか。
手近にあった木にスルスルと登り、周辺を見渡すと……あった!
ゾンビ共に邪魔されないよう、ティーウォンドが作り出した氷の障壁が太陽の光を反射している。
その距離……目視で大体、二百メートルって所か?
意外と近い場所に飛ばされたらしい。これならすぐに戻れそうだ。
木から飛び降りて、先程の場所を目指し走り出したその直後!
突然、森の中を徘徊していた数体のキメラ・ゾンビとエンカウントしてしまった。
くっ、今はコイツらと遊んでる暇はないというのに!
だが、よく見れば魔人ベースではなく普通の魔獣がベースっぽい。ならば速攻で片付ける!
瞬く間にキメラ・ゾンビ共を蹴散らし、再び俺は駆け出す!
しかし、五十メートルも進まない内にまたもキメラ・ゾンビとエンカウントしてしまう。
ええい、一体どれだけのキメラ・ゾンビを投入しやがったんだ!
襲いかかってくる奴等を迎撃しようとすると、不意に横合いから飛び出してきた人影が、キメラ・ゾンビの首を飛ばし、あるいは胴体ごと真っ二つに両断する!
「イスコットさん!」
キメラ・ゾンビを瞬殺した人物の名を呼ぶ!
「近くに飛ばされたようで良かった。他の皆は?」
イスコットさんの問に、俺は首を横に振る。
「そうか……なら、兎に角さっきの場所まで戻る事を目指さないとな」
その意見には大賛成だが、この森に放たれているキメラ・ゾンビは相当数いるようだし、戦っても避けていっても結構な時間を取られそうだ……。
「……カズナリ、飛んでみるか?」
ん?どういう事?
首を捻る俺に、イスコットさんは自分の戦斧をチョイチョイと指差して見せた。
「カズナリ、準備はいいか?」
「よくはないけど、オーケーです!」
半ばヤケクソ気味に返事を返す!
今俺は、その幅広い刃を寝かせた斧を足場にしてしがみついている状態である。
イスコットさんが提案したのは、足場にしている斧を思いきり振り抜いて、そこに乗っている俺を大きく放り投げるといったものだった。
言わば人間バリスタ!もしくは人間投石機!
……やっぱり、異世界の人は考える事が一味違うな。無茶過ぎて思い付きもしなかったわ。
つーか、普通だったら死ぬよ、コレ。
「なあに、カズナリなら大丈夫さ!」
なんの根拠もなく、イスコットさんは笑って断定してくれる。
ああ……そういえば、この人は俺がこっちに来たばかりのころにマーシリーケさんから地獄の訓練を受けていた時もこんな調子だったっけ。
リアルでハンティングゲームみたいな人生を送ってきたイスコットさんの「大丈夫」と、ぬるい高校生だった俺の「大丈夫」では、ここまで重さに差があるんだなぁ……。
「それじゃあ、いくぞ!」
乗っている斧の上からでも、イスコットさんの全身に凄まじい力が溢れていくのを感じる。
『限定解除』を使用しているのだろう。
限界まで行ってしまう俺の限定解除と違い、イスコットさんやマーシリーケさんは限定解除のオンオフを切り替える事ができるので、肉体へのダメージも少なく便利そうだ。
俺もその領域まで早く行きたいもんだなぁ。
なんて事を考えていると、俺がしがみついている斧が大きく振りかぶられた!
「行ってこおぉぉぉぉい!」
刃を寝かせた上に人が乗ってる斧なんて、とんでもない重量と空気抵抗があっただろうけど、凄まじい威力で斧は振られ、絶妙のタイミングで俺は手を離してバロスト達のいる方向に撃ち出される!
風圧で顔がひどい事になりつつ、俺は投石機で射出される岩の気持ちを体感しながら、みるみる氷で囲まれた塔のある広場へと近づいていく!
そこでハッと気がついた。
上手く受け身が取れれば大丈夫だったかもしれないけど、俺このままだと氷壁に激突して死ぬ……?
ちくしょおぉぉぉぅ!!
さっきから俺、死亡フラグ立ち過ぎじゃねぇかな?
理不尽過ぎて笑えねぇぞ、コラァ!
なんて、嘆いていてもどんどん氷壁は迫ってくる!
うう、くそっ!死亡フラグがなんだ!
そんなもん、何回だってへし折ってやる!
なんとか体を回転させて、足の方から突っ込む形に持っていく。
そして以前、新獣たる『女帝母蜂』を倒した時の如く、某特撮ヒーローの必殺技をイメージしながら蹴り足に力を込めた!
迫りくる氷壁を前に、ふと氷壁を精製した奴の事を思い出す。
「食らえ、ティーウォンドオォォォッ!」
ムカつくあんちくしょうの顔面に蹴り込むように、気合いの雄叫びを上げながら俺は着弾した氷壁を粉々に撃ち砕いた!
さながらアクション映画の主人公のように、爆発音にも似た氷壁を破壊する轟音と一緒に再び俺は戻ってきた!
ちょうど壁を砕いた事で、イスコットさんに射出された際の運動エネルギーは相殺され、俺は華麗に広場へ着地する。
「早っ!」
奴の予想よりもはるかに早く、かつド派手に現れた俺の姿にバロストも思わず声が漏れてたようだ。
うん、敵を出し抜けると気分がいいな。もう一回やれと言われたら「絶対にノゥ!」だが。
さて、見れば未だにヤーズイルとコルノヴァは痙攣祭りの真っ最中みたいだな。
ならば、まずはバロストをぶっ飛ばす!
踏み出す俺の姿に奴も迎撃の体勢を見せる。
「やれやれ……まあ、相手が一人ならなんとかなるか」
近付く俺の耳に奴のそんな言葉が聞こえてきた。
んん……やれるもんなら、やってみやがれ!