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「ようやく会えたな……黒い戦士!」
傷心のラービに近付こうとしていたティーウォンドが、イスコットさんの姿を発見するや戦士の顔付きになってそちらに向き直り、轟氷剣の切っ先を突きつけた!
以前、轟氷都市で「街を守る」為とはいえ彼に敗北したことが未だに無念だったようだ。
スケベ心よりも戦士の矜持が勝った辺りは、ギリギリで英雄と言っていいかもしれない。
「あの時に受けた屈辱……今度は全力を持って晴らさせてもらうぞ!」
激しい気迫を叩きつけるが、イスコットさんの反応は何もない。
無反応に肩透かしを食らったようなティーウォンドは、どうリアクションを取っていいのか解らずに剣を突きつけたまま困ったような表情を浮かべた。
うん、いい気味だ。
不意に、固まっているティーウォンドに向かって何者かが拍手する。
「いやぁ、熱い気迫に決意……さすがは五剣の英雄、操られている彼に代わって、私が称賛しよう」
そう言いながら助手と共にバロストが再びティーウォンドに向けて拍手を浴びせた。
完全に見物客の煽りである。
命をかけた決意を茶化されたと感じたティーウォンドが、怒りを込めた視線でバロスト達を睨み付けた。
「まるで他人事だな!いいか、この黒い戦士の次は貴様らがこの轟氷剣のサビとなる事を覚悟しておけ!」
オイオイオイ、イスコットさんを殺すなや!
「ティーウォンド!イスコットさんを助けるなら兎も角、殺すような真似はするなよ!」
奴の肩を掴んで牽制する俺の手を乱暴に弾き、ギロリと俺を睨む。
「殺すなだと?奴の強さは本物だ、手加減などすればこちらが死ぬぞ!」
んな事は解っとるわ!
だけど、別にイスコットさんと直接ぶつかる必要は無いだろうが!
「イスコットを操っておるのはあのヤーズイル。ならばアヤツを先に倒せば、イスコットが正気に戻る可能性は高い」
俺が考えていた事を口にする前に、ラービがティーウォンドに告げる。
「なるほど……。確かに、英雄クラスの武人よりも、それを操っている魔術師を倒す方が確実かつ簡単……と言うことですか」
ったく……こいつ、本当にラービの言うことになら耳を傾けるな。
まぁ、ラービもそれを察したから俺が言う前に言ったんだろうが。
「作戦はまとまったかな?」
話合っていた俺達に、ヤーズイルが声をかけてくる。
「まぁ、このキメラ・ゾンビ達も、蟲憑きの戦士も私がコントロールしたいるのだから、全力で私を狙う……といった所かな?」
読まれてた……。というか奴が言った通り、容易く逆転する目があるならそこに全力をを注ぐのは定石だよな。
「先程、私は出し惜しみはしないし、切り札も使うと言った……」
チラリと俺の方を見るヤーズイル。
……まさか!
「だから使おう、再びこの蟲の杖の力をな!」
宣言と同時に、蟲の杖が羽音のような震動と緑色の光を放ち始める!
ヤバイ!これはなんかヤバイ!
異様な悪寒が背筋を走る。
「さあ、蟲憑きの少年よ!君も我が下僕となるがいい!」
目映い光と耳障りな震動が、強大な魔力の波となって周辺に広がっていく!
くっ、俺もイスコットさんやキメラ・ゾンビの様に奴にコントロールされてしまうのか?
避けようにも、既にこの周辺は奴の魔力に満ちていて、範囲外に逃げ切るのは不可能!
なす術なく身構えるしかない俺達を、荒れ狂うその波動は飲み込み、爆発する様に弾け飛んだ!そして……。
………………………………ん?
恐る恐る目を開ける。だが、意識はハッキリしており、別段変わった所もない。
ん?んん?
マジで何とも無い……?
パタパタと体のあちこちに触れてみるが、やはり全く異常は全く感じなかった。
あまりに拍子抜けしてポカンとしていると、俺以上にポカンとしているヤーズイルと目が合う。
あれー?といった感じで、ヤーズイルは蟲の杖を振ったり叩いてみたりしている。
あの様子から、蟲の杖の能力を発動させたんだろう。だが、どういう訳か、俺には通じなかったらしい。
「フッフッフッ……」
呆気にとられている俺達の耳に、小さな笑い声が届く。
その笑い声の主……白い少女のレイが、堪えきれないといった感じで大きく笑いだした。
普段、感情の起伏があまりに感じられないから、その突然のテンションの高さに俺がびっくりしてしまう。
ひとしきり笑った後、レイはヤーズイルを指差して勝ち誇った様に叫んだ。
「どうやら、その神器の力は私には及ばなかったようですね!私と魂で結ばれている御主人様を操れなかったのがその証拠です!」
そういう事か!
英雄達は怪訝そうな顔をしているが、レイが神器の化身である事を知っている俺は大いに納得がいった。
要するに、神器『蟲の杖』の能力を、同じく神器である『灰色白骨』が相殺したと言うことだろう。
やるじゃないか、レイ!
よーし、操られる心配はないし、固まって攻めればヤーズイルの喉元まで詰め寄れそうだ!
形勢逆転の為にも、一気に突っ込んで……ぐはっ!
突然、横から蹴りつけられて受け身も取れずに地面を転がる!
なんだっ?誰が攻撃してきた!?
頭を上げて俺がさっきまで立っていた場所を見ると……そこには蹴りを放った体勢のラービの姿があった。
なにやってんだ、お前は!
確かに突っ込んで……とか思ったけどボケに対するツッコミって意味じゃないだろうがっ!
冗談にしては力が込められていた蹴りに文句を言おうとして、ラービの雰囲気がおかしい事に気がついた。
虚ろで焦点が合っていない瞳。
呆けた様な半開きになった口。
ポタリと垂れ落ちる涎。
明らかに正気ではない……というか意識がない?
だが、だらしないのは表情だけで、ゆらりと構えをとる全身に隙はない。
……ひょっとして、操られてないか、これ?
どういう事だよ、レイさん?
「ラ、ラービ姉様とは魂の契約をしていなかったので……」
つまり、同じ蟲脳を共有しているが、神器の加護が無かったラービはまともに蟲の杖の影響を受けちまったのか……。
「あと、先程の御主人様とのやり取りも関係しているかも……」
やり取りって……ちょっと揉めただけだし……。
一応は謝ったし……。
「御主人様に拒否されて、ラービ姉様は想像以上に衝撃を受けていたのかもしれません……」
その心の隙間を突かれたという事か……?
ぐぬぬ……まさかそんな……そこまで彼女が繊細だったと言うのか……。
「……ふむ、蟲憑きは少年だけかと思ったが、そっちの娘もそうであったか」
ヤーズイルが興味深そうにラービを眺める。
正確には「蟲そのもの」だが、わざわざ教えてやる事も無い。
だが……それにしてもこの状況はひたすらマズイ。
まさか、イスコットさんに続いてラービまで敵の駒にされるなんて……。
「多少、想定とは違うが、まぁいい。どちらにしろこれで君達は終わりだ」
ヤーズイルの言葉に、キメラ・ゾンビ達がざわざわと蠢き出す。
しっかりとした訓練を積んだ軍隊のように整然としながら、命令通りに俺達からヤーズイルを守るように固まって陣形を取り始める。
頑強な肉の壁に、英雄クラスの攻撃力とヤーズイルの布陣は鉄壁に近い。
「さぁ始めよう……」
ゆっくりと上げられたヤーズイルの手が降り下ろされようとした瞬間!
「作戦タ――イム!!」
俺の絶叫が響き、ヤーズイルの手がピタリと止まった。