教会にて、お手を拝借
前回はようやく街に着いて、中に入れました。でも、何か雲行きが怪しいようです。
ベンジの街の門をくぐった健太は、門を背にして真っ直ぐに伸びる大通りに目がいっていた。
門から綺麗に真っ直ぐ伸びる大通りの道は、均されただけの土の地面で、舗装された石畳があるわけでもなかった。
通りに面している建物は、その殆どが平屋にしか見えない物ばかりで、土壁か石壁、もしくは木造といった作りの建物で構成されていた。
大通りの突き当たりまでの道は見えなかったものの、遠くには若干小高くなっている丘が見えて、そこに大きめの邸宅が見えた。
それが領主の住む邸宅なのだろう。
では、教会というのは、どこにあるのかと見回してみると、門を背にして右手側の奥に何階建てかわからない塔が見えた。
遠目から拡大して見ていくと、塔の壁面は白磁の陶器を思わせるような滑らかな表面をしており、真っ白な大理石のように見えた。
窓は塔にいくつか開いているように見えたのだが、視力が良くても不思議な事に、中の様子が一切見えなかった。
領主の住むであろう邸宅に見える窓は、部屋の中まではっきりと見えているのだから、距離のせいで見えないということにはならない。
「右に見える塔が、これから向かう教会だよ。教会周辺は結界が張られているせいで、今見えている景色は、実際に近づくと違って見えるよ。つまり、ここから見える物にはある程度フィルターがあるってこと。
ここからだと窓があるようにも見えているだろうけど、実際はそんなもの存在していないのっぺりとした塔だからね」
健太が疑問に感じた事など、手に取るようにわかっているというように、リタは説明をしながら、手の平に乗るほど小さな楕円形の何かを渡してきた。
健太は、手の平で、それを受け取って指でつついてみると、ふにゅふにゅと低反発をする素材で出来ているようだった。
それが二個あり、形状は片側が細く、片側が太くなっている楕円形の低反発素材。
色はライトグリーンで、細い側が小指の先ぐらいで、太い方が親指ぐらい。
「耳栓か。教会でつまらない話を聞き流せるように、っていう対策とかか」
「いや、鼻栓だよ。私は自分の周囲を快適な環境に維持出来るから構わないけど、ケンタは求めなかったから、与えてない。だから、必要になると思ってね」
鼻栓と言われても、健太はすぐに何故必要なのか理解出来なかった。
この街は確かに中世ヨーロッパ風味な様相を漂わせている。
これがもしも、街に近づくにつれて異臭でもしていたのなら、納得もしたし、門をくぐって異臭がしたのなら、わかる。
でも、今この場に立っていても空気が変というのは感じなかった。
むしろ、それどころか街の中に入る前よりも空気が清浄とさえ思えた。
馬車の往来を妨げることがないように、脇へと避けていたが、馬車の通る大通りには馬糞の一つも落ちていない。
馬糞どころか、馬の抜け毛さえも見当たらなかった。
「よくわからないんだが、鼻栓で何を防ぐんだ。教会の中で匂いをかぐと発狂するようなお香でも焚いてるのか」
「普通に排泄物の匂いを防ぐ目的だねえ。この街が出来てからどれだけの年月が経っているのかなんて、私は知らないけど、その頃から一切風習を変えずに、出した糞尿をそこらへんに捨ててるからねえ。
教会周辺は、ハエは多いしネズミも多いし、病原菌も無数に飛び回ってるし、教会の裏手だと人の死体なんかも腐っているからねえ。匂いに敏感な人なら、確かに発狂するかもねえ」
「街の中は、こんなに綺麗じゃないか。それなのに、教会周辺だけが悪辣な環境っておかしくないか」
「まあ、単純に言えば、それが結界のせいなんだよね。結界があるせいで、教会周辺の環境だけは変わらなかった」
結界があるから変わらず、なかったから変わった。
リタはそんなような事を仄めかしていた。
ここでリタから解答を聞くのが最短だというのはわかっていたが、折角もらった能力を使わないのはおかしい。
リタが与えてくれた能力は、健太の意識次第、つまり想像力に比例して柔軟に形を変える。
健太は解析に魔力を指定して、魔力に薄い赤を想像してから、周囲を観察した。
すると、自分の足下や街の建物、地面に壁、それだけではなく、空にまで薄い赤がばらまかれていた。
まるで、何かの意思を持った魔力が街全体をすっぽりと覆っているかのようだった。
だからといって、その魔力自体を掴むことは出来ずに、握りしめた拳からは風に吹き流されるように、魔力はどこかに運ばれていった。
「街全体に何かの魔力を感じる。リタの口ぶりだと、これがリタの仕業ってことか」
「ご名答だね。この街には浄化を使用してあるんだよね。ここに来たばかりの私が、今までの文化やら生活習慣を変えるように言ったところで難しいものがあるでしょう。上水と下水に関しても都市計画に首を突っ込むわけにもいかない。
それなら、出てくる傍から浄化処理をかけてしまえば良いんじゃないかって思ったわけよ。各建物の裏路地に捨てられるゴミやら排泄物やらは、地面に到達した瞬間に自動分解されるようになってるの。
で、分解された後はそのまま地面に吸収されて、養分になる。空気に関しては常に浄化が循環することで殺菌されていくってわけね。基本的にこんなもの永続発動させないと意味のないものだから、無意識で出来る程度じゃないとやってられないわけ。
で、無意識で自動的に行われる程度の精度だったせいか、神様が管理している教会周辺の結界を超えることが出来なかったってわけ。だから、鼻栓の出番ってわけ」
まるで何てこともないと、リタの説明は物語っていたが、それが違うのは、少しでも講義を受けた健太には容易にわかった。
ぱっと思いつくだけでも、世界中に分散しないように発動場所の制限、分解するものの選定、殺菌するものの種類、人間や馬などの生物に取り込まれないようにする、他の魔力と混ざらないようにするなど。
一体、どれだけの命令式を与えられた魔導なのかわからなかった。
リタの講義によって、基礎を知ったからこそわかる、あり得ない、そういう事だった。
まあ、それはともかくとして、鼻栓の必要性を正しく理解した健太は、それをしっかりと鼻に詰めて、教会があるとされる方向へと歩き出した。
リタが先頭を歩いて、数分歩くと、がらりと街の空気が変わった。
よく殺気がするとか、悪意の気配を感じるとか、そういう意味で空気が変わるという表現がある。
でも、今回の場合、本当に文字通り空気が変わったとしか言えなかった。
空気が酸っぱくて、目を開けているだけで目が痛くなってくる。
鼻は確かに鼻栓をしていて、それがきっと高性能なのだろう。
口から大量の臭い空気を吸い込んで、その一部が鼻に触れているはずなのに、鼻の中では軽いミントの香りで支配されていた。
「マッ、マスクと、ゴーグルを貸してくれ!」
アイテムボックスに大量の銃を入れてくれたリタだ。
それなら、当然に他の物だって持っていると確信して、健太は隣を歩くリタに頼んだ。
でも、返ってきたのは非情であり、実に正しい答えだった。
「上下を紺色のジャージで、足は裸足。これだけでも結構端から見れば変な格好だよ。そこは私の商人ランクで、強引に教会関係者にねじ込むけど、鼻栓は目立ちにくいとして、更にマスクとゴーグルを付けるの?
それは健太の世界では普通のファッションとか、流行でもあるの?そこまで不審者と思われる格好になると、多分教会の敷地に入れてもらえないと思う」
うん、俺もそう思う。
仮に俺がアパートで寝ていて、そんな奴が訪問してきたら、絶対にドアを開けずに居留守を決め込む。
花粉症の厳しい時期になったからって、マスクはともかくとして、ゴーグルまで付けてる奴なんて、早々居ない。
現代日本においてでさえ、後ろ指さされて、ひそひそと笑われるのは間違いない格好だ。
場合によっては、本当にリタの言うとおり不審者として通報されかねない。
「あっ、あの装備だったら顔を隠しても不審者に思われないかも・・・・・・でも、手袋が一体になっていて脱ぎづらいし、血液の採取が難しいから、無理かなあ」
「いや、それぐらいどうにかなる。是非、その装備とやらを俺に見せてくれ」
リタが空間からずるりと取り出した服一式を受け取った健太は、広げて眺めた。
それは頭からすっぽりとかぶって使用するガスマスクと、長靴と手袋までが一体となっている真っ黄色のツナギだった。
その黄色い素材は布っぽくなくて、ビニールのようなスベスベとした変わった素材を使用していた。
これは、もしかしなくても、普通にわかる。
何らかのバイオテロや、凶悪な病原菌が発見された時に調査したり、放射能の汚染濃度が極端に高い場所で作業する時に使うような奴だ。
確かに、これならどんなに劣悪な環境でも目と鼻が痛くなることもないだろうし、長靴付きなのだから、足も汚れずに済む。
「いやいや、これはどう考えても、いや考えなくても超絶なまでの不審者にしか見えないだろ。むしろ、これで教会に入れるようなら、俺はそんな教会、大丈夫かと疑うぞ」
「ん?この服は不審者に見えるだろうけど、同時に教会という組織であれば渋々認めなくてはいけない物なんだよ。逆にこういうのを認めなければ、それこそ弱者救済という観点から教会という組織は疑われることになるからね」
「どういうことだ?」
「ほら、病気って事にするんだよ。全身を服で包み込まないとすぐに死んでしまう病気なのです、というのと、同時に周囲にもその病気を感染させてしまうので、それを防いでいるのです、って感じでね」
「なるほどーって、いや、ちょっと待てよ。その理屈で言ったら、俺はどこに行くときもそれを装備しないといけないって事になるじゃないか」
「そうなるね。でも、この先も何だかんだで教会にお世話にならないと、この世界で生きていくのは難しいんだから、この際不審者も突き詰める所まで突き詰めてしまえば、この先何も恐れる物は無くなる。そう解釈しちゃえばいいじゃない」
「ま、まあ、リタ。とりあえず、この装備は何かあった時にもしかしたら使うこともあるかもしれないから、ひとまずもらっておく。で、今は何とか我慢するから、先を急ごうか」
異世界に来て、永遠にコーホーとか言いそうなガスマスクをした生活なんて想像もしたくなかった。
大体、不審者として突き抜けたい奴なんて普通は居ない。
最強の英雄とか守護者とかいう肩書きは夢見ても、最強の不審者とか、ただの怖い人だ。
そうして健太は我慢と見て見ぬふりと、現実逃避を駆使して、ひたすらにリタの後を追いかけて教会へと目指した。
その道のりは、きっと距離としてはせいぜい2kmも無かっただろう。
それでも教会までの道は長く険しかった。
路地の脇、建物の脇などに、うず高く積まれた何か、そう何かだ。
そこにぶんぶんとたかるハエ、ネズミもウロチョロと。
所々で白いニョロニョロが見えたような気もしたが、この時ほど視力強化を呪ったことはない。
それに、道も所々水たまりやぬかるんでいる場所もあり、それが本当に土なのか、それとも別の何かなのか、そんな事はわからなかった。
そう、わからなかったのだ。
決して、気付かないようにして、気にしないようにしたわけではない。
時折、住居と思われる窓からは、桶を逆さまにして何かが地面にぶちまけられる。
ベチャベチャと粘度があったり、石ころのような物が混ざっていたりと様々だ。
そういった光景がどこもかしこも、そこらじゅうで延々と発生しているわけだ。
やがて、教会と思われる塔が目の前まで見えてくると、どういうわけだか、塔の入り口周辺だけは綺麗に整えられていた。
それでも、さっきまで歩いてきた道に比べればマシという程度ではあった。
害虫が発生する原因となりそうな物が、地面のシミになっている程度で、目立つ物がない、そういうことだ。
きっと、毎日掃除をしている者がいるとか、そういうことだ。
塔は改めて見上げてみると、5階建てぐらいはありそうな丸い塔だった。
正面の入り口には銀色の板金鎧が目立つ騎士っぽい格好をした男が二名、入り口の両脇に立っていた。
教会の信者と思わしき人達が出入りしても止める様子は見せず、ただ立っているように見えた。
リタが健太を伴って、塔の中に入ろうとすると、両脇に立っていた男達は、壁に立てかけていた槍を手にして、中に入れないように槍を突き出してきた。
「止まれ、怪しい格好をした奴を連れて、どこに行こうとしている」
「はい、すみません。迷い人を行商で保護したものですから、登録を行いに来ました」
「ほぉ、迷い人か。ここまでご苦労だったな。では、後は我々が引き継ぐから、そこに迷い人を置いて帰るといいだろう」
「いえいえ、神殿騎士様のお手を煩わせるわけには行きません。私が同伴して登録を致しますわ」
「いいから、置いていけ、と言っておるのだ」
リタと入り口に立っていた騎士は押し問答のようになり、流石に槍で突くのは忍びないと思ったのか、リタを捕まえようと手を伸ばしてきた。
すると、伸ばされた手はリタに届く事はなく、騎士は何もない地面で勝手に足を滑らせて転んでしまった。
騎士が立ち上がろうともがいている隙に、リタはもう片方の騎士に、自分の身分証明カードを見せた。
「この迷い人は、私リタ・ストンが責任を持って教会で登録させる旨を、街の衛兵と交わしております。もちろん騎士様を疑っているわけではありませんが、信用を第一とする商人が約束を違えることは商売上の損失となります。
ですので、この場だけは通してもらえませんでしょうか。登録さえ済ませてしまえば、私の責任もそこで果たされた事になります。そうなれば、その後は自由になりますので問題はないはずです。
それに、最近開店したばかりですが、ストン商店でのお買い物の際には、都合をつけるようにしますわ」
「うむ、通るといいだろう」
「ありがとうございます。それでは失礼いたしますね」
リタは許可を得ると、カードを返して貰ってから、健太の手を引いて塔の中へと進んだ。
健太は、街の門をくぐるときにも言われ、今も言われた迷い人という単語に何か嫌な感じを受けていた。
ここで、迷い人とは一体何なのか、あの騎士は何故置いていくように言ったのか、それを聞きたかった。
でも、さっきの騎士は明らかに健太に対して悪意というよりは、まるで美味しい獲物でも見つけたかのような笑みを浮かべていた事と、リタが有無を言わさないような勢いで庇うような事をしてくれた事、それを考えると、この場での質問は避けた方が良い。
塔の中は、入ってすぐ左に受け付けがあり、そこに受付の女性が座っている。
その受付で、迷い人の登録に来たことを伝えて、身分証明カードを提出するリタ。
受付の女性はカードを確認すると、登録担当者を呼び出して、リタと健太の案内役とさせた。
登録担当者として現れた男性は、迷い人の登録はその場で行えない決まりがあり、これから向かう場所で行うので、ついてきてくるように、といって案内した。
塔の受付の奥、教会関係者しか入れない扉を開けた後、地下へと伸びる階段があり、それは螺旋階段のようになっており、数十段は下りたころになって、また扉を開け放った。
その扉の先には、地下の祭壇ともいうべきものがあった。
地底湖の洞窟をくり抜いて作ったのか、空洞そのものを施設として作ったのかはわからなかったが、その地下の祭壇は四角い空間だった。
中央の祭壇の周りを守るかのように水が囲み、祭壇までは木の橋が架かっていた。
祭壇は鈍い緑色をしていて、数段上に上がれるようになっていた。
そして、祭壇の中央には透明な水晶玉がポツンと緑の台座に飾られていた。
「ふーん、なるほどねえ。つまり、ここで迷い人の登録をするのね」
「ええ、そうなります。迷い人だけが、この先にある祭壇の水晶に触れる事で登録が完了となります。尚、この水晶は迷い人以外が触れると、触れた者の魂を吸い取ってしまうので、同行者の方は、私と共にお待ち下さい」
「ってわけで、ケンタはちゃっちゃっと、あっちにある水晶に触ってちょうだい。まあ、ケンタなら大丈夫だから、さくっと終わらせちゃって」
リタは登録担当者から注意説明を受けて、健太に中央の祭壇にある水晶を触るようにと伝えた。
でも、健太としてはどうにもあの水晶とやらが、良い物だとは思えなかった。
さっきまでは、迷い人とやらが、割とぞんざいな扱いをされているのかと思いきや、この祭壇を見る限りは、わざわざ作成したと思えるものだからだ。
この特別扱いには、嫌らしい違和感しか感じない。
ただ、ここで突っ立っていても何も変わらず、きっと出してもくれないだろう。
健太は、ままよとばかりに橋を渡り祭壇の段をのぼって、中央の水晶玉に右手を乗せた。
・・・・・・手を確かに乗せた。
そう、乗せると、何かが光を放って、健太を押し包み隠した・・・・・・なんていう展開を期待していた。
水晶玉から声が聞こえた、ってことも無かった。
何かの起動コードとなって、祭壇が崩れた、ってこともない。
いや、本当に何も起きなかった。
健太は水晶玉に触れた。
しかし、何も起こらなかった・・・・・・っていう奴だ。
「はあっ!?そっ、そんな、馬鹿な・・・・・・何故っ、何も起きないんだ!」
リタと健太を祭壇まで連れてきた登録担当者は叫んでいた。
書きためがいつも通り存在してないので、次回更新は24日か25日になります。
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