同窓会
「ぼくらのこと、おこってる?」
「まさかー」
§§§§
ボクがあの時の『彼女の一言』に思い至ったのは、久しぶりに参加した同窓会の帰りのことだった。
中学校の同窓会は前に成人式で集まって以来だから、かれこれ十五年ぶりだろうか。
三十五才にもなって久しぶりに皆で顔をつきあわせてみると、男女を問わず参加者の誰からも十代の万能感は流れ落ち、補うように日々の仕事の重責や隠しきれない家庭の色がにじみ出て見えたのは感慨深かった。
「そういえばさあ、アレ、アイツ。『サナダ』のこと覚えている?小学校の時の」
その同窓会でそういってボクの記憶の琴線をつまびいたのは中学で一番仲が良かったヒグチだった。
「実はさー、俺、アイツのことが好きだったんだよね-」
そういうと事務機器の営業をしているというヒグチは外回りで焼けた顔に酔いが加わり、土色と形容するほかなくなった顔を歪めてうつむいた。
§§§§
地元、K駅前の居酒屋『鬼ヶ島』で七時から始まった会は当初、当時に返ったかのような嬌声があふれていた。
「おまえ変わったな」「変わらんな」などの甲高く飛び交う声は杯を重ねるうちに「家を買った」「子供が生まれて」などといった今の自分たちにふさわしい重低音に置き換わった。
「ひさしぶりだなーオチ」
「うわーヒグチか!なつかしー」
そんな会の終盤でボクとヒグチはいつのまにか隣り合って話をしていた。
冷静に考えれば高校入試で離ればなれになり、いつしか疎遠になったヒグチとは彼が九州の大学に行っていて、成人式にこっちに帰ってこなかったことを考えると二十年ぶりに話すことになる。
しかし中学校の友達というのは不思議なもので、こうして隣り合い、当時の話をしていると自然と関係まで昔に戻ったような気がして、不思議なことにまったくの違和感なく会話が出来ている。
「へー、オチ氏、海外出張とかしてんの、かっこいいじゃん」
「いやいやうち中小だし。それに中国とかもあるんだよ、大変だよ」
「俺は結局東京で結婚してさー、今、たまたま嫁が里帰りしているからこっちに顔出してみたんだわ」
生活臭のしみついた低音が交差する。
「それでさ、『サナダ』がさ・・・」
不意にヒグチが『サナダ』の名前を突き出してきたのは、そんなふうにお互いに近況を交換し合い、気持ちよく杯を重ねていた時だった。
§§§§
『サナダナオコ』・・・。
『サナダナオコ』はボク達が小学校四年生の時に転校してきた女の子だった。
新学期に合わせるようにして起こった彼女の転校によって関西の端の方にあったボク達のクラスは大いに揺れることになった。
今振り返ってみると敵だ味方だといった子供独特の感情のぶつけ合いなのだが、あのとき晒された重力の底をおもわせる同調圧力は未だに自分の中でトラウマになっていて、ボクは努めて思い出さないようにしていた。
さて、『サナダナオコ』。
彼女がボク達を驚かせたのはサナダナオコの少し大人びて見える服装や容姿ではなく、彼女の話す訛った日本語や生まれてからほぼ外国で育ったという、帰国子女というまったく異色な彼女の経歴だった。
「ハジメマシテ」
カタコトという表現がまさにふさわしい日本語で挨拶したときの彼女のはじけるような満面の笑みをボクは今も覚えている。
『コレハナニ?』
『ナニカ・・・エニィアザア・・・』
そしてクラスになじもうと積極的にボク達に話しかけ、その度に笑顔を咲かしていたのも覚えている。
ボク達は一目で彼女に夢中になったのだ。
そう、彼女への評価はその整った容貌もあって、当初はボクも含めてクラスの男子全員におおむね好評だったのだ。
しかしある日を境にして彼女への評価が一変することになる。
昼休み、『サナダ』さんが休んだ日に開かれた非公式の『クラス法廷』で女子の中心だったヒライさんが噛みついたからだった。
「なんかイキってる感じ」
今になって思うと、英語の方が得意だと公言してはばからない『サナダ』さんの経歴がどうやら秀才としてもクラスの中心だったヒライさんのかんに障ったのかもしれない。
ともあれ彼女は新しいクラスの中心を作りだそうという『サナダ』さんが気にくわないようだった。
「あの子絶対作ってる。性格悪いって」
「だよな」
また、サナダさんとヒライさんを天秤にかけていた当時のクラスの絶対権力者、『かっちゃん』ことカタセユキヒコ君がこれを機にヒライさんとの距離を一気に縮めようと同意に回ったのも大きかった。
「でしょ」
「ゆるせんな」
あとは簡単な話だ。
アレも気に入らない、コレも気に入らない、彼女のかわいらしさや綺麗な声、ボク達をとりこにしていた美点がすべて反転して罪として積み重ねられ、会が自然解散するころにはサナダナオコに対して罰が読み上げられることになった。
『五月二十五日、主文、『サナダナオコ』をシカトの刑に処す』
その日を境に、『サナダ』さんは『調子にのっている帰国子女』になり、さらに一週間もしない内にクラスという『公共』の敵になった。
いつのまにかボク達の間で彼女との会話がなくなり、挨拶すらきえて、目線すら交わらなくなった。
俗に『ハブ』や『シカト』と呼ばれる軽度のいじめである。
『サナダ』さんは困り切っているように見えた。
当初は動揺し、なんとか関係を取り繕おうとしていた彼女だったが、いつしか『この活動』がどうしようもない深いところから出てきていることに考え至ったのか、暗い目をして誰とも話さなくなり、黙り込むようになった。
そして三ヶ月後、先生の口から彼女の転校話が出てきたのは、夏休みの直前で、彼女がすっかり無口な人間として完全にクラスの静物と認識されていた時だった。
能面のように表情のまったく変わらなかった女教師は当時、一体どこまで知っていたのか今となってはまったくわからない。
おそらく全てを知っていただろうし、知らない方が『管理者』として問題ともいえる。しかし残念ながら教師という仕事には子供達の残酷さを咎める『倫理』という項目は求められていないらしい。
彼女は水面下で行われている精神への暴行を放置し、むしろクラスの見せかけの平穏を保つために利用していたような節がある。そしてちょっと前、風のうわさで彼女がどこかの小学校の校長になったことを聞いたような気がする。
さて、その教師が終業式前の日、いつものように電車のアナウンスのような整った声で言った。
「あさってから、夏休みです。そして夏休み中にサナダさんは転校します、だからみんなでさよならの色紙を書きましょう」
そして次の日の終業式、彼女の最後の登校日だ。
すっかり無口になって、忘れていた彼女の声をボクが久しぶりに聞いたのは、下校時、教室に残っていた彼女がぼんやりと机の上に積まれた『みんなからのメッセージの込められた折り紙』とやらを見ているときだった。
§§§§
「なあ、ちょっといいか」
なぜだったのだろうか、意味もなく学校に残って廊下をぶらついていたボクは渡り廊下でヒグチに呼び止められて、無人のはずの教室に戻った。
そのとき『サナダ』さんは窓から射す強い日差しに影を浮かべながら窓側の彼女の席に座っていて、クラスでも低いカーストだった僕たちは、ヒライさんやカっちゃんがあたりにいないことを確かめながら教室に入っていった。
『サナダ』さんはこちらに気づくと、一瞬びくっとはねるようにおどろいたが、顔をゆがめると視線をはずし、机の上に積まれた『無軌道な現代美術』と称すべき『建前と嘘の結晶』に視線を落とした。
その悲しげな様子を見るとなぜだかボクとヒグチの足は止まってしまい、そこから彼女に近づけなくなってしまった。
「・・・なあ、ぼくらのこと、怒ってる?」
間の抜けた声でヒグチが教室の端と端程離れた彼女に質問したのはそのときだった。
サナダさんはしばらく黙った後、引きつった笑みを浮かべながらこっちを向いて一言、言い放ったのを覚えている
「まさかー」
§§§§
「彼女、優しかったよなー、俺たちさんざんシカトしまくったのに、『まさかー』なんて言ってごまかしてくれて・・・・」
ヒグチは自分に言い聞かせるようにもう一度いうと、ビールをあおった。
その後、ヒグチは何か溜まっていたものでもあったのだろうか、会が終盤を迎え、ばらけ始めた後も絡め取るようにボクを二次会に誘おうとしていた。
「なあ、オチ、行こうぜ」
しかし、翌朝の仕事のことを考えると一夜限りの関係にこれ以上時間を費やすわけにはいかない。
ボクはあいまいに参加を濁すとトイレに行くふりをした。そしてヒグチの拘束から抜け出すと隅のテーブルでトキエダさんとはなしている幹事のヒガシヤマに会費の五千円を託し、外へ出ることに成功した。
§§§§
最寄り駅であるH駅からボクの家までは徒歩十五分、人気のない川縁の道を歩いて帰る。
アルコールでほてった頬には夜風がちょうどきもちいい晩夏の夜だった。
薄い闇の先を揺れる足先で確かめるようにボクはゆっくりと歩いた。
(『サナダナオコ』か・・・)
(・・・)
(・・・あっ!)
『まさかー』と言った彼女の言葉の真意に気づいたのは、ボクが苦い後悔の思いとともに彼女の顔や声を思い出して頭の中で反芻しているときだった。
あのとき子供だったボクとヒグチは彼女がそのカタコトの日本語で「まさかー」と言ったと思ったが、果たして真実はそうだったのだろうか。
そうだ、何で彼女が日本語を言ったのだと断定できるのだろうか。
英語が母国語と言ってもいい彼女が。
ヒグチはどうだか知らないが、最近、海外への出張もあるボクは受験英語がサビ付いた脳髄を絞り出す手間もなく、すぐその単語に思い至ってしまった。
一気にして淡くボクを包んでいた酔いは散り、とめた足下には真っ暗な闇が広がった。
ボクは立ってられなくなってその場に崩れ落ちた。
§§§§
「massacre(皆殺しだ)」
おそらく彼女はそう言ったのだ。
自らの行動に一切の覚悟も責任も持とうとしなかった残酷な僕たちに。
限りなく冷え切った敵意を添えて。