序開 2
「確かに私は理想を語ることしかできない――実現する力が無い。
だが、貴方たち神ならばどうだ。
因果律を無視して、空想をも実現せしめる“力”がある。
種族を淘汰するも統一するも、本来ならば神の行為――貴方たちがやるべきことだ!
私が理想を語り、貴方たちが実現する。
かつてのように、その関係を築き上げ、本当の意味で世界から、争いを無くそうではないか!」
彼には何の力も無かったが、彼の言葉には何らかの力が有った。
彼本来の才能なのだろう。
話し方が上手いのか、声が心地好いのか、
昔から彼の話には、奔放な神々も耳を傾けた。
そんな彼の演説をひとしきり静聴し、
だが彼女は、興醒めしたように、溜息する。
「――どうかな。
わたしのいた世界では人間しか存在しなかったけれど、年中戦争やいざこざのニュースが流れていたな……。
人同士でよくわからないグループに分かれて争うんだ。
それに、わたしは一人しか存在しないけれど、わたしの中でも争いは起こる。
結局のとこさ――そうなっちゃうんだよ」
ふと口にした彼女の言葉が、彼に残された、唯一の希望を打ち砕く。
「まさか……では、争いは永遠に無くならない、というのか」
どう足掻いても、不可能なのか? と彼は問う。
「まあ、そうなるな」
あっさりとした答えだが、
実際に人の世を生きていた彼女の言うことなのだ。
信じるしかない。
それは酷く残酷な宣告で、また世界に偏在する姿無き巨大な敵をも示唆した。
2千年間抱いた幻想が、夢が、実際に体験したものによって、あっさりと砕かれたのである。
彼は押し黙るしかなかった――そしてすぐさま新たな道を探す。
そうするしか、平静を保つことが、できない。
そんな彼とは裏腹に、明朗な口調で、
「でも、今よりも……昔よりも、だいぶマシにはできるかもしれない」
俯きかけていたグリェーシェニクに、ほんの僅かに――微笑んだ。
「お前が世界を変えようとしていることには好感が持てる。それに、わたしも一応責任を感じているんだ」
「?」
「大戦のさ中とはいえ、たいした準備も無く浅はかな考えで、こんな世界にしてしまった。
だが、決して人と神を不幸にしたかったわけじゃない。幸せにしたくてやったんだ。
だからどうしたらいいか考えるために外を見に行く。
……それで決めたい」
別の世界を見てきた彼女が、
更にまたこの世界の現状を見たいというのか?
彼にとっては意外な提案を、彼女は飄々として、語る。
「わたしはお前のことも救いたいんだ。
だから、待っててくれないか? どうせ時間はたくさんあるんだろう?」
「私を……救う? ……」
信じられない、といった風のグリェーシェニクは、
黙って見守っている要に、目を遣った。
その視線に気づいた要は、同じく彼を見遣る。
「君はちっとも変わらないな……」
要は首を傾げた。
「――人となった君が、どういった結論を出すのか、興味が湧いたよ」
それは、事実上、
彼女の話に“乗る”ということを意味する――
自分しか居なくなった桟橋で、
彼は昔を思い出す。
『天の裁きなのか――』
自分が生まれると同時に、惨たらしく死んだ父親。
それは多くの人々の目に留まった。
人々は、天帝に逆らった忌神だといって、自分も母親も迫害した。
混血は彼らにとって、神ではなく、人ではなかったのだ。
しかし魔族は反対に、容赦なく自分たちを襲う。
神なのに何の力もない自分――
初めは親を呪い、
次に人間を呪い、
魔族を呪い、
最後に、天の理気に縛られる神を呪った。
どの種族を恨んで、憎んでも、彼の気持ちは晴れなかった。
心の中で、どの種族を滅ぼしても、彼は救われなかったのである。
仕方のないことであった――彼はどの種族にも属していなかったのだから。
そして気付いたのだ、『全てがひとつになればいい』と。
やがて、ペルセポネーと出会う。
戦いの最中であった。
神の側は、彼を受け入れて、彼も表面上は神の側についていた。
当時彼が世話になっていた神殿に、ペルセポネーが敵として現れたのである。
しかし彼女は、彼の話に興味を持ち、何故かそのまま彼と行動を共にしたのだ。
魔族の気まぐれだろう、と気に留めなかった。
どうだってよかったのだ。
やがて神界ができ、
彼は野望の第一歩として、
自分と同じように、
神と人間の混血を多く生み出した。
その起源は、グリェーシェニク本人である。
純血の神が、理気に反しない限り、天の裁きは下らない――
そう彼は確信し、自分が神の側でもなかったのだと、再認識した。
元々混血の彼は、天帝の道理に縛られていなかったのだ。
そうやって曖昧な存在を増やしていき、
魔族がよからぬ企みを行うのも、静観していた。
――あわよくば、計画に必要な要以外の純血の神など、滅んでしまえばいい。
そういった感情も、少なからずあったのだ。
個人の死や、幸・不幸は、彼にとってはどうだってよかったが、
『争いをなくしたい』という願いだけは嘘偽りはない。
彼は思い出す、
遠い記憶の果てに置き去りにしてきた母親の声を――
『私も一緒に行っていい?』
しかし耳元で囁きかけるのは、
ペルセポネーの声だった。
もはや彼の中には、遠い記憶など残っていなかったのである。
彼は苦悶の表情を浮かべ、
やがて目を閉じ、
すがるように、先ほど聞いた希望の言葉を反芻する。
――わたしはお前のことも救いたいんだ。
だから、待っててくれないか? ――
彼は、ほくそ笑む。
その言葉だけで、救われる気がした。
「……」
最後にペルセポネーへの鎮魂の言葉を述べようとしたが、
いや――そんなものは必要ない、と思い至り、
長い、
長い黙祷のみを捧げるのであった――
・
「何しに来たのよ! あんたたち!」
丁度畑仕事をしていたルードは、いきなり目の前に現れたヒルたちに驚き、
赤面した。
「用があるからに決まっているだろう?」
なにをわかりきったことを――とヒルは首を傾げる。
「連絡くらい寄越してから来なさいよ!!」
ルードは怒り心頭といった風に、鍬を振り上げる。
ヒルはそれを慌てて手で制した。
「すまない、お前を誘おうかと思ってな……」
「は? 何を?」
「わたしの方は、無事記憶を取り戻せたよ。
それで、一緒に人間界に行かないか?」
「「「は?」」」
彼女のいきなりの提案に、3柱の神は間抜けな声を合わせた。
「実はあの結界、人間であれば、わたしと一緒ならば越えられるんだ。
あまり結界を複雑にしたくなかったんでな――人間のままで、わたしと一緒に行かないか?」
外の世界に行きたがっていたルードを、
ヒルは誘いに来たのだ。
今なら彼も人間と同じ状態なので、望みを叶えられるかもしれない。
しかし彼は寸分の迷いもなく、返答する。
「やめとく、あんたと行ってもつまんないだろうし」
別段驚きもせず、ヒルは頷いた。
「そうか、まあそう言うと思ったけど、一応誘ってみたんだ。
それに断られると思って、要も連れて来た」
「え? ああ、そういや要が居るわね……無事だったのね、良かったわ」
薄く笑うルードに、要は渋い表情を返す。
「ああ、ルード……チャルチのことは……」
「――やめてよね! 辛気臭い! アタシはどうにか神力を取り戻して、あの子の復活を待つんだから、アンタに心配される必要ないわよ」
「ルード、要、そのことなんだが……要ならば、ルードの中に在る異物を取り出せるかもしれない。そう思って連れて来たんだ」
「ええ!?」
驚くルードとは裏腹に、要は何のことやら解らず、眉間に皺を寄せた。
要は自分の体内ならば、神経に空間を作ったりなど、恐ろしく器用なこともやってのける。
他者の体内では、そこまで繊細なことはできないが、
真珠大の珠ならば、身体を傷つけずに取り除くことができるだろう。
問題は正確な珠の位置――そもそもその珠があるのかどうか、それを割り出さなければならないのだが、
それは彼ら自身に任せることになる。
「そういうわけだから、要に事情を話して、相談してみたらどうだ?」
「わ、わかったわ」
ルードは戸惑いながらも、
要と目を合わせた。
そんな彼らの様子に苦笑しながら、ヒルは片手を上げる。
「じゃあ、わたしはもう、行くよ。要、後は宜しく」
要はそれに軽く頷く。
軽すぎる挨拶を交わし、
ヒルはポーと共に、その場を後にした。
・
海沿いの崖に立ち、ヒルとポーは握手を交わす
もうすっかり日は落ち、
月明かりのみが周囲を浮かび上がらせる。
「ポー、ありがとう」
短いが、心からの感謝の言葉であった。
「僕も。
とても短かったけど、夢のような時間だった」
ヒルが笑うと、
ポーは、すっと闇に消えた。
――ポーは泣き虫だからな。
苦笑して、恐らくは今頃近くでぼろぼろに泣いているであろう友人へ向けて、再び感謝と別れの言葉を、心で呟く。
そして、何も無い空間――寒空を見上げる。
彼女の足許には、黒い海が拡がっていた。
壁のように険しく切り立った岸の先端に、彼女は立っていた。
大きな波が打ち寄せてきたが、彼女には飛沫一つかからない。
岸壁は高くそそり立っており、海と彼女との距離はかなり有る。
濃く潮の臭いがする。それは、
――血の臭いに似ている……。
彼女はぼんやりとそう思った。
つい数ヶ月前には考えもしなかった事だ。
吐く息が白い。
――もう冬か。
来たときには初秋であった季節も移ろい、
同じように彼女の心も変化した。
「寒いな」
と一言漏らす。
まるで名残を惜しむかのように――
思い切って、この先の世界へ踏み出そうとした。
次の瞬間、
彼女の背後から音がする。
彼女はすぐさま反応し、
困ったような、呆れたような苦笑いを浮かべた。
魔獣の群れが、彼女に襲い掛かる。
飛び掛って来る一頭に、すれ違いざまに一閃する。
が、致命傷は与えられない。
彼女は歯軋し、己の弱さに苛立つ。
ヒルコであれば、一撃で全て倒せただろう――そう考えると、自分の弱さを痛感せざるを得ない。
恐らく今も何処からか、この様子を見守っているであろうポーにも、心配を掛けるわけにはいかなかった。
“自分は大丈夫だ”
それを伝えるために、
彼女は戦う。
刀を振り上げ――
やがて、一つ、二つ、と獣の唸りは減っていった――
倒れる魔獣たちの躯を背にしたヒルへ、
彼女の中のヒルコが問う。
――ヒル、本当にいいのか? 一度帰って、親だけにでも別れを告げろ。
それくらいなら力を貸すぜ?
「いいんだ」
彼女は突然の別れを理解している。
前世で何度も、親より先に死んだことがあったからだ。
死後、残された者の様子はわからない。
――突然の別れとは、そういうものだ、と彼女は割り切ることができた。
ヒルは一度だけ、
背後を振り返り、
薄く笑い、
そしてもう二度と、振り返らなかった――
何も無い空間に、踏み出す――
多くの者を、救うために――
(ヒルキカン)




