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君が待つ場所へ 2



――暗転して、

 場面が切り替わる。



 誰も居ない自宅、


 平日の日中なのだろうから、家族は皆、外出していた。



 この家に入るのは気が引ける。


 なんだか自分はよそ者になってしまったようで、


 まるで結界が張ってある空間の中みたいだ。



 「…………」


 「君を待っている人間なんて、誰も居ないみたいだねえ」


 これらのビジョンが、現実のものなのか、誰かが作り出したものなのかは、今となってはどうだってよかった。


 「――だから何だって言うんだ、

 居場所なんて必要ない、待っている人間なんて必要ない! わたしが立つ場所、共に居る者があれば、それだけでいい!」


 ヒルは自分が彼に殺される事を、受け入れるつもりは到底無いのだから――



 この、ヒルコの内的世界での、彼女の死は、

 彼女の人格の消滅を意味する。


 いずれはヒルコに融合するはずの人格が、ポーによって消されてしまおうとしていた。



 ポーは彼女が出した答えを確認すると、口をいつもの三日月から、弧にして、閉ざした。


――もう言葉を交わす必要は無い。


 彼はヒルを殺すべく、一歩踏み込み、相対する。



 ヒルが再び距離をあけるために後退しようとするが、それより僅かに早く、


 ポーが動く。



 音も無く迫り、一瞬で彼女の首を、締め上げた。


 容赦ない両掌と腕の強い力で、彼女の足が宙に浮く。


 「ぐっ……」


 顔面に熱が集中し、目の前がすーっと暗くなる。


 しかし、その感覚には抗おうとせずに、首に絡みつく手を無視すると、

 彼女の方も、自分を締め上げるポーの両腕を掴み、がら空きになっている下腹部に重い膝蹴りを食らわす。



 怯んだところで、そのまま勢いよく上げた両脚で彼の肩から上を絞めた。



 ヒルの両脚が、ポーの腕ごと首に強く絡みつく。


 彼女の自由な両手が、ようやく自分の首からポーの両手を引き剥がすべく、動いた。


 両脚を強く閉じ、

 彼の手を掴んだ両手に力を入れ、巻かれている包帯に爪を立て、抵抗する。



 ヒルの全体重と、

 四肢すべての攻撃を受けるポーは、たまらず彼女を下敷きに、


 そのまま床に崩れ落ちた。



 「――ぁ゛……っう」


 背中を強く打ちつけた彼女の首が、跳ね上がる。



 ポーは、それでもなお絡みつく彼女の両脚を、いったん首から離した両手で力ずくでこじ開けると、


 そのまま彼女の胴体に馬乗りになり――再び首を絞めようと、彼女の首に手を翳した。



 「――ポー……」


 「……」


 苦しげに自分の名を呼ぶ彼女の声。

 相対する2つの顔。


 先ほどまでの喧騒が嘘のように、静寂が訪れる。


 いつの間にか窓の外は暗闇に戻り、

 室内も真っ暗闇。


 互いの体温と、呼吸のみが、この部屋では確かなものだった。


 狭い空間で、2人きり、

 密着するのは、洞窟を出て以来だ。



 やがて、呼吸の音も聞こえなくなり――



 完全な静寂が訪れると――



 ポーはゆっくり、

 彼女の首に手を掛けた――



 が、



 「笑えよ――いつもみたく」



 たったその一言が、静寂を破る。


 ポーの手は、ヒルの首に触れるだけで、力は入っていない。


 「……」


 彼の弧を描く口は、相変わらず笑っているように見えるが、彼女は再び「笑って」と言った。


 

 



 反応の無いポーの頬に、ヒルの手が、触れる。


 左手で触れると――包み込むように、右手も添えた。



 「――目、見せて?」



 無表情で、頭上の彼にそう言った瞬間、


 彼を覆う、包帯の一切が消え去る。



 ヒルコの内的世界の一部、

 この部屋の主である彼女が、唯一行使した特権だ。



 ヒルはポーの目を、真っ直ぐに見据え、


 「お前は優しいからな」


 と苦笑した。



 たったその一言で、

 ポーは目から――ぼろぼろと涙を流す。



 「――僕、嫌だよ……」



 堰を切ったように、溢れ出す涙。


 止め処なくぼろぼろと落ちる涙は、


 ヒルの頬をも濡らした。



 「ありがとう」


――きっと逆の立場でも、わたしはお前に同じことをするだろう。


 彼の気持ちが、痛いほど解ってしまう彼女は、泣き続ける彼の頭をそっと抱き締めた。




――『お前は優しいからな』


 ヒルは誰よりもポーの優しさを理解していた。



 彼は自分が他人に悪影響を及ぼすことを案じて、ずっと孤独に生きていたのだ。


――要みたいに眷属なんか作って、自分が死んだ時の道連れにするのも嫌だったんだろ。


 彼は自ら、一番辛い孤独の道を進んだのだ。

 本当は誰よりも、誰かと一緒に居たかったのに。



 独りの寂しさ、辛さを彼は知っている。


 だから、この世界でたった一人ぼっちである彼女の傍にいた。



 自分を抑える強さを持つポーが、


 優しい彼が、意味も無く彼女を殺すことはありえない――



 そもそも彼女に興味が無くなっただけなら、わざわざ彼女を消しにヒルコの精神世界に来る必要はない。


 彼女がヒルコに吸収されようが、苦しんでようが、どうだっていいはずなのだ。


 彼の行動は矛盾していた。



 いや、もう彼女には、そんな理屈なんて必要ない。

 

――ポーだったら大丈夫。


 それはひどく曖昧な信頼だが、彼女が彼を疑わない理由としては、充分なのだ。




 「わたしを楽にしたかったんだろ?」


 ヒルは話下手な彼に代わって、言葉を紡ぐ。



 彼女の言う通り、徐々に“個人”ではなくなる苦痛から、解放してあげたかったのだ。



 しかし、それ以上に、


 「ヒルコが……帰らないって言ったから……」


 彼女の存在を消してあげなければならなかった理由ができたのである。



 「なるほど」


 あれほど彼女は帰りたがっていたのだ。

 それなのに、ヒルコは帰らないことを決めた。



 絶対に帰れない、永久の孤独の中で、彼女はヒルコの一部になって生きなければならない。


 どうしてもポーはそれが可哀想でならなかったのだ。



 「安心しろ」


 ヒルは抱き締めていたポーの頭を掴んで、上げさせると、

 底抜けに意地の悪い笑顔を、彼に向ける。



 「お前が来たことで道が拓けた!」


 「……え?」


 自信ありげなヒルの笑み。



 訳のわからないポーは、涙と鼻水でぐちゃぐちゃなのにも関わらず、更に間抜けな顔をつくった。



 「ポーが来たことによって、わたしの精神が確立され、随分楽になったんだ。


 お前との思い出は短いが、わたしにとって最も深く濃いからな。


 ……それにやらなければならないことが、幾つかできた。


 ヒルコをここに引きずり込む――力を貸せ!」



 何か吹っ切れたような、不敵な笑顔。


 有無を言わさぬ彼女の口振りに、ポーはもちろん、


 「わかったー」


 快諾するしかなかった。









 「ったく、コレはどういうことなんだよ……。

 ヒトの寝込みを襲うなんて……俺はそういう積極的な子……――めっちゃ有りだと思いまふっっ!」



 ヒルコの内的世界の一室。


 ヒルの個室に、ヒルコは無理矢理連れられた。



 夢の中で声を掛けられたかと思うと、


 白黒の世界で“黒”の部分が、自分に襲い掛かってきたのである。



 そしてそのまま“黒”によって、この部屋に引き摺りこまれたのだ。




 「以前、わたしが寝ているときに、お前に話掛けられたことがあったのを思い出してな。

 あれはそう……ポーと洞窟に居た時のことだ」


 部屋の主――ヒルが彼の前に立つと、彼が通った大きな両開き扉が“消滅した”


 この部屋にはもう、出入り口が無い。


 それは、ヒルの覚悟の程を表す。



 「――あったあった、あれねー。

 めっちゃ懐かしい……ってか、よく覚えてんねっ。うけるー」


 全然面白くなさそうに、前髪をいじりながら、ヒルコは鼻声交じりで答えた。


 どうやら話をする気は有るようだ。




 「寝ている間だったら、お前の意識に干渉できるかと思ってな。

 話掛けるくらいなら、わたし一人でもできそうだが、此処に連れてくるためには、ポーの力も必要だった」


 「ちょちょちょ、ちょっと待って! ポーくんはあたしの彼氏なんだよ! なんでただの浮気相手のあんたが、しゃしゃってくんだよ!」



 「???」


 二人の会話を静観していたポーは、突然自分に降りかかった火の粉に、混乱する。



 「ポーくんはヒルコのなんだから! 誰にも渡さないんだから!」



 「僕は誰のものでもないよ?」


 「嘘! 言ったじゃない! ベッドの中で言ったじゃない! ――はっ! 

まさか、あんなのただの常套句? 確かに事後は素気なかったけど!」



 「??? なんのこと?」


 「酷い! あたしにとっては大事な思い出なのにっ! ポーくんは忘れちゃったの?」


 鬼気迫るヒルコの演技は完璧で、

 ハラハラと涙が流れる。


 「わっ」


 当然、純粋で単純なポーは、あたふたして、彼に駆け寄った。

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