暗中模索 2
何のことは無い。
彼女が求めていた“鍵”は、ずっと隣に在ったのだ。
他者の精神に入り込むのは、ポー固有の能力で、他の誰にも不可能だ。
ポーの特技は生き物の内的世界に侵入して、その者自身が“闇”に押し遣っている部分を掘り起こす。
その際うっかり掘り起こしすぎたり、傷つけてしまうと、相手の精神を破壊してしまう事故が起こった。
内的世界の侵入は精神のシンクロによる。
しかしポーは侵入させた自分の精神を、まるで五感のように操ることができた。
手足を動かすように、目や耳で見聞きするように、相手の内的世界を自由に散策できるのだ。
進入された本人よりも、ずっと深く細かく、精神に触れられる。
しかしそれには条件があった。
ポーは“闇”の部分以外には興味が無い。
集中力が必要な精神のシンクロには、貪欲な内的動機が必要だ。
興味の無いものに手を出そうとすると、たちまちに擬似五感は働かなくなり、ポーの精神がダメージを負ってしまう。
だから、ポーが侵入できるのは精神に“闇”を抱える生き物の、“闇”の部分だけだった。
これらの事は、ヒルも何となく理解していた。
だから頭を抱えたのだ。
――なんで今まで気づかなかった!
頭を抱えながら、己の着想力の無さを呪って、
――お前が言い出さなかったのが一番悪い!
隣で不気味に笑う男を呪った。
しかし、こんな簡単な“最悪”も想定できなかった自分が、やはり悪いと結論付け、気を取り直す。
「……ポー、私の記憶を掘り起こすこと、できないか?」
「闇に沈んだ記憶ねぇ……できるかも」
「「「できんのかよっ!」」」
漸く事態を把握できた3人が、一斉に怒鳴る。
彼らの激しい勢いとは逆に、
当の2人は穏やかだった。
「じゃあ、今からでも頼むよ……礼は、そうだな……晩飯奢るよ」
「いいよ、ついでに君の中、また全部見させてもらうし」
ヒルは苦笑すると、何も言わず、静かに目を閉じる。
ポーはそっと彼女の肩に手を置き、
彼女の額に自分の額を触れ合わせた――
周りでは喚く声が聞こえたが、
2人にとっては、遥か遠くの音に感じられた。
・
ポーは無限の空間を浮遊していた。
彼女の内的世界を、視覚、聴覚、触覚、嗅覚で敏感に感じ取り、
自身の存在を、内臓感覚、平衡感覚で認識する。
まるで肉体が彼女の精神に存在しているかのような感覚だ。
浅いところでは彼女の雑念がうるさく、眩暈がする。
――早く、深いところまで潜りたい、
暗闇の中で安心したい、という欲求が強くなる。
深海を泳ぐように、彼は深く深く潜った。
通り過ぎる景色から、
彼女が何を想い、
どういう存在なのかがはっきりと解る。
奥へ行くに連れ、
彼女の本質が見えた。
多面に拡がる、
彼女の内部独特の幾何学模様を通り過ぎる。
彼女らしく、余計な贅肉の一切無い、理路整然とした景色だった。
その美しい景色に見とれながら、
彼は更に奥へ進む。
やがて、光も音も届かないほどの深くまで、辿り着く。
暗い空間に、
どす黒い底が在った。
真っ黒な底の先は、完全に隔絶された区域だ。
重油のようにドロリとした液体は、侵入者を阻む。
が、そこに無理矢理手を突っ込み、抵抗感などお構い無しに――やがて全身で侵した。
そこには彼女が自ら沈めたもの、
無意識に捨てたもの、
単純に忘れ去られたもの、
――感情と記憶の残滓が閉じ込められていた。
ふよふよと無造作に漂うそれらに、うっかり触れて傷つけてしまわないように注意しながら、ざっと一通り確認していく。
暫くそうした後、
名残惜しそうにその場を離れた。
隔絶された闇を抜け出ると、
一気に身体が軽くなる。
物足りなさと、肌寒さに落胆した。
――もう一度、と思う気持ちを自制し、ゆっくりとした上昇感に身を任せる。
ふっと一瞬なにもかも閉ざされた感覚の後、慣れた、しかし今となっては窮屈に感じられる肉体に戻っていた。
ポーが額を離すと、ヒルが目を開けた。
実際には5分ほどしか経っていないが、体感的には半日ほど潜っていた感覚だ。
広大な精神世界と窮屈な肉体世界とでは、時間の流れが大きく違う。
「――? どうだった?
わたし自身は何も変わらないんだけれど……」
余韻に浸るポーを、静かで落ち着いた声が現実に引き戻す。
「何も無かったからねえ」
「どういうことだ?」
「んーと、君の記憶には何の問題も無かったよ? せいぜい物心つく前とか、一昨日の晩御飯のこととかだね。皆が忘れてるのと同じ」
一拍置いて、
ヒルの表情が、険しくなる。
「な……まさか、じゃあ……記憶なんて元々失ってなかったってことか?」
「そうそれ」
激昂し、立ち上がり、
テーブルを叩く。
彼女の急な変わりように、皆息を呑む。
「どういうことだ! 一体どういうことなんだ!? 雄柏やルードはわたしに記憶を取り戻せと言う、そうしないと帰れないと言った! それなのに取り戻す記憶が無いって、一体どうしろっていうんだ!!」
「ひ、ヒルさん! 落ち着いてください」
「くそ、どうしろっていうんだ……」
気遣う紗羅も視野に入らないほど、打ちひしがれている。
頭を抱えながら、必死に何かを考えていた。
そんな彼女の顔を覗き込み、ポーはいつも通り気の抜けた暢気な声を掛ける。
「その代わり面白いもの見つけたよー。君何度もこっちに来てるじゃない」
「は?」
追い討ちを掛けられたように、ますます混乱する。
――つまりはどういうことなんだ?
――この世界は、今まで行き来していた世界と同じなのか?
――一体どういうことなんだ?
わからない、
わからない、
わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、
ぐるぐると思考が巡り、脳が混乱を起こす。
すべての望みが失われ、
目的すらも失われ、
心底自分自身に辟易してしまったとき――
一羽の派手な鳥が舞い降りる。
「お、おい何だアレ!?」
鳥にしては大きめな、原色を基調としたド派手な怪鳥が、ゆったりと、だが力強く翼を上下させながら迫ってくる。
晩霞の声に顔を上げると、ヒルはハッとして立ち上がった。
「待て、晩霞!」
「他媽的! キチガイじみた色……毒持ちの魔獣か!」
制止の声も聴かず、晩霞は戦闘態勢に入る。
両掌を後ろに広げると同時に着火し、
前に交差させる勢いで、火焔が放たれる。
呪文の力を借りないので、形がおぼろげで、威力も弱いが、咄嗟の攻撃としては充分だ。
鳥は羽ばたきながら大きく嘴を開き、
“ギャギャギャッ”
と威嚇の声を放つ。
すると焔は渦を巻き、空間に吸収されるようにして、消えてしまった。
「なっ!?」
「キニチ・カクモに火は効かないよ。祈祷と生贄が大好物だから君と気が合うかもね」
ククク、と嗤うポーに晩霞が視線を向けると、
弧を描く唇がニタァ、と裂けるほどに広がった。
「待て! 攻撃するな……」
キニチ・カクモはテーブルの上へ器用にとまり、何度か両翼をバサバサと動かしてから、畳む。
「ヒルさん! なんですか!? この珍妙な鳥は」
「す、凄い! 知り合いの研究者が見たら驚くよ!」
「龜孫子!!」
三者三様に口にする言葉。
驚くのも無理はない。見た目も派手だが、キニチ・カクモの神気はポーに負けず劣らずなのだから。
「ルードって神が飼ってた鳥だ……」
キニチ・カクモは“ギャギャギャッ”と奇声をあげ抗議する。
「ヒル、駄目だよ『飼ってた』なんて言っちゃ」
「……」
「今も一緒なんだから、『飼ってる』って言わなきゃ」
「いやそっちじゃないだろ」
ヒルの方が正解だったようで、キニチ・カクモが嘴でポーを襲う。
どうやら過去形で言ったことに怒っているのではないようだ。
「――改めて……ルードって神と共に居る鳥だ。きっとわたしに言葉を伝えに来たんだろう」
少しだけ鬱屈した気持ちが和らぐ。
彼女は素直に、ポーとキニチ・カクモに感謝した。
ルードとチャルチに出会ったのは、丁度ひと月程前。
何か連絡が有っても良い頃合いだ。
ポーがキニチ・カクモに神木の実を与える。
喉をゴロゴロと鳴らして、調子を整えた後、
『――ごめんなさい、ちょっとヘマしちゃって、状況が良くないのよ――』
キニチ・カクモは正確な音でルードからの伝言を再現する。
『でも要の居場所は見つけたわ。
絶対じゃないけど、ほぼ確実。
今アタシは動けない状態なのよ、……約束を守れなくてごめんなさい。
それで申し訳ないんだけど、キニチ・カクモちゃんを連れて行っていいから、ポーと一緒に要を助けに行ってくれないかしら? 他に頼める当てが無いのよ……。
場所はコノ子が知ってるし、ポーのナイフもそのままだから』
「そのままって!」
ポーが鳥の姿をした太陽神キニチ・カクモに抗議する。
「しっ」
ルードの話はまだ続いている。他に二言三言話して、――伝言を終えた。




