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非日常の中の日常




――……、



――…………、



――……お、重い……。



 それだけではない、とても息苦しい。



 ここ数日野宿続きで、熟睡などできなかったヒルは、やっとありつけたベッドの感触に、安心して深い眠りに就いていたはずだった。


 それなのに、頭部から上半身にかけて包み込むような圧迫感で目覚めてしまったのだ。



 口元を圧迫する質量を手で押してみると、頭上から「んっ……ン……」と、くぐもった声が漏れる。


 とにかく苦しいので、力任せに押し退けた。


 何となく判っていたが、距離をとるとスヤスヤと暢気に眠る女性の顔が見える。


 酒臭い。



「……紗羅」


 深い溜息と共に、彼女の名を吐き出す。




 何故かヒルは、彼女の胸に顔を埋めていたのだ。


 上から人の顔面に押し当てるだけで、圧迫死させるほどの質量を持つそれは、凶器と言っても過言ではない。


 別々のベッドで寝ていたはずの彼女が、ヒルのベッドに入ってきている。これではせっかくの安全で快適な宿屋での宿泊も、台無しだ。


 胃が、もやもやとする。


――どうせ紗羅が寝惚けてこちらのベッドに入ってきたのだろう、と彼女はあまり思い詰めるのはやめた。


 心労がたくさんありすぎる。

 こんな馬鹿馬鹿しいことで悩みたくないので、再び眠ろうと目を閉じる。


 「……」


 「…………」


 しかし、どうしても気になってしまい、眠れない。


 ちら、と片目だけ開け、睡眠を妨害する、その柔らかそうな谷間を観察した。


 自分に無いものだし、同級生のどの女子も持ち合わせていないものだったので、初めて目にした時から、つい気になってしまっていた。


 ちょっとだけ……。


 そう覚悟を決めると、片手で片方の膨らみに、少しだけ、触れてみた。


 思ったよりも、弾力がある。

 自分のはもっと柔らかい。


 こいつの方が筋肉質ってことか、


 それとも張りがあるということなのか? と、どっちにしろなんだか負けた気分になり、つい手に力が入ってしまう。


 「んむ……ぅ……」


 気の抜けた声が、漏れた。




 その声に、ヒルは疑問に思う。


 もしかして、こいつ感じてるのか? と。


 試しに自分の胸を触ってみたが、何も思わない。


 でかいと感度もいいのか。


 彼女は少しイラつき、更に強く揉んだ。


 すると、さっきよりもはっきりとした声が出て、

 段々面白くなってくる。


 再び手に力を入れようとしたとき――


 「……ってめーら!! よそでやれっっっ!!!」


 怒声が響いた。


 ヒルがちらりと向かいのベッドに目を遣ると、

 晩霞がベッド上に仁王立ちしている。


 本日の宿は、一部屋しか空きがなかったので、男女共同で部屋をとっていた。

 


 「――だってさ、紗羅」


 「あら、起きてたの判ってらしたのですか?」


 「そりゃあね……」


 悪びれもせずきょとんとする彼女は、ヒルに睨まれると、そそくさと自分のベッドに戻る。


 空が白み始めたのを見て、また今日も一日が始まるのかと思うと、

 彼女の胃は本格的に悲鳴を上げた。








 入り組んだ森に、木々をなぎ倒す轟音と、獣が威嚇の時に発する金切り声が響く。



 「――灼熱番人ジュオルア・メンウェイ!!」


 晩霞が呪文を唱えると、地面から火柱の列が上がり、炎の壁ができる。


 獣は行く手を阻まれ、迂回しながらもなお速度を落とさず突進し、そのたびに炎の壁が進路を阻む。



 この魔獣は一頭だけだったが、八つ脚で駆ける速度は速く、口から毒を吐き出す。


 何よりも厄介なのは、全身を覆う硬い甲殻だ。


 晩霞の火など物ともしない。



 だが厚い火の壁は、咥内や目が焼けてしまうので、さすがに越えられないらしく、まんまと誘導されることになる。



 獣が駆け抜けるタイミングに合わせ、樹の上からヒルが落下し、

 魔獣の頭部を串刺しにした。



 ビリビリと空気を震わせるような甲高い声を上げ、


 獣はヒルを乗せたまま、横に倒れ、絶命した。

 



 刀を抜くのに手間取っているヒルに、

 下から晩霞が「お疲れ」と声を掛ける。


 「ほんっと、お前のソレ、何でも斬れんのなー」


 「……」


 此処に到るまでの約一月、

 二人は多くの魔獣と戦った。



 素早いものや数の多いものは中距離広範囲攻撃の得意な晩霞が中心となり、

 硬いものや、一対一での戦いはヒルが中心となる。


 ヒルが持つ刀は本当に良く斬れた。


 晩霞は彼女に聞いて、それが神剣だということを知っている。


 ヒルと晩霞は最初こそ衝突していたものの、ヒルがあまり相手にしないので、今ではすっかり穏やかな関係なのだ。



 深刻なのは、紗羅と晩霞の関係だった。


 「おい、ババア。 さっさと荷物持って歩けよ、テメーが先だ、糞役立たずなテメーが先歩くんだよ」


 「は? あなた居なくていいですから、早く帰れば? 何で私があなたの食費宿泊費の面倒まで見なくちゃいけないんですか?」


 二人の間の溝は縮まるどころか離れ、底が見えないほどの断崖絶壁を形成している。


 睨み合う二人は、心底憎しみ合う者同士の顔だ。





 


 四人はスコラが在るという域を目指し一ヶ月歩き、これまでに三つの域を通過してきた。



 域同士は隔絶されているので独自の文化を形成している。


 しかし隣り合う域は僅かながらに似るものだ。


 進むにつれ徐々にヒルのいうところの東洋風から西洋風に変わっていた。



 通過したどの街も酷い有様だった。


 処刑された罪人の死体に食らいつく飢えた人々、

 家畜のように扱われる奴隷、

 罪をでっち上げられ見せしめに公開処刑される少女達。


 そんな光景ばかりだった。


 昨日まともな宿に泊まれたのは幸いだったのだ。 


 紗羅は街や村に着くと、「後学のために」とかいう理由で、地元の人と深夜まで飲み明かすことが多い。


 紗羅はどんな所でも毎日踊り、できるだけ人々と話した。


 そんな彼女がいたからこそ、ヒルは暗くならずにすんだ。


 だが二人の聞くに堪えない罵声の応酬には、ヒルも辟易せざるを得ない。


 「……はぁ……」


 ポーはいつも何も言わずに、ニヤニヤしながらヒルを見ている。



 いつの間にか喧嘩を止めていた紗羅は、チラリとポーを見て、黙々と先へ進むヒルに耳打ちする。


 「ヒルさんヒルさん。ポーさんのあの包帯の下ってどうなってるか気になりませんか?」


 「案外普通だよ」

 「ええ! もしかして見たことあるんですか!?」


 「ある。別に隠しているわけじゃないみたいだから、見たいって直接言えば?」


 紗羅はよく、こういった気のおけない雑談もして雰囲気を上手く盛り上げる。



 「ポーさん、包帯とってください!」


 「ええ? やだよ」

 「なんでですか!」


 「日差しがあるし……」

 「じゃあ夜になったらとってくださいね!」


 「やだよぅ……」


 「なんでですか!? ヒルさんはいいのに! ヒルさんは特別ですか!?」


 「まー、そうだね……」

 「きゃーっ!! 告白ですよ! 愛の告白です!! もう、お二人ご結婚されてはいかがですか??」


 「お゛い!! 頭悪ぃ会話してんじゃねーよ、馬糞(まぐそ)ババアが!」


 紗羅は晩霞の暴言を無視し、

 ヒルに抱きつきながら、ニヤニヤと笑い彼女の頬を指でつついている。




 それを除けもせず、ヒルは無表情で淡々と語る。


 「いや、わたし好きな奴いるし」




 「「え゛」」


 彼女の予想外の返答に、

 紗羅と晩霞が、ビタリとその場で凍りつき、


 「「えええええええええ!!!」」


 すぐさま解凍して、絶叫した。 



 「何」


 ヒルはジトリと二人を睨む。


 「お前みてーな冷血淡白無感情女が好きな奴とか言うな! 寒気がする!!」


 「ど、どどどどどんな方なんですか!? 許しません! 私は納得のいく方じゃないと認めませんよ!!」


 「ほんと何なんだ、おまえら……。どんなって……よく知らない」


 呆れながらも、質問にはきっちりと答えるところがヒルの生真面目さだ。


 「よく知らないって! ヒルさんらしくありません! 

 ヒルさんのお相手は、学歴から収入、家族構成、過去の遍歴等全て明らかな方じゃないと許しませんから!! 

 うう、渡しませんっ。ヒルさんは渡しませんから……」


 「その理屈ならポーなんて論外だろ。


 それに渡すも何もわたしが一方的だし……いや、もうやめようこんな話……苦手なんだ」


 とても恋愛の話をしている十六歳の女子らしくない、

 苦虫を噛み潰したような、忌々しげな表情を浮かべながら、彼女は口を閉ざした。


 今度こそ黙って先へ進む彼女の後を、

 三人は慌てて追い掛ける。



――この森を越えれば、ようやく目的の域へ入る。 

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