犠牲と儀式 4
やっとのことで、寺院を抜ける。
「いいぞ、このまま俺を連れてこの域を出ろ!」
「その必要は無い! ポー!!」
「はいはーい」
間の抜けた声でポーが返事をすると、道の先に闇の沼ができた。
ヒル、紗羅、ポーは、それに飛び込む。
僧侶が辿り着くと、沼は跡形も無く消えた。
抜けた先は、宿屋の居間だった。
ヒルと紗羅は、膝に手を当てたり、腰に手を当てたりして、ぜいぜいと息を荒げている。
どちらも限界だったようだ。
まだ息の整わないうちに、
大急ぎで荷物を纏め、逃げ出す準備を整える。
ヒルはポーから受け取った地図を広げ、紗羅が言っていた“スコラの在る域”に指を置く。
「ポー、行けるとこまででいい。此処の一番近くまで連れて行ってくれ」
ポーは頷くと、先程よりも時間を掛け、再び闇を広げた。
「あの……秘術の方は、よろしいんでしょうか?」
着替え終わった紗羅が借りていた自室から顔を出す。
その顔にはすっかり生気が無いが、ヒルを心配する気持ちは残っているようだ。
「いい、他の可能性が無くなった時に考えるさ」
当の彼女はあっさりとそう言うと、逸早く床に広がっていた沼に飛び込んでしまった。
彼女が消えると、
ポーは少し傾きながら、
「小っちゃい子に術のこと聞いたんだよ」
と、いつもとは逆に足りない彼女の言葉を補う。
それでもまだ足りないが、紗羅は大まかには理解した。
「そうなのですか……、ではヒルさんも生贄については反対なのですね」
「知らなーい」
「小っちゃい……術……生贄……っ!? もしかして、星星に会ったのか!」
「え!? あ……あなた!」
紗羅の袖を引く晩霞はすっかり元の姿に戻っている。
ポーには怖くて訊けないので、紗羅に問い詰めたのだ。
「君に聞いたよ」
だが避けたはずのポーの方から返答が来る。
「俺? って事は俺に聞いたって事? ……って事はやっぱり星星だ!」
彼の表情が、パッと明るくなるが、すぐに元に戻り真剣な眼差しで紗羅を睨む。
「そいつとは何処で会った!?」
また何故か、ポーが答える。
「あの塀の前だけど、ヒルが誰かが逃がそうとしたんだから遠くへ逃げろって言って、その後どっか行ったよ」
何を言っているのかあまり理解できなかったが、何処か遠くへ行ったのなら、彼の思惑は充分過ぎるほどに上手くいったということになる。
「そ、それより! あなた大丈夫なんですか!?」
意外にも一番元気な晩霞を、幽霊でも見るような顔で紗羅は指差した。
「あ゛!? 指差してんじゃねーぞ! 糞ババア」
「……なっ!?」
「ねー、早くしないと僕行くけど?」
先へ行ったヒルを早く追いかけたいポーは、いつまでも動く気配の無い紗羅を促す。
「ま、待ってください!! それでは私、行きますので、これで!」
怒気を孕んだ声で、挨拶すると、紗羅は闇に飛び込んだ。
それにポーも続く――
――出た瞬間、
三人の目に、魔獣と戦うヒルが飛び込む。
丁度魔獣の縄張りだったのだ。
小さな毛玉が無数に漂っては、線を描くように素早く彼女を襲う。
毛玉同士がくっついたり、離れたりして彼女と攻防を繰り広げている。
また微弱な電気を発したり、仲間の電気を合わせて大きくしたりもしていた。
群れて行動する種のようで、
まるで全て合わせて一つの生き物のようだ。
魔獣の死骸は一つも無く、ヒルの方には細かい傷が幾つもついている。
素早い動きと数の多さに、
苦戦しているようだ。
「何やってんだよ、あのガキ」
呆れたような幼い声。
紗羅とポーはヒルに何か言う前に、そちらの方に振り向く。
「やっと来たか。おい、逃げる……ぞ、って何だソレ!?」
ヒルも、二人と同じように、目を留めた。
何故か晩霞がそこに居るのだ。
「ぅおら゛退け! 糞ガキ!!」
三人の驚愕の視線を無視し、大きく両手を広げた晩霞の前には、
爆発するようにして、
火炎の帯が三本発生した。
「火渦!!」
「――はあ!?」
ヒルは慌てて地面に手をつき、一回転して回避する。
三本の焔は螺旋を描き、黒い毛玉を飲み込んだ。
しかし毛玉の半数は素早く分散し、生き残る。
それを逃がすまいと三本の螺旋は、それ自体も大きく旋回して渦巻く。
分散した毛玉を広範囲で包み込み、灼熱で灰に変えた。
焔はうねるようにして消滅する。
残ったのは、空気中にはらはらと舞う灰のみだ。
あっという間だった、
皆息をするのも忘れていた。
一番初めに我に返ったのはヒルだ。
三人の元へ大股で歩み寄る。
「おいっ! 何だこのガキ、何で連れてきた!?」
「す、すみません! 勝手について来てしまってんです……」
「ああ゛? ガキはてめーだろうが、人間!」
「なんだとっ」
いがみ合う二人の間で、紗羅がオドオドとする。
「あの、お二方とも、落ち着いて……状況を整理しましょう」
「うっせー、淫乱ババアは隅で根暗木偶と一緒に月でも眺めてろ!」
ヒルとの言い合いの筈だったのに、
思わぬ火の粉が紗羅とポーにも降りかかる。
晩霞の毒舌は、相手を選ばない。
少し前まで恐れていたポーにもすっかり慣れたようだ。
「根暗木偶って僕のこと……!?」
「バ……また言ったわね! 失礼ですね! 私まだ62歳です!!」
「な!? 充分ばばあだぞ!」
紗羅の実年齢に、ヒルの方が驚いた。
「酷い裏切りですっ!」
「なんだ、俺より年下じゃねーか。 ハッ、もしかしてこの中では俺が一番年上かあ!? おい、年長者は敬え! てめーら今から俺の言うこと全部きけよな」
晩霞の横柄な態度に、ヒルと紗羅は怒り心頭に発する。
「お前はいくつだよ!」
「120!」
「お前やっぱり神だったのか……。
じゃあポーの方が年上だな、お前が言い出したんだ、ポーの言うこと全部きけよ」
「はあ!? ふっざけんな、なんでそうなる!」
「ポーは何歳?」
「うーん……2500年は生きてるかなぁ……」
「…………」
「年上は敬うんだろ?」
「…………」
少しだけ場所を移し、
木々が入り組んだ所に紗羅が地面に陣を書き、結界を張る。
夜中は魔獣が活発に行動するので、
夜が明けるまで、ここで休息をとるしかない。
「――俺は天目山が主、炎帝の嫡男。晩霞だ」
晩霞は嫌々ながら、
ぽつり、
ぽつり、
と語り始めた。
「大僧正のジジイに親父からの言葉を伝えんのが俺の役目だった……」
大僧正は、覡として神を降ろし、神の言葉を発することができる者がなるのが慣例だったが、
その実は、寺院の歴代の有力者に、晩霞が直接伝言していただけだ。
「お前、神なんだろう? 紗羅以上に全く神気を感じないのに、紗羅より強いんだな」
「強い、強くないは関係ありません!」
「俺は術で神気を消したんだよ、何人か生贄にもらった」
「……!」
紗羅の目の色が変わる。
「神気を振り撒いてたら下界で遊ぶのにも煩わしいし、大僧正が能無しだってバレちまうだろ」
紗羅が身を乗り出す。
「そんな事の為に……そんな事の為に何人も!?」
「そうだ。
人間なんて消耗品だろ? 俺らと違って一日に何人もホイホイ産まれんだから、別にいいじゃねーか。
回転率がいいんだから、どんどん使っていかねーと、それこそ増えて余っちまうだろ」
“バキ”
という痛々しい音と共に、晩霞の顔は右を向いた。
皆と同じように座って聞いていた紗羅が立ち上がっている。
拳を握り締めて。
「――っこ……んの、糞ババア! 俺の愛らしくいたいけな顔に何すんだ!!」
「紗羅……落ち着け、一応この中ではわたしだけが人間なんだから、怒っていいのはわたしだけだ」
紗羅はヒルに宥められ、どうにか怒りを堪えて座った。
「星星さんは助けたじゃないですか!」
しかし声から怒気は、全く薄れない。
「あいつは友達だからな、他の奴らはどうでもいい。
人間だって同じだろ? 愛玩用の豚は『友達だ』『家族だ』って言って可愛くて殺さないが、食用には何の関心も無く殺す」
「まあ……そうだな」
「ヒルさん!」
「まあ、お前の考え方は解ったよ。
しかし、何で此処にお前が居るのかが、わたしは知りたいんだ」
「ああ、そうだな……」
姿だけは無邪気な少年の晩霞が、
大人びた表情でボリボリと頭を掻く。
話し始めようとした時、紗羅が言葉を遮った。
「あなたは今すぐ帰って、自分の域の改革に励むべきです!
その責任があなたには有ります! 悪しき風習と、荒んだ人々の心は革めるべきです!!」
「何でてめーが俺の故郷を全否定すんだよ! 俺の域は代々この方法で問題無く平和が維持されて来てんだよ!!」
「その話は後で二人でしろ、時間なら夜明けまでたっぷりとある」
「「……」」
気を取り直して、晩霞は口を開く。
「……俺があそこに残ってたら、本当の意味で星星が助かったことにはなんねー。
星星は火に焼かれて死に、その上死体はお前らに奪われたことになってんだ。
俺があの域に二柱存在してたらおかしいだろ」
「お前は元に戻っているのに、星星の姿は戻っていないのか?」
「ああ、俺は自分の神力で欺いてただけだが、星星には坊主の顔面の皮を使った。人身御供を使った強力な術だ、まず剥がれない」
「人でなし!」
まーまー、
とヒルの代わりにポーが紗羅の宥め役になっている。
「何故紗羅を攫った?」
「ああ、それ? 星星の家は金持ちだからな、放っといたら火炙りはまずないから。そいつを使って一芝居打ったってわけだ」
「どういうことだ?」
「いくら俺でも胸を裂かれて心臓を取り出されれば死ぬ。
だが俺は火の神だ、火炙りされても死なない」
「なるほど」
ふと、ヒルは視線を上げる。
「しかしいくらなんでも、お前の親は異変に気付くんじゃないのか?」
「あー、俺の親父は放任主義だから。
それに書置きしたから大丈夫!
星星の実家に迷惑かけない為にもさ、
ほとぼりが冷めるまで、俺も星星も暫く身を隠してーんだよ。
星星は人間の身で域外に出るわけにはいかねーし、それにあいつなら何処でも上手くやれるさ。
そんなこんなで、暇潰しにお前らについて行こうかと思ったわけ」
「ふざけてます!! ヒルさん! まさかこんな幼稚な理由で同行を許可するつもりじゃありませんよね!?」
はあ、と大きな溜息が出る。
そろそろ胃が痛くなってきたのでは、とヒルは錯覚した。
「……お前を連れて行く理由が無い」
「てめーより強い。そこの年寄り共より動ける」
「……それは一理ある」
「ヒルさん!! 真面目に考えてください!」
紗羅の甲高い声が、頭に響く。
また、溜息が出た。
「晩霞……わたしは記憶を取り戻したいんだ」
「あ?」
「星星から聞いたよ、記憶を取り戻すには十人ほど生贄が必要なんだって?」
「さあ、しらねーよ」
「わたしには判らなかった。
自分の記憶にそれほどの価値があるのかどうか……。そもそも命の価値すらわからないのに、量れるはずがないんだ」
「だからなんだ、俺は人の死なんざ腐るほど見てきた。てめーより俺の方が知っている」
「そうだな……だが、そういう旅になる。お前は強いんだ、それに自由だし、一人で好きに生きればいいんじゃないか?」
そーだ、そーだ! と紗羅が合いの手を入れる。
「じゃあ協力してやるよ、奉仕活動ってやつ?」
「い、り、ま、せんっ!」
ヒルはこめかみを押さえて、眉間に皺を作った。
「星星は良い子だよな……別れ際に、
『晩霞が、後のことは俺に任せてお前は逃げろと言いました。でもやっぱり心配なんです。あなた方が攫ってくだされば、晩霞は……』
ってさ、元々わたしは星星に頼まれてたんだよ、お前を攫えって……、あいつはお前の事をずっと心配していた」
「ヒルさん!! 話ずれてます」
「今回のことで、思い知ったよ……。わたしは自分の身一つ守れないのに、多くのものを請け負いすぎたって」
「ヒルさん!?」
「そうだな、お前よえーし。ま、俺に任せろ」
「はぁ……、頼むよ」
胸の下、丁度胃の辺りをさすりながら、ヒルは溜息混じりに了承の意を示すと、
そのまま横に倒れ込むように眠ってしまった。
ポーがにやにや笑いながら傍に寄り添い、
紗羅は悲鳴交じりの猛抗議をする。
晩霞はそれに、とても聞いていられないほどの暴言を吐き、
紗羅との口喧嘩に発展する。
――二人の罵声は、結局朝まで続いた。




