養殖 3
取り残されたヒルと紗羅は、黙って少年の背を見送る。
「あのー、よろしいのでしょうか? ようやく手掛かりを掴めそうだったのに……」
「訊いたって無駄だろ、嫌われたみたいだし。
だが、この中には興味が湧いた」
今までは興味が無かったのか、と紗羅は横槍を入れたかったが、ヒルの眼差しを見て、やめた。
彼女の見据える先には、僅かに見ることができる朱塗りの巨大な寺院の屋根が在る。
少し前、
二人はこの、坂の上に辿り着くと、
聳え立つ塀に一箇所だけ設置されていた扉を叩いた。
だが、中から人の気配はするのに、反応が返ることはなかった。
仕方なく二人は、塀に沿って周囲の様子を窺っていたところに、あの少年たちと遭遇したのだ。
「では、今日はもう戻りましょうか……って」
紗羅の提案を前にヒルは、既に坂道を下り始めていた。
「待ってくださいよ!」
沙羅が慌てて追うと、ヒルは振り返り、彼女が追いつくまで待つ。
「あ、ありがとうございます! ヒルさん、意外に優しいんですね!」
「一応護衛だから」
素っ気無くそう言い、再び前を向き歩き出す。
――つれないなあ、
と思いながらも、彼女の隣に立つと何だか嬉しくなってしまうので、紗羅は緩む頬を隠しもせずに、ヒルの腕に抱きついた。
ヒルは日が暮れるまで、塀の中を偵察していた。
寺院に比較的近い建物の、一番高い屋根の上で。
僧侶たちの様子は、別段変わったところは無い。尤も、ヒルは僧侶の務めがどういったものなのか、想像の中でしか知らないのだが。
気になる点が一つ。
隅の一角に庭園が在り、木々の隙間から僧侶とは違った人々が見えるのである。
彼女は寺院について殆ど知らない。
――もしかしたら、これは普通なのかも……、
とも思う。
しかし、些細な違和感であっても、念には念を、と気に留めておくことにした。
日が傾き、外に出ている者も居なくなると、ヒルは屋根を下りる。
坂を下り、宿を目指した。
そこで、背後に違和感を覚える。
慣れ親しんだ、違和感だ。
だが、今感じるのはおかしい――
ばっ、と勢いよく振り返る。
「ポー!?」
背後には、ポーが当たり前のように立っていた。
「何でお前が此処に居る!?」
驚きで、つい、大きな声を出してしまう。
ポーが此処に居るのは、どう考えてもおかしかったのだ――
一旦宿に戻ると紗羅は、また踊ると言い出した。
ヒルは寺院の偵察をしたかったので断ったのだが、彼女も折れない。
仕方なくヒルは、暇そうにしていたポーに「傍で立ってるだけでいい」と任せたのだが……
「だって僕君にしか興味ないしー」
「っ……!」
当然のように、彼は言いつけを守らなかった。
――わたしは馬鹿か!
ポーが言い切る前に、彼女は駆け出していた。
――何でポーなんかを頼った!
こうなる可能性は、予測できた筈なのに。
しかし、彼を便利な道具として利用するにしても、欠点に憂慮しないで使ったのは、明らかに彼女の失態だ。
もしかしたら、記憶が取り戻せるかもしれない、という期待感がどこかにあったのかもしれない。
――そんな感情、とっくに捨てた筈なのに……。
紗羅は約束通り、毎日ヒルに報酬を払っている。
それに加え、ヒルの宿代や食事代まで払っていた。
当然護衛としてそれだけの働きをしなければならない。
彼女に何かあっては、遅いのだ。
ヒルは全速力で駆ける。
妙な胸騒ぎがした。
不意に生じた、ただの勘だ。
程無く宿前に到着する。
宿前は、夕食時の静寂そのものだった。
紗羅は勿論、人一人居ない。
慌てて、部屋へ向かう。
居間には誰も居ない。
紗羅の部屋は、鍵が掛かっていた。
扉を叩いても、反応は無い。
壊すわけにもいかないので、店員に事情を話し、予備の鍵で開けさせた。
部屋の中は、荷物はそのままに、誰も居ない。
丁度その時、ポーも到着する。
「お前が最後に紗羅と別れたのは何処だ」
感情的になっても仕方ないので、ヒルは深呼吸をして冷静になったところで訊ねた。
「この宿屋の前だよ」
「そうか」
こうしてヒルは、記憶の前に、紗羅の捜索をしなければならなくなったのだ。
一方、
――攫われたのは解るんだけど……、
当の紗羅は、堂の中で首を傾げていた。
連れられて来た場所には五十人程、人間が居て、皆自由に歓談していたからだ。
裕福そうな者も、庶民も、分け隔てなく談笑している。年齢も性別もバラバラだ。
皆一様に見知った仲のようで、紗羅と同じように連れられてきたのであれば、とても奇妙な光景だ。
紗羅はヒルに反抗して、踊りを強行したことを少しだけ後悔した。
が、そんな思いは直ぐに消え去る。
これは手柄だ、
――もしかしたら、ヒルさんに褒めてもらえるかも。
そう思うと、愉しくて仕方なかった。
紗羅は此処に連れて来られるまでの景色をはっきり見ていた。
「ぅふふ…………」
――この堂は、あの寺院内の建物。
この中の情報を根こそぎ奪って、ヒルに贈ってあげよう。
彼女は未だ見ぬヒルの笑顔を想像し、身悶る。
そもそも紗羅が、何故ヒルに反抗してまで踊ったのかというと、なるべく昨日と同じ時間帯、同じ場所で連日踊りたかったからだ。
より多く、また安定した金を稼ぐには、固定客を得られるかが重要だ。
だから、この街に滞在中はなるべくあの場所、あの時間に踊りたかった。
自分とヒルが不自由なく目的を達成させる為に、金は多いに越したことは無い。
それにもし金が尽きてしまえば、ヒルを雇えなくなってしまう。
紗羅にとって、金策こそが最重要課題だった。
ヒルにも目的が有るのは解っている。
だから代理がポーでも文句は無かった。
しかし、いつの間にか居なくなっていたのには、呆れてしまったが。
――まあ、あの方には初めから何も期待してなかったし……、
純血というのは、世界から見たら最上級の貴神なのだが、彼女の琴線に触れるかは別だ。
ポーがいつの間にか居なくなって、踊りの終わりが近づいた時機。
人目も気にしない襲撃者によって、紗羅は連れ去られてしまったのである。
紗羅は犯人の顔をはっきりと覚えていた。
つい数時間前に会ったのだから。
――晩霞とかいったかしら。
生意気で、威勢のいい少年の名前も、しっかりと紗羅は記憶している。
そして、横に座る少年のことも――
藍色の着物に、気弱そうな瞳。
昼間晩霞と一緒に居た少年、星星だ。
紗羅は一先ず、この少年に声を掛けてみようと試みる。
「あの、よろしいでしょうか?」
「何? あ、貴女――昼間の……」
――なんだろう?
彼の事は全く知らないのに、“こんな子だっけ?”という、モヤっとした違和感を覚えた。
紗羅の勘は、よく当たる。
「皆さん、仲がよろしいようですが。攫われたのではないのですか?」
「攫われる? ははっ、まさか!
そういえば見ない顔だね、新入り?」
「はあ……あの、皆さん此処で何をなさっているのでしょう?」
星星の質問には曖昧に答え、自分の知りたい事を訊く。
「僕達は重要な役目の為に、ここに居るんだ」
「役目、とは?」
「あれ、姉ちゃん田舎者?」
「はあ……」
――街の人なら皆知っているのだろうか、という疑問が生じたが、次の言葉ですぐさま吹き飛ぶ。
「ここの人間は皆、ここで育ったんだ。
僕ら全員、秘術を行う為の生贄さ――」




