養殖 1
無事紗羅は跡継ぎとして公に発表され、また短い期間ではあるが、諸域を周り知識や経験を広める事を、正式に許された。
跡継ぎとして認められる事は容易かったが、
紗羅の父親は、彼女が域を離れるのには、最後まで渋り続けていた。
それでも許可したのは、強い力を持つポーも一緒で、かつ女性のヒルも同行することが大きい。
大通りの茶屋で、ヒル達三人は今後の事を話合っていた。
「――結局、お前の覚悟が足りなかっただけだろ」
「はい、その通りです。私がもっと早く、跡を継ぐ覚悟を決めていれば、色々な方に迷惑をかけることはありませんでした」
ヒルの鋭い指摘に、紗羅はしゅん、と項垂れる。
それを無視してヒルは続けた。
「それで? 失くした記憶を取り戻す方法について、何かあったか?」
この域に留まった理由はそれだ。
500もの神がいるというこの域ならば、何か手掛かりがあるかもしれないと彼女は考えたのだ。
「いいえ、やはり何も出てきませんでした。
そもそもこの域に居る者は、私以外誰も域外に出た事すらありませんので、情報は限られています」
「そうか」
がっかりした様子も無く、ヒルは茶を啜った。
「あの、どなたか記憶喪失なのですか?」
「わたしだ」
え、と紗羅は彼女の顔を思わず見る。
誰か大事な人の為に、懸命に諸域を周り、記憶回復の手段を探しているものだとばかり思っていた紗羅は、他人事のようにさらっと言ったヒルに、驚いた。
「そ、そうなんですか? すみません」
それには答えずに、ヒルは長椅子の背後に座るポーを振り向く。
「地図、貸して」
受け取った地図を広げ、膝に置いた。
「スコラが在るって域は何処?」
「此処です」
紗羅が地図を指示すと、ヒルとポーは覗き込む。
「うわっ」
苦々しい声を出したのは、ポーだった。
「僕その辺行ったことないから、闇を繋げられないよ」
「お前何千年も生きてて、こんな狭い世界の中、行ったこと無い場所とかあるのか」
「うぅ……ルードが、居るから……」
情けなく縮こまるポーに、ヒルは追い打ちを掛ける。
「なんだ、ビビッて近付けないのか」
その通りなので、ポーは何も言えない。彼の様子に、ヒルは満足そうに笑みを浮かべた。
「それなんですけど……」
「?」
「先にこちらに寄ってみませんか?」
そう言って、紗羅が指示したのは、今居る場所から歩いて二日程度の距離だ。
「ここは……」
「この域の隣なのですが、行ってみる価値は有ると思います!」
自信満々で、紗羅は大きな胸を張る。
彼女は昨日までとは違い、着物ではなかった。ジプシーの衣装を着て、その上に寒さ対策の為、厚地で長袖のボレロを羽織っていた。
「行商人からの話も有りますが……近隣域の様子は、直接、父の所に少しだけ入ってきます。
こちらの域には、秘術がたくさんあるらしいです。
どれも強力で、実用的なものばかりのようで――人の記憶を奪ったり、他人に入れたりする術もあると聞きました」
「記憶に関する術……か」
失くした記憶を取り戻す術が在るのかは不明だが、もし本当に奪ったりするのが可能ならば、大いに期待できる。
そう、俯きながらヒルは考えたが、ふと、顔を上げ、ジトリと紗羅を睨んだ。
「お前……私の目的が達成される前に、自分があちこち行きたいだけだろ」
何を判り切った事を、と紗羅は大きく瞬きし、
「はい、そうです」
小首を傾げ、にっこり笑った。
紗羅の域を後にし、
闇の沼を抜けると、ポーの背丈よりもずっと高い、石を積み上げた塀が続いている。
その一方に入り口があったので、三人は其処へ入った。
視界一面に長屋のような小屋が並び、遠くにいくに従って大きな建物が見えた。
三人はまっすぐそちらの方へ向かう。
「――わあっ」
歓声を上げる紗羅は、軽い足取りで、大きな門を潜った。
「泊まれますか?」
その言葉に、「え!?」とヒルは目を見開く。
明り取りの格子窓が切られた塗壁、
花飾りのつけられた門、
軒下にいくつもの提灯が吊るされている。
門の中には小ぢんまりと広がる前院――かなり大きな宿だった。
駆け出して来た店の者が、笑顔で深く頭を下げる。
それを尻目に、此処が宿だと知らなかったヒルは、慌てて割り込んだ。
「おい! こんな処、泊まれないぞ!」
「あら、どうしてですか?」
「どうしてって、路銀は限られている……無駄金使えるか!」
「勿論、私がお支払しますよ? だってヒルさんは私の護衛なんですから」
「は? お前、私への払いもあるんだぞ!?
初っ端からこんなに無駄遣いして、後で保つと思っているのか?」
「ああ、それなら問題無いですよ」
「は?」
彼女の天真爛漫な態度に、ヒルは呆気にとられる。
そんなヒルの腕に抱き付いて、紗羅は店員へ向き直った。
「ふふ、――部屋をお願いします」
店員は笑顔で承る。
前院から、建物の入り口へと入っていき、紗羅はヒルと腕を組んだまま、それに続いた。
「ポーさん! 何してるんですか? 行きますよ!」
紗羅は取り残されていたポーに、声を掛けるのも忘れなかった。
扉を開けると中は広間、壁際にゆったりと並べられた卓に客が座って歓談をしている。
その様子に、ヒルはますます不安になった。
「お前だけ此処に泊まればいいだろ! わたしは野宿する」
「あら、こんな寒空の下、眠れるわけありませんよ。
私、陣の中で一晩過ごしたからわかります!」
「昨日言っただろ、わたしはずっと野宿してきたんだ!」
「まあ、そうでしたわね。大丈夫です! 私が居るからには、もうそんなお辛い思いさせませんので!」
「あのなあ……、わかった。最低の宿に泊まろう」
「せっかく新天地に来たのに、あんまりです!」
そこで、ヒルは気付いた。
――おかしい……!
紗羅の腕を振りほどき、店員の肩に掴みかかる。
「おい! なんで必要も無いのに、こんなに立派な宿があるんだ!?」
ヒルの疑問は尤もだ。
域の外は魔獣が闊歩しているのだから、普通の人間や、純血ではない神に旅行などできる筈無いのだから。
宿が存在する必要性が無いのだ。
そんな彼女に、紗羅は慌てて耳打ちする。
「ヒルさんヒルさん、田舎者みたいですよ!
この域は広いんです、域内にも大きな町がたくさんありますから、立派な宿があってもおかしくありませんよ!」
言われて思い出す。
――そういえば、要の域にも街と村が幾つか在るんだったな、ということを。
豊かな旅行者が多いのであれば、何らおかしい事は無い。
「悪い……」
店員に謝り、手を放す。
その時だった。
ヒルが店員に掴み掛かるのを見ていた客の何人かが、ポーの神気に気づき始め、ざわつき出した。
早々にこの場を離れなければならなくなり、仕方なく三人は部屋に通されることになった。
案内されたのは一階の部屋、
こういった建物は上に上がる程、天井高が低くなる。
本当に良い部屋は庭園に面しているのだ。
透かし彫りの美しい扉にはガラスが入っていて、居間が見渡せた。
居間に面して、重厚な扉が三つ。それぞれが寝室で、全てに鍵がついている。
更に庭園に繋がる扉が一つ在った。
家具はどれも凝った細工がしてある。
「一番良い部屋に通されて、よかったですね。きっとポーさんのお陰ですね」
紗羅に微笑まれて、ポーは照れる。
「だが、相手も商売だ、この部屋に見合った代金は払わないといけない」
「そんなのわかってますよ。
それよりヒルさん。何だか私より世間知らずなのでは? 旅してるはずなのに?」
むむむ、と大きく屈みながら、ヒルの顔を覗き込む。
たじろぐヒルに詰め寄ると、
「まあ、いいです! 言いたくなったら言ってください」
ぱっ、と明るい表情になり、紗羅が笑うのを見てヒルは、この二日で数え切れないほど吐いてきた――溜息を吐いた。
――何だ……、何かが決定的に間違っている気がする……。
ヒルは刀を抱くようにして腕を組みながら、宿屋の大門前で胡坐をかいていた。
頭には、紗羅が勢いよく脱ぎ捨てたボレロが乗っている。
房室に荷物を置き、一息つこうとしていた矢先。『外へ行こう』と、引っ張られて来たのだ。
単純な腕力では紗羅にすら敵わないので、彼女はそのまま外まで引き摺られてしまった。
ポーが笑顔で手を振っていたのが恨めしかった。
――あいつ、まだ日があるから、外に出ないつもりだな。
“ちっ”と、舌打ちしてから、横目で紗羅を見る。
愉しそうに、踊っていた。
踊りが盛り上がるに連れ、人だかりがどんどん大きくなっていく。
それに比例するように、彼女の神気が解放された。
肩を落とし、とぼとぼと歩いていた男は、すっかり彼女に魅了されてしまったようだし、
泣いて地団駄を踏んで母親を困らせていた子供は笑顔になり、母親もそれを見て安堵の笑みを溢した。
彼女が自分で“元気がでる”と言っていたのは、真実のようだ。
ちら、と視線を一点に集中させ、揺れる胸元を見る。
――元気が出る、ねえ……。
見物人に男が多いのは気のせいではないだろう。
ヒルは黙って、仕事に徹することにした。
何か起こったら、紗羅を守るのが彼女の仕事だ。
やがて踊りは終わり、人々から拍手と喝采が湧き上がる。
同時に、たくさんの金銭がヒルの方へ投げ込まれた。
慌ててヒルは立ち上がり、紗羅のボレロを広げると、今度はそこに向かって金銭が放り込まれた。
神様のありがたい踊りなだけあって、かなりの数の硬貨だ。
暫くして、通りは落ち着きを取り戻す。
「――お前……まさか、自信満々でこんな高い宿に泊まったのは、こうやって稼ぐからか?」
「はい、勿論考え無しにこの宿を選んだのではありませんよ?
大通りに面してますし、高級な宿なのでお金持ちもたくさん集まりますよね?」
「……営業許可は? こんなとこで、大きな騒ぎを起こしたら営業妨害だぞ」
「ええ!? そんなもの必要なのですか?」
「いや……」
ヒルはただ、何となく反論したかっただけだ。しかし、それにも紗羅は飄々と答える。
「でも、何か言われても大丈夫ですよ! だって私たち、ここの一番良い部屋に泊まっているんですよ?」
う、と短く呻いた後――
「敵わないな……」
肩を落とし、苦笑いを浮かべた。
「ふふ、さあ、戻りましょう! ポーさんがお待ちです! ご飯ですよ!」
紗羅は、自分より少しだけ低い位置にあるヒルの肩に腕を回し、大手を振って大門を潜った。
翌日、
ヒルと紗羅は街を廻り、秘術についての情報を集めていた。
ポーは外に出たくないと言ったので、留守番だ。
街を歩くと、すぐに気が付く事が二点。
一つは、人々の服装と建物の様式だ。
道行く人の多くは、麻でできた厚地の着物だった。下だけ、少々短めの踝が見える長さのズボンだ。
そして明らかな裕福層は、鮮やかな色をした絹の衣を纏っている。上着の袖が長くヒラヒラしていて、下はスカート状で裾を引き摺るほどに長い。
裕福なほど、布をふんだんに使った、着丈が長く裾の広がった、ゆったりとした衣服である。
建築物も、これまでの域とは違った。
要や紗羅の域の建築物との大きな違いは、垂木の長さだ。
この域では、短い垂木を折りついでいる。自由度の高い設計だった。
これらの文化を一言で表すと、
――中国っぽい? だった。
残る一点は、街の最奥、
傾斜の頂上付近に、山を背にして、更に塀で囲まれている建物が見えることだ。
日が丁度一番高く昇った頃、
ヒルと紗羅は一旦、小さな店で休憩をとっていた。
二人はお互いにだけ解るように、小声で会話する。
「――なかなかそれらしい情報はありませんね」
「秘術というだけあって、大っぴらに口にするわけにはいかないんだろう」
「試しに濁さず訊いてみますか?」
これまでヒルと紗羅は、“秘術”という言葉は出さないよう人々に接してきた。
『記憶に関する逸話はないか』
『奇妙な術について知らないか』といった具合に質問していた。
「――いや、それはやめた方がいい。これだけ訊いて出ないんだ、隠しているんだろう」
紗羅の旅券を見せて、こちらの身分を明かしたところで、何も出てこなかったのだ。意図的に隠している節がある。
紗羅は頷き、同意した。
――大胆になるのは早すぎる。まだ、手詰まりしたわけじゃない。
ヒルと紗羅は、店を出て、坂の上に聳え立つ石造りの塀を見据えた。




