表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/70

踊り子 1


 「はあはあはあはあはあはあ……」


 荒い息と共に、“ガリガリ”“ザリザリ”と固い地面を掻く音が聞こえる。



 「はあはあはあはあはあはあはあはあはあ…………」


 “ガリガリ”


 “ザリザリ”



 「はあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあ…………」


 “ガッ”


 “ガッ、ガ……”



 「ああ、もう。早く早く早く……」


 “ガリガリガリガリ……”



 「はやく、はやくはやくはやく……」

 

 “ざ、ざ、ざ、”



 「ああ! もう……」



 という具合に、

 たいそう焦りながら、地面に向かってブツブツと呟く声と共に、

 地を細い枝で掻く音が、森の奥深くでするのである。





 背後から、恐ろしいものが迫って来ている。


――このままでは、殺されてしまうだろう。


 だから彼女は焦っているのだ。



 「はやく」


 「はやくっ……」



 ただ、暗がりの中で、


 がさっ、

 ごそっ、

 ざわざわざわ、ざわ――

 と、生い茂る草を掻き分けるような音はあった。



 「はあはあはあはあはあ」



 ぐるるるる……

 ぐおおおお……

 と、彼女の息と重なりあうように唸り声まで聞こえる。



 更に大きな物音がして、目を見開く。

 闇の中で、耳を澄ますと、みし、みしと、重い足音が近付いて来る。




 ひたすらに地面に文字を書く女――


 紗羅(さら)は焦っていた。


 背後に迫る魔獣から、辛くも逃げて来たが、


――また再び、何処からかあの巨大な獣が襲って来るのでは、と考えると気が気でなかった。



 「早く早く早く……はあはあは……」


 必死の形相で、狂ったように、地を掻く。


 やがて、


 「で、できた!!」


 喜び顔を上げる彼女の顔前には、

 先程襲って来た獣の牙があった。


 黒澤(こくたく)だ――


 「きゃああああああああああ!!!」


 咄嗟に悲鳴を上げ、尻餅をつく。


 「ひ……ひいいいいいっ」


 ガタガタと振るえ、縮こまる。


 うずくまり、

 恐ろしくて、周りの様子など確認できないが、自分の周りをぐるぐると廻る獣の脚許を見ると、とても一頭だけとは思えなかった。



 地面に書いた文字が、完成していたのが幸いだった。



 彼女の周りには三頭の魔獣が、円を描くように周回している。


 「う……うううう、わ、私……此処で終わるの!?」


 ぼろぼろと涙が落ちる。

 例え獣が自分に近付けなくとも、このままでは身動きが取れない。




 この魔獣共が彼女に手を出せないとしても、

 紗羅にはこの地面に書かれた文字達の中心で、ただ縮こまり、じっとしているしか術は無いのだ。



 ブフウウ……

 ブフウウ……


 何やら、鼻で息をする音がしばらく聴こえていたのだが、

 やがてそれも止んで、みしっ、みしっ、と足音が遠ざかっていくのが聴こえてきた。



 ひとまず助かったことに、彼女は頭を上げ、胸を撫で下ろす。


 しかし恐ろしくて、とてもじゃないが、この文字の外に出る事などできないでいた。



 それから朝まで、紗羅は狭い空間でじっと過ごし、やがて夜が明けたのである。




 朝――


 紗羅は、ぞくりと背をすくませた。



 ガサガサ、

 ザワザワ、

 というひそやかな音。


 音というよりは、気配に近い。


 「ひ、ひい!?」


 紗羅は、息を飲んでいた。



 今度は目を逸らさず、はっきりと姿を確認する。


 「――女?」


 意外にもそれは、人の容形をしていた。

 それに、ぶっきらぼうだが、人語まで扱う――


 それは紛れも無く、


 「ひ、人!? いえ、神!?」



 紗羅は、ありえない光景に、

 混乱し、安堵し、


 涙と鼻水で美しい顔を、ぐちゃぐちゃに濡らした。






 「うっ、うっ、う。怖かったですー」


 涙を流しながら、紗羅は、よく知りもしない少年に抱きつく。


――何故こんな処に少年の姿をした神がいるのだろう。


 紗羅はそう思ったが、せっかく見つけた希望を手放したくなくて、必死で彼にすがりついた。



 「何だ? 何でこんな処に生きた人間がいるんだ」


 少年はさして気にも留めず、中腰でしがみつく彼女を冷めた目で見下す。


 「人間じゃありませんー……」


 まだ治まらない涙をぼろぼろと落とし、紗羅は少年の顔を見上げた。



 「わあっ!」


 よく見ると、肌理細やかで大きな瞳が特徴の、端正な顔立ちだ。

 年の頃は、十三・四だろう。



――可愛らしい男の子だな。


 そう思った時には、すっかり涙は止まっていた。



 「お前、この魔獣だらけの場所でよく生きていたな……。

 一体、どうやっ……」


 「この地面の陣だねぇ」


――え?


 少年の低くもなく高くもない声に被さり、別の暢気な声が背後から聞こえる。



 「きゃあああああっ!」


 振り向くと、

 そこには真っ黒なローブを着て、顔の上半分に包帯を巻いた、奇妙な男が立っていた。







 「な、な、な、」


 顔面蒼白で、驚く紗羅を尻目に、二人は遣り取りする。


 「陣が使えるってことは、神だねえ」


 「そうなのか?」


 「うん、スコラで習うよ」


 「?」


 「正方形のなかに数字をならべるんだよー。

 これとこれとこれ、足しても全部おんなじー」


 「ふーん」


 ローブの男の全く説明になっていない説明をすんなり受け入れ、少年は地面に刻まれた数字を観察している。


 この陣は、古くから護符などにも使われた。


 正方形の中に、縦横斜め、どう足しても同じ合計になる数字を配置する。

 “どう足しても合計が等しい”ところから“完全”を表すものであり、魔を寄せ付けないのだ。


 「だけど、こいつに全く神気を感じないんだけど――」


 そう指差す先の紗羅は――平伏していた。



 「……何の真似だ?」


 少年のひと調子落ちた声音に、紗羅はびくっ、と肩を揺らした。



 「あ、あの……! 失礼致しました。

 私、こんなにも高貴な方々だとは思わなくて……」


 「ああ、ポーの神気に()てられたのか。

 良かったな、ポー。美女がお前を敬っている」


 ふん、と鼻で笑う少年に、紗羅は深々と頭を下げる。


 「い、いえ。貴方様にも無礼を」


 「わたし? 何故わたしに態度を改める。

 お前が神だとしたら、わたしの方が立場としては下だろう?」


 その言葉の意図が解らず、顔を上げる。


 「わたしは人間だ」


――え?? 


 耳を疑う、


 「そんな、確かに貴方から神気が!! ……あ、あれ??」


 先程感じた彼からの神気が、不思議なことに今は全く感じなくなっていた。


 代わりに、


 「ああ、今微かにお前の神気が判った……気がする」


 と彼は適当そうに言い放った。



 そのときだった。



 ざざざざざ……


 と、突風が吹きぬけたが如く、草木を掻き分ける音が奔る。


 「ひ」


 短い紗羅の悲鳴が漏れたときにはもう、

 黒澤が、少年の方に向かって飛び掛っていた。



 黒澤は体は牛だが、頭部はあご髭を蓄えた人の姿である。

 ただし顔に三つ、胴体に六つの目があり、角も額に二本、胴体に四本あるという姿だ。



 その異形の姿をした魔獣が、細身の少年目掛けて大きく口を開けながら、突進してきたのである。


 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ