光の記憶 3
――暗闇の中から、意識が泡のように浮かびあがる。
視界が白み、
長い夢から、ルードは覚醒した。
僅かの時間、天井を眺める。
そして、動かせる部分を動かしてみる。
「……っ」
残念ながら、片腕に力を入れても、起き上がる事ができなかった。
「あら、起きた?」
頭上に、落ち着いた女性の声が降り注ぐ。
「鈴……」
掠れているが、問題無く声が出せたのにルードは安堵する。
「貴方、もう十日も眠っていたのよ。
一体何があったの? ……いえ、いいわ。言わなくて。
私はただ貴方達の傷を治すだけ」
そう言って、眉根を下げ苦笑する大人の女性――目の前には鈴の姿が在った。
鈴が手を貸し、ルードは起き上がる。
「チャルチは一旦隠れることになったのかしら?
貴方を水が運んできたの。あれ、チャルチでしょう?
あと、キニチ・カクモも」
ガラスの入った窓辺には、派手なインコがおとなしく座っていた。
この鳥の姿をしている神も、気を失っていたルードにずっと付き添ってきた。
「いいえ、死んだわ」
「え……?」
“死”という言葉に、鈴が反応した。
要の眷属達は否定したが、ポーが『神は不老不死』と言ったのも、あながち間違いではない。
神は人間ではないから、肉体は滅んでも魂まではすぐには死なない。
肉体が滅び、宗教的権威あるいは政治的権威を失ったので、政治、宗教上の表舞台から一旦去ったのである。
これを、“身を隠す”という。
ただ、少数といえども、チャルチを斎祭る人はいるだろうし、人の心の中には残るはずだから、“死”という意味での終末を迎えることはない。
その神をいつき祭る人々がいる限り、神はどこかで生き続ける。
しかし、権威を失っていつき祭る人々がいなくなった時、本当の死、“消滅”を迎える。
それまでに肉体を“復活”させなければ“消滅”してしまう。
この事を充分に理解している者は、肉体が滅ぶ事態に直面したことのある神しか居ない。
要のように眷属を持つものは、肉体が滅んだ時点で眷属は永久に死ぬが、要自身は条件を充たせばいずれ復活する事が可能だ。
復活する事を神自身は、“自分にもできそうな気がする”となんとなく感じている。
しかし、
「チャルチは復活しない……」
ルードは、そう断言した。
「何故そんな事が言えるの?」
見当もつかないと言った風に、真剣な面持ちで尋ねる鈴。
その様子に、ルードはふっ、と柔らかく笑った。
「やめてよ、冗談。
もうアタシ達皆、生きてるか死んでるか判らないじゃない。
ただ何となく、時間の流れに任せてるだけ。
やっと終われるっていうのに、戻ってくるわけ、無いじゃない」
ふふっ、と息を漏らす。
「チャルチは死んでよかったのかも……、
アタシ達全員、死に場所を求めている。
ひょっとしたら、アタシ達純血の神ってもう、世界にとってはいらない存在なので……っ!?」
言葉の途中で、脳天に鋭い痛みが落ちた。
「それ以上言ったら、いくら温厚な私でも、怒るわよ!!」
「はあっ!?」
痛みを堪え顔を上げたルードの目に、薬箱を手にした鈴が眉間に皺を作っているのが映る。
そこでやっと、あの四角い木箱で殴られたのだと、知った。
「私はまだまだ生きたいわ! あと1000年でも1万年でも足りないわよ!!
それに、いらない存在なんて無い! 私はあなた達、私の友人の誰が居なくなっても悲しいし、寂しい。
無責任なこと言わないで!」
「もう、怒ってるじゃない……」
捲くし立てる鈴に、ルードは圧倒され、
「あっはははははは!!」
そして、大笑いした。
一頻り笑った後、目尻に浮かんだ涙を拭う。
「――あー、お腹痛い。
ほんと、ポーとアンタだけは変わらないわね! ははっ」
「そう? 一番変わってないのは要だと思うけど?」
ピタリと笑顔が、消え失せる。
「え……?」
ルードには彼女の言葉の意味が、一体どういうことか解らなかった。
一番性格がガラっと変わってしまったのは、要で間違い無いと思っていたからだ。
昔憧れ、大好きだった幼馴染は、或る時を境に別人のようになってしまい、現在もそのままのように見える。
そんなルードの困惑を、意味深な笑顔で鈴は撥ね退け、
「さー、もうこの話はお仕舞い!」
と、手を打った。
鈴が息を深く吐き、
部屋の雰囲気が、がらりと変わる。
「ルード……落ち着いて、聴いて欲しいんだけど……」
歯切れ悪くも、相手の目を真剣に見て鈴は話す。
それをルードは、ぼんやりと聞いていた。
「あなたの右腕、再生は可能なんだけど、最低でも30年くらい時間が必要なの……」
「ああ、そんなこと」
「いえ、それで……」
彼の言葉を遮り、それでも彼女は言葉を詰まらせた。
――覚悟が要る言葉を出そうとしている。
ルードは、彼女から出る言葉をジッと待つ。
沈黙は、長くは続かなかった。
彼女から出た言葉は、
「あなた自身が、それまで生きられない」
「え?」
ルードは訊き返すことしかできなくて、ただ次の言葉を待つ。
「あなた、自分で判らない?
……全く神気が出て無いのよ。
複数の人間に確認させたから、これは確か」
「ちょ、ちょっと待って! 何言ってるか、さっぱりわからないわよ!」
「そ、そうよね。私も最初理解できなかったもの」
鈴は額に手をあて、暫し考え込む。
その顔面は蒼白で、彼女の方がベッドに入った方が良いのではないか、と誰もが思うだろう。
「あ……あのね、あなた神気が無くなっているのよ。全く」
漸く出た言葉は、先程と大差無かった。
説明したくとも、彼女自身上手く言えないのだ。
「要するに、人間みたいになってしまっているの……」
「……」
「人間に、なっちゃったみたいなの」
言い直しても、同じ言葉しか出なかった。
そうとしか、言いようがないのだから。
神や魔族は、存在自体が奇跡とも取れる程、超常的だ。
黙っていても発するエネルギーが大きい。
人間が発する熱とは全く異質の力だ。
だからこそ、人間にとっては巨大で絶対的な力で、敏感に感知する事が可能だった。
その神から発せられる存在感を、神気という。
「――人間――」
ルードは複雑な気持ちで、その生物の名称を口にする。
幼かった時に、あんなにも成りたかったモノ。
そして、今でも彼らに希望を見出している。
皮肉にも子供の頃の夢が今、この時、叶ってしまったのである。
光の神ルードの神力は消え失せ、ただの人間になっていた。
「腕の再生は可能だけど、早くても30年はかかる。
でも、どういうわけかもう、あなたは人間と変わらないから、そんなに生きられない。
それどころか……あと10年も生きられないでしょう」
寂しそうにそう言うと、鈴は静かに涙を零した。
「――そう、アンタがそう言うのなら、間違い無いんでしょうね」
ルードはイマイチ実感が持てずに、ただ流されるままに、納得することにした。
鈴の女神としての勘は鋭い。
人間の寿命なんて、簡単にピタリと当ててしまう。
彼女の言うように、人間として死ぬのなら、もう二度とこの世には戻れないだろう。
――それでいい……。
「チャルチは――」
いいとは思うものの自らの死を考えると、どうしても親友の顔が浮かんでしまった。
――割り切っていた筈なのにね。
ふふ、と穏やかにルードは笑い。
「もし、この世に未練が有るなら、いつか何処かで何かに転生するかもね」
「……ええ、そうなるといいわね」
それに鈴も同意し、
二人は静かに涙を流し続けた。




