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前哨戦 3



 ルードは無言で突進した。狙いはエゼル、ただ一人。


 どちらも得体の知れない敵に違いなかったが、彼がより危険と判断したのは、華奢な少女の方だった。


 自分の片腕を奪ったのはミダイが投げたナイフ。ならば、取り敢えずはそれに触れなければ良い。

 対照的に槍を沈黙させた彼女の能力は全くの不明で、しかも武器なども持っていないようだ。


――より厄介そうな方を先に潰す。


 心でそう宣言すると、彼は加速した。


 途中消えたように見えた次の瞬間、エゼルに鋭い突きを放つ。それを彼女は間一髪でかわす。


 彼の攻撃は止まらない。

 腕一つで、確実に彼女の顔面、腹、腕、首、と狙う。

 

 エゼルはギリギリで全ての斬撃を避けた。


 しかし攻撃は止まらない。

 止まるどころか、どんどん加速する。


 それに比例し、彼の表情は消えていく。

 まるで感情は足手まといだとでもいうように。

  



 これまで全ての攻撃を避けていたエゼルは、ついに槍を手で弾いた。


 「くっ……」


 エゼルが歯ぎしりする。

 彼女の目では見切るのが難しくなってきたのだ。


 焦りの色を浮かべる彼女とは反対に、ルードの顔には何の感情も窺えない。


 機械的な彼の手の中で、死んだかと思われた槍が微かに光を発した。


 だがエゼルが掌で槍の柄を払うと、再び沈黙する。


 微かに光を発し、また沈黙する。

 それを何度も繰り返す。


 しかしルードが更に加速し、彼女が弾くのもやっとになるに連れ、光は明らかに強くなり、すっかり槍は生き返ったかのように、熱を取り戻していった。


 ルードの感情が消え、凍りついたように冷たい表情になっていくのと裏腹に、槍は熱を取り戻す。


 そして、光は拡散する。



 「何なんだよ! てめえ」


 エゼルが狼狽し、喚く。

 焦るほどに防ぐのが雑になり、頬を切っ先が掠めた。


 「熱っ……」


 「……それ」

 ポツリ、と呟くルードはじっとりと彼女の手を精察している。


 「手の中の珠。それが力を吸収してるんでしょ?」


 「っ……!?」


 目を見開く彼女から、どうやら彼の鑑定は図星のようだ。


 「ち、くしょおおおお!!」


 激昂し、滅茶苦茶に蹴りを放つエゼル。


 頭に血が昇るのも無理は無い。

 気付かれないように、注意しながら戦っていたのだ。それをあっさりと見破られた。


 彼女の武器は至極単純明快。掌に埋まった珠が神力を吸収し、自らの力に変える。それだけだ。


 この珠自体の原理は、ルードや他の神は知らないが、元々人間が開発したシステムが使われている。

 魔力を他のエネルギーに変換し、使用する事を目的とした、とてもエコな技術だ。


 魔力と神力は全く同じ力で、使用者で分けているだけなので、神にも有効なのは魔族間でかねてからの通説だった。


 本来ならエネルギーを取り込み、変換させる巨大な機械が必要なのだが、その問題を解消させる為に、エゼルという魔族が生み出され、彼女の身体がその役割を担っている。



 「殺す殺す殺す殺す!」


 神力吸収のカラクリを見破られたからには、今後そう簡単には掌を向けさせてはくれないだろう。


 怒り狂い、形振り構わず、およそ体術とは言えない殴る蹴るの暴力を放つエゼル。


 しかし、そんなもの、加速し光を放つルードには掠りもしない。

 光は熱を持って拡散する。

 槍の温度はどんどん上昇し、とてもじゃないが近付けなくなってしまった。


 それでもエゼルは猛攻を続ける。露出する部分には尋常じゃない汗が吹き出していた。


 有利になっても依然、彼の表情は凍ったままだ。


 「ごめんね」


 これから摘み取ってしまうであろう若い命に侘びると、無表情のまま、ルードは力強く床を蹴った。


 横方向に移動した瞬間、立っていた場所に轟音が響き渡る。

 エゼルがルード目掛け、蹴りを放ったのだ。


 平静のまま、彼女の動きを横目に見る彼は、時間が止まったような感覚に陥った。


 後ろにできた隙をついて、感情を閉ざし、エゼルの背中に槍を突き立てた。




 その少し前。


 ミダイは攻めあぐねていた。

 わかっていたとはいえ、目の前にいる敵とは相性が悪すぎる。


――自分のナイフでは、この女に傷一つ付けられない。

 “今のままでは”



 ミダイのナイフは超振動により、物質の結合を弱らせる。

 水分を含んだ物質は、固体から液体へと変化してしまう。


 単純に言えばこういった理屈だが、そう簡単に変化は起こらない。


 物質によって異なる、特定の連続した振動を与えなければならないのだ。

 これが常人には困難なのだが、ミダイの能力がそれを可能にする。


 彼の脳が瞬時に、個体から液体化する物質固有の周波数を割り出すのだ。



 彼が他に持つ特技は、正確に、凄まじいスピードでナイフを投げる事くらいしか無く、簡単な魔法なんかも使えない。


 このナイフでのみ戦うことに特化して、他の戦い方を知らない。


 そんなミダイは、エゼルと同じく、特定した神殺しの為に生み出されたと言ってもいいくらいの下級魔族だ。




 一方。チャルチは、ルードの言葉に逆らい、逃げずにこの場に留まっていた。


 ルードを置いて逃げるなど、彼女の“事情”を考えると不可能に近い。


 “事情”を彼も知った上で、それでも彼女に逃げろと言ってくれたのだ。――その言葉だけで、チャルチには充分だった。



 残ったからには、彼女も勿論戦わなければならない。


 ミダイのナイフがルードの邪魔をしないように、大気に含む水を集め防御膜を張っていたのだ。


 この水のバリアが想いの外、効果的だった。

 最初からただの水なのだから。

 

 が、他にできる事も無い。


 水圧でミダイを攻撃しようにも水が少なすぎる。

 窒息死させようと彼の顔の周りに水を集めたとしても、たかが知れている。飲み込まれたら折角集めた水が無駄になってしまう。


 ただ、ルードを守る為により多くの水を集め、少しでも膜を厚くすることしか彼女にはできなかった。



 事態は一変する。



 膠着状態の二人の目に、見過ごせない情報が映ったのだ。



 お互い、味方の決着がついたのである。


 静かに立つのはルード。

 その足許で、エゼルは背中から腹にかけて槍を貫通させ、蹲っていた。


 血は流れる前に熱で蒸発し、煙を立ちのぼらせている。




 それに、チャルチは安堵した。

――“安堵してしまった”――

   


 「かかったな」


 口端から血を垂れ流しながら、エゼルはにやりと哂い――力一杯、何かをぶん投げた――


 それは猛スピードで、水のバリアを突き破り、チャルチの身体にぶつかったのと同時に、ミダイのナイフも彼女に接触する。


 ルードも、当のチャルチも、未だ何が起こったのか、わからない。


 この間、たった1秒にも満たない。



 そしてチャルチの耳に“バシャ”っという水音が聞こえると、彼女はその場に崩れ落ちた。



 「あ、あ、あ、」


 途切れ途切れに、喉から音を漏らす彼女の中心には、何も無くなっていた。


 胸から下と腰から上が分解し、ドロドロの血と肉の液状になっていた。



 「ルー……ド……さ、ま……」


 血と音を一緒に吐き出しながら、“美と水の神”チャルチは、絶命した。




――チャルチが死んだ。



 その事実に、ルードはただ放心したように、ボーっと立っている。

 寧ろ、親友が死んだという絶望的な状況を前に、“美と光の神”は一際心が平静になりつつある。



 研ぎ澄まされていく感覚の中で、魔族の声が響く。


 「はなから無傷で……テメーら二人、ぶっ殺せるとは思ってねー……よ……」


 エゼルにもまた死が訪れようとしていた。

 彼女は大きな役目を一つ終え、達成感に満ち溢れた表情をしている。



 彼女の掌に埋まっている珠は、取り外しが可能だった。

 取り外しすれば、彼女のエネルギーにはならないが、珠が力を吸収して一時的に対象の能力を使えなくすることができる。


 ルードとチャルチ、両方に隙ができたタイミングで片方の手から珠を取り外し、ありったけの腕力で動きが遅い方のチャルチを狙ってぶつけた。


 チャルチが能力で水に変化できなくなった瞬間に合わせ、ミダイもナイフを投げ、彼女を殺したのだ。



 奥の手は最期にとっておいた――そんなエゼルは、死の間際、微動だにしないルードの足を片手で掴む。





 ルードの周囲を包み込み、闇を払っていた光が徐々に弱くなる。


 エゼルに残った最後の武器である珠が、彼の光を吸収しているのだ。



 更に追い打ちを掛けるように、ミダイのナイフが今まさに襲いかかろうとしている。



 しかし、そんな絶望を前に、

 ルードは驚くほど穏やかな気持ちに包まれていた。


 目を瞑り、何も無い心に、彼自身の声が広がる。

 まるで眠る前の黙想のように――




――ああ、やっと……終わることができる。



――チャルチは……あの子は、アタシなんかに付き合ってダラダラと生きてきたけれど……。ちょっとでも幸せな時が有ったのかしら……



――アタシは……アタシ自身は、幸せだった……ような気がする。

 漸く今になって、そう思える。



 「でも、人間の世界は見てみたかったわ」


 ポツリ、と、轟音に掻き消される一言を呟いた後。

 彼は完全に口を噤み、心を閉ざした。




 ルードの身体を、轟音と共に衝撃が襲う。

 大きな圧力がかかり、何かが全身を呑み込んだ。



――死の衝撃とはこういうものなのか?



 と、己の殻に閉じ籠り、総てを受け入れる体制だった彼を、現実に引き戻してしまう程の疑問が生じる。



 ルードはほとんど反射的に目を開けた。


 息を吐くと、気泡ができる。



 水だ、


 彼の身体は透明な液体に包まれ、

 運ばれていた。



 不思議と苦しくはない。

 それどころか、温かく、心地好くさえ感じる。


 轟音はとっくに消え、己の血流のみが聞こえる。

 衝撃は、軽く身体を揺すられた程度。攻撃ではなく、小突かれ、正気に戻されたような気さえ起こさせる。



 既に死を覚悟して、何もかもを受け入れていたルードにとって、この水に内包されることが、最上の幸福に想われ、


 安堵し――そのまま意識を手放した。



 取り残されたミダイは茫然自失として、立ち尽くす。


 しかし、何が起こったか解らないからではない。彼は一部始終、はっきりとその目で確認していた。


 理解した上で、呆気にとられたのだ。



 放った必殺のナイフが空を斬り、敵に当たる寸前。

 空中に、小さな水の塊が生じ、ナイフの動きを止められたのだ。



 驚く彼を置き去りにして、大きな水流が横切った。



 “龍”――細長く、蠢き、空間を泳ぐ水の姿に、そう彼は錯覚させられる。



 水はナイフを呑み込み、敵の全身をも呑み込んだ。


 そして、そのまま彼を無視し、あっという間に遠ざかって行ったのだ。



 彼が我に返った時にはもう、水龍の姿は闇に消えていた。



 咄嗟に辺りを見回す。

 確かに死んだ筈の、水神の死体が無い。

 しかも、それが生前作った、水の防御膜が壊れてできた水溜まりも、綺麗さっぱり無くなっていた。



 そこで理解した。



 戦いの中、ずっと彼を守り続けていた“美と水の神チャルチ”は、死して尚、親友を守ったのだ、と。



 「まったく、呆れちゃいますね。

 もう、あの執念は呪いと言ってもいいようだ。

 ……ねえ、君もそう思うだろう?」


 ミダイは、敵の足を握り締めた体制のまま、動かなくなったエゼルに話を振る。



 一向に答えが無いと、呆れたように肩をすくめ、溜め息混じりにコンクリートの壁に向きを変えた。



 「ま、でも。目的は充分果たしたし、覇空王様に誉めてもらえるかな?」



 清々しく、大きな独り言を吐き出すと、きびきびとした足取りで、ミダイはコンクリートの壁に戻って行った。


 


 実はまだエゼルは生きていたのだが、そんな事彼には関係無い。



 彼女の生死は、彼にとって、待ち合わせをドタキャンされた程度にどうでもよい。


 来なければ来ないで、別の予定を入れるだけ。



 同様に、エゼルにも、彼がどうしようが関係無い。


 気まぐれで助けられるなら、また上司の命令通り生きれば良いだけ。

 見捨てられて、このまま果てるなら、その運命に流されるだけ。



 だから、彼女は自分の創造主の姿のみを想い、

 恍惚の表情を浮かべ、



 事切れた。


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