前哨戦 2
ルードは今度こそ槍を構えることができた。
右腕は肘から下が痺れと強い痛みで思うように動かせない。骨折の可能性が高い。
左腕一本で槍を操り、戦わなければならなかった。
始めに動いたのはエゼルだ。
床を蹴り、一瞬でルードに襲い掛かる。
初速の速さから、腕力だけでなく脚力の強さが窺え、彼女の全身から放たれる全ての攻撃の危険性が示唆された。
しかしルードはしっかりと反応している。
槍の柄で彼女の蹴りを受け止めた。
蹴りの力は重く、片手ででは分が悪過ぎる。が、ルードとて人間以上には腕力もある。
そして、扱う槍は“必然の勝利”
数多の戦いを勝利し、持ち主であるルードを守ってきた。
その槍が、意思を持ってエゼルを跳ね返す。
エゼルの軽い体が宙に飛ばされる。
「ちっ!」
「アンタなんて、片腕で充分!!」
いまだ宙に浮くエゼル目掛け、ルードの槍が猛追する。
「アンタは此処で終わりよ!」
ルードの手から放たれた槍は、五条の光線を放ちながら、エゼルを仕留めに掛かる。
「終わりはお前だ!」
にやりと笑うと、エゼルは空中で体勢を立て直し、そのまま正面に両手を構えた。
それと同時に、ルードの視界の隅を鋭い光が走った。
咄嗟に彼は身体を捻り避ける。
が、感覚が麻痺しかかった右手の指先を、何かが掠めた。
「何?」
“パシャ”っと水溜りを踏んだような音がする。
鼻腔に血と脂の臭いが入り込む。
「ルード!」
チャルチの狂気めいた悲鳴が聞こえ、彼は自身の状態に漸く気が付いた。
服の右袖から、ヘドロ状の何かが垂れている。
そこから、鉄と臭みの有る肉を焼いたような臭いが混じって、流れていた。
そして認識する。
自身の右肘から下が“無くなっている”ということに。
認識すると後は早かった。
肘の断面に強烈な痛みが襲い、
激しい嘔吐感が込み上げる。
「迂闊すぎですよ、武器を手放すなんて」
ミダイは笑って、謳うようにそう言った。
正面に構える両手に投擲用の細身のナイフが挟まれている。
膝から崩れ落ちるルード。
小刻みに震え、目は見開く。右肩を、指先が食い込む程に強く握り締めていた。
その横に、どろどろに分解されたルードの腕だったモノが拡がっている。
中心には一本のナイフ。
彼の指先を掠めた物であり、
ミダイの手に有る五本のナイフと同じ物だ。
これが原因で、ルードの腕がヘドロ状になったのは明らかだった。
「ルード!」
チャルチが駆け寄ろうと踏み出す。
「おっと」
目敏くミダイは振り向き、彼女目掛け、ナイフを一本放つ。
放たれたナイフは一直線にチャルチを仕留めに掛かる。彼女は動かない。無理も無い、とてもじゃないが常人に避けられるスピードではないのだから。
彼女の腹のド真ん中をナイフが捉える。
しかし、彼女の身体は霧散した。
ナイフは空を切り、そして空しく床に弾かれた。
そもそも彼女は避けられないのではなく、避ける必要がなかったから避けなかったのだ。
物理攻撃は水の神チャルチには効かない。
「まあ、そんな基本的なこと。知ってますけど」
ミダイは笑いながら、指先で四本になったナイフをくるくると回している。
頭上では、エゼルがルードの槍を素手で受け止めていた。
「そんな、ありえない!」
叫ぶチャルチは既にルードに寄り添っていた。
霧状になった彼女はそのまま彼の側へ移動したのだ。
「ルードの槍を受け止めるなんて! そんなのできっこない!」
「……できない? それは、何処の情報ですか?」
ミダイの眉尻が下がる。
見下すように、嘲るように、二人に笑顔を向ける。
「だいたい貴方達は全てが罠だと気付かなかったのですか?」
「罠なんて! そんなの関係無い! 私達は要を助ける、その為には危険も承知よ!」
「そういう問題じゃあねーんだよ!」
甲高い声が、闇に響く。
空中で競っていたエゼルとルードの槍が同時に落下した。
ルードの槍は、光を失い、まるで死んだように沈黙している。
その代わりに、エゼルが髪を逆立てながら光に包まれ、周囲にはビリビリと静電気のような光が奔っていた。
「危険とかそんなんじゃねーんだよ。ここに来た時点で、てめーらが死ぬ事は決まった」
「時代は流れているんですよ。
歴戦の英雄だか何だか知りませんけど、二千年間何もしてこなかった貴方達と僕等魔族は違います。
ペルセポネーが得た貴方達の情報から、僕達魔族は貴方達を研究して、充分に対策を練って来ました。
もちろん僕とエゼルもその為に生まれましたし」
「お前等の能力も思考パターンも、こっちは全部把握してるんだよ!
戦いは、2千年前よりもっと前から始まって、勝敗は、もう決まってる!」
完全に罠だった――それは初めから判っていた。
しかし、ルードにもチャルチにも予想できなかった展開が起ころうとしている。
それは、この二体の魔族によって引き寄せられるだろう。
いったい彼らはどうやって此処に存在するのか。
それを解く事が、この戦いの本質を知る鍵になる。
元から神々と共にこの神界に引き篭もったペルセポネーは解る。
しかし彼らは明らかに魔界から来た。
2千年間神々に気付かれずに、大事を企むなど不可能だ。
それに、ミダイという男のナイフ。
どういう訳かルードの槍を素手で防いだエゼル。
――あんなモノは、ありえない……。
そう思うものの、心当たりは有った。
自分達が、喉から手が出る程に欲しかった物。
本来、自分達が手にするべきだった物。
人間の、より豊かに成ろうとする向上心と、2千年の間に劇的な進化を遂げたであろう科学技術だ。
難しい事は、ルードにもチャルチにも判らないが、きっと、そういうことだろう。
そして、この世界に来た方法も、心当たりが有った。
魔族にも格というものが有る。
基本的に魔力が強い者が、格上。と、単純に分類して差し支えない。
その格上の魔族の中でも、最上級に位置する者を世界では“魔王”と呼ぶ。
ルードとチャルチの知っている限り、魔王は五体存在していて、それぞれ異なった能力を持っている。
もっとも、その情報も二千年前のもので、現在はどうなっているのか、ルードとチャルチにはわからないし、知る術も無い。
しかし、遠い記憶を掘り起こしてみると、その魔王の中に、空間を扱う能力を持っている者が居た。
覇空王・ヴィアベル
狡猾で嫉妬深く、残虐な魔王だ。
彼ならば唯一、この空間に魔族を送り込む事も可能なのではないか、とルードは考える。
「ルード!」
彼は立ち上がると同時に、チャルチを後ろに突き飛ばした。
「アンタは逃げなさい」
常人ならば自身の身体の一部が液化した苦痛で、ショック死するか発狂してしまうだろう。
ルードは神経に電気を流し強制的に興奮状態に追い込む。
アドレナリンが大量に出続け、脳内麻薬物質が分泌される。脳内麻薬によりやがて無痛覚の症状に至った。
邪魔な痛みが無くなる。
同時に、床に倒れる半身――槍を掴んだ。
ルードが膝をついていた位置と、槍の転がっていた位置は、かなりの距離があったのだが、どういうわけか彼はまるで瞬間移動したようにその場に立っていた。
「やーっと本気出す気になった? ほんと年寄りの相手は退屈だわ」
エゼルがケラケラと笑う。
「黙れ」
一言だけ呟くルードの目は瞳孔が散大していた。
大量に出続けるアドレナリン。
感覚器官の感度が上がる。
筋肉への血液量が増え、ほぼ100%の力を出せるようになる。




