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前哨戦 1



 ヒル達と別れてから、二十日余りの旅を経て帰還したルードとチャルチは、早速。グリェーシェニクの居る桟橋へと向かった。



 夜の砂浜には穏やかな波の音と湿った風が漂っている。

 

 月明かりで夜だというのに暗くは感じない。



 ルードは桟橋の先端に目を凝らす。

 黒い人影が見え、目的の人物がそこに居ることに安堵した。


 

 「これはこれは……ルード、チャルチ。随分と早く帰ってきたね」


 軽く会釈する男――グリェーシェニク。


 アロハシャツを着ているが、この男自体にはこれといった特徴が無かった。


 服を着替えれば、たちまち誰か判らなくなってしまう。

 中身よりも服の方が特徴的なのだ。



 「例の者には会えたのかい?」


 「ええ。それで、マズい事になったわ」


 ルードの苦虫を噛むような表情に、グリェーシェニクは首を傾げた。



 「あの子、記憶が無いそうなのよ。だから、計画はちょっと休止しないと」


 「記憶……ああ、そうか。そういうことか」


 グリェーシェニクは自分だけ納得した風に顎に手をあて足許を見る。


 「アンタ、何かアタシ達に隠してない?」


 「そうだね。しかし、君にだって隠し事くらいあるだろ?

 お互いプライバシーにまで干渉するのは、野暮。……じゃないかな?」


 そう言われるとルードは黙るしかない。


 みっともない真似など、彼の品性が許さない。



 革新派の表面的なリーダーは、特徴の無い男。グリェーシェニクで間違いなかった。


 だが神という存在は、力を持てば持つ程、自分本位になる。

 共存や共生など、必要無い。たった独りで生きていけるだけのエネルギーが有るからだ。


 自然、殆どが他者とは相容れない。


 故に、革新派とひとくくりにしてはいるが、実質的には皆。細かな思想や行動はバラバラだ。

 ただ、協議の際は、頭の良いグリェーシェニクが中心になってしまう。



 「要が一体何処に行ったのか、アンタ心当たりがあるんじゃない?

 そういえば――あの魔族を連れて来たのもアンタだったわよね!」


 「大昔の事をよく思い出したね。良い傾向だ。

 廃忘は、目的を見失わせる。果たして君は、かつて思い描いた未来へ進めているのかな?」


 「茶化さないで!」


 「では、重要な事実を教えてあげよう。

 要の神気は、そこの砂浜で途絶えたよ」


 「「!?」」


 ちら、と目配せするグリェーシェニクの視線につられ、ルードとチャルチは湾曲しているが見通しの良い砂浜に目を遣った。


 忌々しげに、二人は彼を睨み、無言で駆け出した。


 この男に何か言っても飄々とあしらわれるだけだ。


 それよりも、一刻も早く要に辿り着くべきだ、と判断したのである。


 


 砂浜を走ると、成る程。嫌な予感がビリビリと来る。


 盲点だった。


 まさかこんなに目と鼻の先で拉致されるとは。


 「つまりは、二ヶ月近く無駄な時間を過ごしてしまった訳ね……」



 グリェーシェニク――自分達に『ペルセポネーの姿が見えない』と吹聴したのは彼だった。

 しかし彼は、要の神気があの魔族と共に消えたことを知っていた。


 彼は何もかも知っていたのだ。



 舌打ちするルードを心配そうにチャルチが覗き込む。


 「無駄なことだけじゃなかったわよ。あの子に接触する事ができた」


 「ああ、そうね。そうよね……どうせあの子が自分で思い出すのを待つしか無いものね……」


 ぶつぶつと自分に言い聞かせるように呟くと、ルードは砂を巻き上げ、急停止した。

 チャルチもそれに続く。


 「なんだか気持ち悪いわ」


 「……」


 ルードがこの場に得た印象。それは眩暈がするほどのドロドロとした悪意だった。

 チャルチは沈黙し、彼の邪魔にだけはならないように見守る。


 着ているジャケットから黒いナイフを取り出すと、ルードは鞘から抜くと同時に、真正面の空間に投げ放った。


 


 電光石火で空を斬るナイフが、びたりと空中で静止する。


 まるで無色透明な立ち木に当たって突き刺さったかのように、その場で止まった。


 すると、刃からじわじわと墨のような黒い靄が溢れ出す。


 波紋を描くように、ナイフの先端を中心に靄は波打ちながら増殖していく。次から次へと靄は溢れ、それが共鳴するようにどんどんと大きく波打つ。


 やがて何とか潜れるほどの大きさに成ると、尚も闇を吐き出し続けるナイフはそのままに、ルードはその奇妙な黒い霞の前に近付いた。



 少々警戒しつつ、片手を触れさせてみる。


 肘のあたりまで入れると、彼の手は全く見えなくなった。



 どうやらこの先は得体の知れない場所に繋がっているようだ。

 そう確信し、


 「行くわよ」


 背後で自分を見守る親友にそう告げると、彼は闇の中に入って行った。


 当然のことながら、チャルチもその後に続く。



 靄の中は、完全に真っ暗な空間だった。


 先に進むに連れ、上下左右、前後の感覚が判らなくなる。

 地面があるかも判らないが、一応歩いている感覚はするので、そのまま闇雲に先へ進む。


 チャルチが振り返ってみると、微かに入ってきた靄から光が差している。


 ポーのナイフをそのままにしてきて正解だった。

 あれが無いと、きっと出口も判らず、さらにややこしい事態になっただろう――そう彼女は思案し、あの場所だけは見失わないように、通る道にマーキングさながら、水滴を垂らしてゆく。


 例えこの水が無くなっても、彼女の神気は数日は残る。ここで手間を惜しむ謂れは無い。



 暗闇を歩く。

 何処に向かっているかもわからないが、目的だけが彼らを進める。


 突然にそれは現れた。


 いくらも歩いていない。

 もっと遠く長い道のりになると思っていたチャルチは面食らう。


――壁だ。


 コンクリート打放しの無機質で冷たい壁が闇間に浮かんでいた。


 「建物?」


 それは高さ3メートル、巾10メートル程の、のっぺりとした壁で、窓やドア――出入りできるような開口部は一切無い。


 しかし、よくよく見てみると壁には奥行きが有り、もしかしたら建物なのではないか、という気にさせる。




 二人は無言で、感覚を研ぎ澄ませながら、壁との距離を詰める。


 見上げる程にまで近付くと、いっそうこの物体は建物の壁なのでは、と推測できる。


 ぐるりと四方を囲むコンクリート。

 上部がどうなっているのか判らないが、きっと中に空間があるだろう。


 それくらいしか、この壁の存在意義を見出せない。


 そして恐らくは、この中に要は居る。

 ただの勘で、根拠は無い。

 しかし二人はそう、確信した。



 「壊しても……大丈夫かしら?」


 ルードがそう、自らの相棒に伺った時。予期せぬ声が、壁から発せられた。


 『無駄無駄ぁ……! 何でもかんでも壊せばいいってもんじゃあないわよ! 脳筋がぁ!!』


 鬱陶しい程に甲高い女の嬌声が響く。


 「「!?」」


 



 何も無いはずの壁の表面に、黒い渦ができる。


 すると、人影が二つ。飛び出てきた。


 咄嗟にルードは胸元からペンダントを引き外そうとする。が、


 「おっせーよ!」


 影が一つ、すべるように間合いを詰め、ルードに強烈な蹴りを喰らわせた。


 その威力は凄まじく、彼の身体は見事に20メートル程吹っ飛ぶ。


 「ルード!」


 チャルチの悲鳴と同時に、ルードは素早く身体を捻り何とか体勢を持ち直し、地面に片足と片手をつけ滑りながら着地した。


 「っ……」

 

 「ぎゃははははは! 馬鹿じゃね? 気配に気付いた時点で戦闘体勢に入れよ! 常識だろ」


 ルードが顔を上げると、そこには赤髪の少女が立っていた。

 殆ど下着のような格好の彼女は、腹を抱えて病的に笑っている。


 ビリビリと痺れ激痛の奔る右腕。

 細い身体の何処にあんな一撃を放つ力が有るのか――ルードには嫌な予感しかしなかった。


 どう考えても彼女は人間では無い。


 しかし、見かけた事の無い顔だ。

 そして、此処は魔族ペルセポネーの力でできた場所。

 

 一つの可能性を、口に出してみる。


 「まさか……魔族?」


 「げひゃひゃひゃひゃっ! ご名答ぉ!!」


 可能性は、あっさりと正解になった。


 何がそんなに面白いのか、仰け反りながら爆笑する彼女の横に、男が並ぶ。


 「こんにちわ。僕はミダイ、彼女はエゼルです。

 まあどうせ貴方達には此処で退場して頂きますけど。自分を殺す相手の名前くらい知っておきたいでしょう?」


 ミダイという男は隣の少女――エゼルとは違い、物腰柔らかで、気品さえ感じる。

 外見も雰囲気も西洋貴族を思わせるほどで、顔に張り付く微笑は聖人のようだ。


 「成る程? どうやら要はこの中で間違いないようね」


 ルードとチャルチは今度こそ絶対的な確信を得、目の前に立ちはだかる男女のナリをした二体の魔族を敵として判断した。


 何故魔族が更に二体、此処に居るのか。

 彼らの目的は何なのか。


 疑問は尽きなかったが、そんなことを考えている余裕は無い。


 殺すか、殺されるか。

 この場ではそれだけしか結果として存在しない。

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