獣狩り 3
川から少し離れた処を、ヒルは狩場に選んだ。
周りに、はっきりと聞こえる声で、低く怒鳴る。
「この駄犬。今度わたしに、きったねーバケモノの血ィぶっかけてみろ。
てめーの体毛全部刈ってやるからな」
いつもより強い口調は、彼女の怒りを表していた。
ざわざわと闇が騒ぐ。
了解したと言わんばかりに、再び蹲踞の姿勢に為る。
刀は相変わらず納めたままだ。
キリタチは彼女に体捌きを学んで欲しかったのだ。
だからこの方法で戦う事を選んだ。
常に迎撃の体勢で、相手の攻め気を読めるようになれば、カウンターを食らわす事が出来るようになる。
それも、魔獣は体面積が大きいので、比較的動作の鈍いヒルにも簡単にだ。
キリタチは自分が彼女の身体を動かせない時の事を案じていた。
だから、彼女に敵の動きがよく見える姿勢をとった。
居合斬りは、一般的に斬撃の威力が増すわけでも、速度が増すわけでもない。しかも、ヒルが持つように小太刀でするのは圧倒的に不利だ。
しかし、この刀は空間を斬る。
切断の抵抗が殆ど無いので、姿勢や納刀の不利も彼にとっては問題にならない。
おまけに刀自体も軽かった。
そうしている間に、木々を掻い潜り、すぐさま禽頸が三頭、姿を現す。
何れも、立ち上がれば彼女の丈の倍は有りそうな巨体だ。
一頭が猿のような甲高い奇声を上げると、それに呼応するように他の二頭も啼いた。
先程と違い、一頭はヒルの正面で前脚を上げたたらを踏んでいる。
最中。
他の二頭は彼女の両サイドに廻った。
正面の一頭が、ぴたりと止まる。
頭部を低くし、獲物であるヒルを見据えると、勢いよく突っ込んだ。
――!!
今度は脚の動きがはっきりと見えた。
彼女に襲い掛かるために、地面を大きく蹴り上げる一瞬の隙。
地面から脚が離れるよりも早いタイミングで、立ち上がると同時に抜刀した。
獣の長い無防備な首に、線がはしった。
そのまま斜め前方に抜ける。
背後で首がどさりと落ちたが、胴体が倒れるのを待たず、素早く身体を捻り、頭を下げる。
頭上を残る一方の爪が掠った。
敵から目を離さず、素早く二頭から距離をとる。
迎撃の構えはもう終わった。
ここからが本当の戦闘だ。
獣と人。
双方睨み合う。
どちらの攻撃も、一打、まともに当てる事が出来れば、相手を殺せる。
いつの間にか、一直線上に並ぶ、三者。
同時に視界に収める事ができず、キリタチは交互に二頭を見、警戒する。
獣は、どちらも息が荒い。
キリタチは、刀を中段よりやや上に構えていた。
もとより、彼は防御など考えていない。
攻撃を受け、防御をした時点で、残る一頭に喰われるだろう。
おまけにヒルの身体能力では、獣の素早い動きを避ける事ができない。
先に相手を殺すしか、生き残る道はない。
生死を懸けた戦いは、どう考えても早すぎた。
キリタチはヒルを怒鳴りつけてやりたかったが、彼の今の状態から、それは不可能だ。
彼女に従うしかなかった。
じりじりと、時計回りに廻る三者。
張り詰めた空気が、ヒルを焦らせた。
――まだか……さっさとどっちかを斬りつければいいじゃないか!
緊張感にヒルは堪え切れなくなる。
――何やってる!?
キリタチは、尚も姿勢を崩さず、獣の動きを待った。
痺れを切らしたのは、獣の方だった。
発達した手と、鋭い鉤爪で地面を掘り上げ、ヒルの顔面めがけ、ぶつけてきた。
身体は避けきれずに、片腕で遮ってしまう。
その隙を狙い、もう一頭の嘴が襲った。
完全に、ヒルの背後だ。
避けられない。
大きな嘴が、勢いよく彼女を銜えた。
――!?
しかし、彼女は無事で、獣の方が奇声を上げ、後退る。
「なっ……!」
不協和音を放つ獣には、舌もろとも嘴が無くなっていた。
遠くに、どさりという音がして、それらが落下する。
キリタチが、上体を逸らしざま、残る片手で撥ねたのだ。
――いったい、何が!?
ヒルは何が起こったのか、未だに解っていない。
完全に背後で、視界も無くなっていたが、キリタチは反応した。
彼の2000年間戦い続けている経験と、同じ獣としての勘が、可能にしたのだ。
彼は素早く間合いを詰め、もがく獣に追い打ちをかけ、仕留めた。
残心を怠らず、すぐさま残る一頭を振り返る。
身体を捻った時、ズキリと痛みがはしる。
――……っ!!
だが、キリタチにはそんな事、関係ない。
彼が、息つく暇もなく、今度は自分から突っ込んで行った。
動作の度に、背中が痛む。
「うぅ……う゛……」
身体の動きとは別に、口からうめき声が漏れ出ていた。
間合いを詰め、獣を斬り付けるあと一歩のところで、彼は瞬間的に立ち止まる。
急激に全身へ付加が掛かり、背中には凄まじい反動で、噛み締める奥歯から「ぎぎぎ」と痛みに耐える音がした。
――何だ!?
彼の行動が理解できない。早すぎて、おまけに戦闘経験の無い彼女には予測不可能だ。
直後。
魔獣が、傍に在る木を両前脚で掴み、バキバキと音を立て、ぶち折った。
「う゛わっ!」
キリタチは、勢いよく方向転換し、無防備にも敵に背後を見せ、全速力でその場から離れる。
「どうした!?」
彼女が疑問の声を出した時。
――!?
雷が落ちたような轟音がした。
間一髪。
ヒルの立っていた処に、獣が折った木が飛んできたのだ。
――おいおいおい! あんなのこっちから攻撃できないじゃないか! 駄犬は、これに気付いて方向転換したのか!!
獣は更に木を折り、投げつける。
周囲は木々が生い茂る森の中。魔獣が放つ木が彼女に当たる可能性は低いのが幸いだが、これでは近付く事が、できない。
キリタチは、形振り構わず走っていた。
兎に角、こうなってはこの場から離れるしかない。魔獣一体にこだわる必要も彼には無いので、退いたところで敗北にはならない。
だが、彼女には違っていた。
「おい! 駄犬! ……逃げるな!!」
痛みを堪えながらも、ヒルは奮起する。
背後では放たれた木が、別の木にぶつかり、轟音を立てていた。
魔獣は当たらない攻撃をやめ、脚に持つ木はそのままに、突進しだした。
物凄く早い。巨体で風を巻き上げる音が、聞こえるほどだ。
「追ってくるぞ!」
“ずん、ずん”という地響きが鳴り、魔獣が迫って来るのが判った。
その音が、徐々に、大きく、早くなる。
「おい!!」
ヒルは、キリタチに戦えと言う。彼は逃げる足を止めない。
どんどん魔獣は迫ってきて、背後に気配を感じる。
「逃げるな!!」
ヒルは、姿の見えない彼に怒鳴った。が、反応は無く、尚も彼女の身体は走り続けている。
「この……駄犬……」
ヒルは、小さく、地面を見て呟きながら、走る。
彼女は、逃げる訳にはいかなかった。
こんなところで、逃げ、魔獣一頭退治できないようでは、この先生き延びられない。
彼女が今考える“最悪”。
キリタチが、急に、自分の身体を動かせなくなるかもしれない事。
ポーが、自分から離れ、一人になる事。
それは明日かもしれないし、一時間後かもしれない。
――近いうちに、いずれは一人になる。そう彼女は考えている。
いつ“そう”なっても良いように、すぐにでも、技術と経験が欲しかった。
“どどどどど”と、音は激しくなり、もう獣はヒルを攻撃の射程圏内に捉えていた。
即ち、持っている木を、振り回せば、届く距離だ。
「……この……負け犬!!!」
地面は、滝のように素早く流れて行った。
「くそっ……!」
彼女の奥歯が、怒りと痛みでギリギリと鳴り出す。
「くそ……くそっ……!!」
こんなところで、こんな簡単な敵……――先程、同じく一対一で、あっさり倒した相手から、逃げ出すとは。
「こんな、こんなんじゃ……全然ダメなんだ……!」
彼女は顔を上げるが、見えたのは、悲壮の色だった。
今度は、悔しさで、ギリギリと唇を噛み締める。
――くそ、くそ、くそ……!!
激しい振動で、唇から血が滲む。
――わたしは、強く、強くなりたいんだ!!
自分自身への、怒りが抑えきれずに、彼女は絶叫する。
「――この……駄犬!!」
天に向かて、吼えた。
「わたしの言う事を、聞けぇッ!!」
刹那。
ビタリ、と彼女の足は、止まった。
反動で、地面が捲れ、彼女は、尻餅をつく。
“ぶおん”
という音を立て、頭上を、木が掠った。
ただ立ち止まっているだけでは、胴体を直撃していた。
当たれば、ただでは済まなかっただろう。
そんな恐怖など、感じている余裕など無い。
すぐさま立ち上がり、絶叫して、突っ込んだ。
「――あ゛あああああああっ!!!!!」
彼女は、“自分の意思で”刀を振りかざし、巨木をぶった切った。
魔獣は、“小さなベンチ”程に短くなった木の端を、彼女目掛け投げ捨てる。
が、彼女は紙一重で避ける。
キリタチが、再び彼女の身体を動かしたのだ。
素早く刀を逆刃にし、獣の腹を突く。
そのまま、上部に、振り抜いた。
魔獣は、か細い悲鳴を上げ、天を仰ぐ。
腹から上が、一線に、ぱっくりと、割れた。
そのまま、背後に倒れる。
大きな音と共に、地面が揺れた。
少しの間がして、漸く、辺りは静まり返る。
すると、
「はあ、はあ、はあ……」
彼女の息遣いだけが、鮮明になった。
ヒルは、冷たい外気で咽喉が痛くなるほどに、荒い息をしていた。
足許には、腹から上が二股に分かれている獣が、びくびくと血を溢れ出しながら、その剥いた白目で月を見ていた。
「うーん……ちゃんと、とれたかな?」
間延びした声が、洞窟に響き渡る。
袖を捲り上げた状態の両腕を腰に当てて、ポーは今、干したばかりで洗い立ての着物を前に、首を傾げていた。
ヒルに命令されて、一生懸命洗ったそれは、炎の赤い明かりの前では、きちんと言いつけ通り、綺麗になっているか、判別できなかった。
「乾いてから日の光で見るしかないのかー」
ポーはがっくりと、肩を落とす。
できれば、日の下には出たくなかったのだが、太陽というものは、やはり森羅万象あらゆる生物にとって、なくてはならない存在だと思い知らされる。
それにしても、この男。
外見からは、全く想像できないが、なかなか綺麗好きな性格のようで、ヒルはその事もあって、彼に洗い物を押し付けたのだった。
ポーとヒル、数週間の共同生活で、ほぼ全ての洗い物は彼がしていたし、洗濯専用の石鹸も常備していた。彼に近寄れば、石鹸の良い香りがする。
そんな彼が、洗い立ての着物を睨んでいた細い目を、横に逸らした。
「あれ?」
首どころか、腰から傾け、疑問を現す。
「ヒル帰って来たみたい。早いねー」
口角を上げ、怪しく嗤うと、洞窟の入り口に向かって、ゆるゆると歩き出した。
洞窟の入り口、丁度ポー自身の張った結界内ギリギリのところで、彼は屈むと、
ニタニタしながら、意地悪そうに首を傾げる。
「あらら? どうしたの? 夜明けまで魔獣退治するんじゃなかったの?」
「うるさい」
ヒルはそこに俯せで、大の字に寝そべっていた。
「だから無理しちゃ駄目だって言ったのに」
「死ぬかと思った」
「もう、君一人の命じゃないんだからー」
そこで、彼女はふと、顔を上げ、ポーを見た。
「どういう事だ?」
「君が死んだら、狼君も死ぬよー」
「そうなのか!?」
「君の影になっているんだから、当然彼も一緒に死ぬよ」
「成程……」
ヒルは、合点がいったという風に口許に手を当て、呟いた。
「だから危ない橋は渡りたくなく、……逃げたのか」
「なーに?」
「いや、あいつ、割とそれまで簡単に倒してた敵を相手に、ちょっと不利になったからって、逃げたんだ。
まあ、わたしがそれを制して、何とか退治できたけど」
ヒルの話を聞き、ポーの表情から笑顔が薄れた。
「彼が、いう事を聞いたって??」
ポーはヒルに手を貸して、立たせた。
「それは、有り得ないよ……。影の意思が優先されるようになってるんだ」
「え? でも、前にも言う事を聞いた事がある……」
焚火の傍に着くと、二人はいつも通り、向かい合わせに座った。
「彼は、君と深い関係なの?
それとも、君の命令を無視できない理由があるのかな?」
「深い……犯されそうになったが、未遂で、深い関係とは言い難い」
そう真面目に話す彼女に、ポーは「ええ?」と驚きの声を上げ、何とも言えない複雑な表情をした。
「えっと……大丈夫? 彼、外そうか??」
「余計な気を使うな。いいからどういう事か説明しろ」
「えー……うーん。
だから、影になったんだから、彼が逃げたいなら逃げれるんだよ。
君が命令しようが、狼君の意思が優先されるんだ」
「それは、確かにおかしいな」
言う事を聞くにしろ、あそこで立ち止まるのはどう考えても危険だった。
事実、運が良かったから、攻撃を食らわなかっただけで、当たっていたら死んでいても可笑しくなかった。
わざわざあのタイミングで命令を聞いた理由が不明だった。
「それに、狼君の判断は正しいと思うよ。魔獣は頭良いからねー。簡単な魔法も使えるし」
「そう、なのか……」
一頭目、二頭目を倒せたのは、準備万端で、迎撃をしたから。三頭目、四頭目は、たまたま運が良かったからであって、もう一度同じように戦って、勝てるかは不明だ。
「しかも、魔獣なんていくらでもいるんだから、無理して戦う必要もないのに、――君は何をそんなに必死に死に急ごうとしているんだい?」
「違う……違うんだ。死にたい訳じゃない、ただ、帰りたかっただけなんだ」
彼女は悲痛な顔をする。
――私は馬鹿か。
焦って、完全に、目的を見失っていた。
“最悪”は、“帰れないこと”だろ。
初めての戦いで、頭に酸素が行き渡ってなかった。
死んでは、強くなるどころか、帰る事もできない。
「ポー、ありがと。頭が冷えた」
「なんか素直だね」
笑う彼に、彼女も薄らと、
「大人になったのさ」
微笑んだ。
「ああ! そういえば、僕のローブ」
ポーは引き攣った笑みをして、なんだかそれが泣き出しそうに見える。
「あ、ゴメン」
彼のローブはすっかり、返り血と泥で汚れてしまっていた。
どんなに気を付けても、派手に戦っては返り血を避けられない。しかも、彼のローブはヒルには大きいので、随分と引き摺ってしまった。
「洗って返すから」
「いいよー、僕が洗うから」
「そう」とあっさりと承諾するヒルは、彼がそう言うのを判っていた。
「でも、このローブ。めちゃくちゃ引き摺ったのに、全然ボロボロになってない」
「そうだねー。神気を宿しているからね」
「要の妹の服と同じ?」
「そうだねー」
「って事は、普通の服より丈夫って事?」
「うん。あと、それ自体が神力を宿しているのもあるよ」
ポーの良く解らない話を聞きながら、ヒルは考え込んだ。
暫くして、服が乾くと、ポーはローブの洗濯をしに外へ出て行った。
乾いた着物に袖を通しながら、ヒルは考えていた。
――結局。キリタチが言う事を聞いた理由が解らない。
わたしが死んだら自分も死ぬのに、あそこで逃げるのを止めるのは……ポーが言うように、どう考えてもおかしい。
暫し考えて、ポツリと呟いた。
「そういえばさ」
口を尖らせながら彼女は、腕を組み、ばつが悪そうな顔をする。
「キリタチってどう書くの?」
言うと、彼女の右腕が上がり、空中に人差し指だけ立てた。
その指は、
『桐截』
と要や柊がしたように空間に文字を書いた。




