獣狩り 2
「何してるの?」
二時間程経ち、ポーが戻って来た時、ヒルは洞窟の入り口近くで樹にもたれていた。
洞窟は山の中腹を人工的に掘られた横穴式で、少し離れた周囲には木々が拡がっていた。
山の違いなど判らないヒルには、要の住処との区別はつかなかったが、ポーは魔獣が出ると言うので、ここは別の山だということだけは判った。
ずっと火の傍で、乾燥した空気しか吸えなかったので、夜のしっとりとした空気が、彼女には心地よく感じた。
しかし寝巻き同然の格好で、秋の寒空の下居たので身体が冷えた。
両腕を軽くさすりながら、彼女はポーを見上げる。
「早いな、どうだった?」
彼女は質問には答えずに、逆に自分から質問し、彼と共に洞窟内に入った。
「とりあえず、座ろうよ」
ポーは彼女を気遣い、そう言った。
真っ暗な細い道を壁伝いに暫く歩くと、広い空間がある。
その一角にぽつんと焚き火がおきている。
二人がずっと居た場所だ。
「おや」
ポーは首を傾げる。
焚き火の傍に置いてある物を不思議に思ったからだ。
そこには山に生えている植物がずらりと並んでいた。
薙刀香需、唐糸草、七竈、千振、女郎花、蕨、薇、蓬、等々……。
一房ずつ几帳面に並ぶそれらを前に二人は座った。
「食べられる物はある?」
「あ、これ君が採って来たの? 僕あんまり詳しくないよ?」
「いいから」
ヒルは彼の居ない間、食べられる物を探していた。
一人で生きていくには、自力で食料を確保できないと話に為らない。
「うーんと、これとこれと……。
これは薬に使うね。これは根が薬に使えるよー。これは火除けのお守りにいいよー」
ヒルはポーの顔をまじまじと見た。
「何?」
「いや、凄い。思ったより全然詳しい」
「そうかなー」
照れる彼を横目に、彼女は素直に関心した。
――自分が無知なだけか……。
自身に対する苛立ちが募る。
彼女は本当なら小さな獣の一匹でも狩りたかったのだが、狐一匹見つけられなかったのだから、仕方なく山菜取りに勤しんでいたのだ。
数日前、足許にある草にさえ恐怖していた彼女とは、大きく変わっていたが、どうしてもキノコだけは、以前と変わらず触れなかった。
「それで、要は?」
「ああ、それがねー、帰ってないみたいだよ。何処行ったんだろうね、帰りたくないのかな?」
――帰ってない? もう一週間以上経ってるんだ……。
何か有った? それとも、帰れない理由があるのか?
「それは、誰に聞いたんだ?」
「えっとねー、僕は君に会った処に行ったんだけどね……」
彼の話を要約するとこうだ。
ポーは初めてヒルと出会った場所に行った。
どうしたものか、とうろうろと山の様子を窺っていたところ、丁度鹿が一頭やってきて、彼はローブの裾を銜えられ、山の中へ入るよう、促された。
山の中には入れないと思っていたが、いくら先へ進んでも、結界に阻まれる様子は一切無い。
そこで漸く、結界が解かれている事に気が付く。
暫く先へ進むと、要達の住むアジトが在り、手下の一人がポーを迎えた。
中に通され、彼は要が帰って来ていない事、結界が突然消滅した事を聞いた。
「そんな……」
ヒルは彼の話を聞き、親指の爪を噛む。
事態がとても良いとは思えなかったのだ。
「わたしや山賊共が生きてるって事は、とりあえず要は無事なんだろうけど」
「要が死ぬとは思えないよ」
「何か心当たりがあるのか?」
「無いけど」
ヒルは苛立ちを隠さず、舌打ちした。
「要を急いで探さなければ……でも、全く見当がつかない」
「あの魔族、また来ないかなぁ?」
「それは期待しない方がいい、わたしの事をもう用済みだって言っていた。
もう数日経っているんだ、今更わざわざ来てわたしを殺しに来る理由も無いだろう」
二人は腕を組んで考えた。
やがて、
「考えても仕方ない」
というヒルの声で、二人は顔を見合わせる。
「今は此処でじっとして、痛みが退くのを待つ」
「おや、案外冷静だね。てっきり今すぐ出て行くって言うのかと思ったよ」
「自分の状態くらい判るさ。今出て行くより、此処で力を付けてからの方が、圧倒的に早いだろう」
――それに、とてもじゃないが、今の状態で一人生きていくのは不可能だ。
ポーは口角を吊り上げ、一つ頷いた。
洞窟から数分歩いた処に、ヒルは立っていた。
相変わらず、ポーに着せられた白い寝巻きのような着物を着ている。
足には粗雑な草履のみ。
白い肌と黒い髪が、彼女だけ色の無い生き物のようだ。
手には要の刀を持っている。
朱塗りに金の模様のそれは、周囲の緑、茶には溶け込まず、目立った。
「本当に大丈夫?」
「そんなの判るか」
あれから更に一週間は経っていた。
ヒルの身体にはまだ痛みが残っていたが、大分一人で自由に動けるようになった。
「いいから見ていろよ。何かあったら、助ければいいし、助けなくてもいい。あんたの好きにしろ」
ポーは「わかったー」と、間延びした声で言い、一歩下がった。
彼女は刀を抜き、木々の隙間から覗く月明かりにそれを翳す。
青白く反射するそれは、要の視線を思わせるほど、涼しげだ。
――本当に、この刀だけで要に辿り着くことができるのか……?
鍔の無いそれは、とても堅い肉や骨を截てるとは思えなかった。
本来鍔は、突いた際に自分の手が刃の方に滑らないように、踏ん張りを効かせる為に有る。
更には敵の攻撃から自分の手を護ったり、鯉口を切る上で利便であることや、刀身との重量のバランスを取る役目も有り、重要な武具だ。
――その鍔が無いって……いったい。
どうした事か、と不思議に思っていると、微かに、小枝を踏み割る高い音が鳴る。
彼女はその方角を見据え、
――まあ、使ってみれば判るか。
刀を、正面に構えた。
心の闇が拡がる。
兎に角、何でも良いから殺したい衝動に駆られる。
ざわざわと周囲の闇が揺らいだような気がした。
ポーの、包帯を巻いていないローブの中身は、首だけ傾けニヤニヤと彼女を嘗めるように視ている。
梢と梢の隙間から、荒い息遣いが聞こえた。
瞬間。
息をする主は此方に気付いたのか、ビリビリとした殺気が迫る。
木の枝が折れる音。
地面を蹴る振動が近付いてくる。
ヒルは自動的に、先程、折角構えた刀を納めた。
彼女の影となったキリタチがそうしたのだろう。
顔の正面で、刀を横に構えた。
キリタチは、すうっ、と滑らかな動作で、静かにその場に座した。
蹲踞――片膝を地面に付け、踵の上に尻を載せ、姿勢を正す。
ヒルは不思議に思う。
――こんな体制で、“魔獣”と戦えるのか、と。
地面を揺らす振動と共に、闇夜から、丸太のように太い、毛むくじゃらの腕が現れる。
手が木々を“邪魔だ”とでも、言うように、薙ぎ払う。
鋭い鉤爪が、大樹に刺さったが、まるで重量を感じさせないくらいに軽々と、振り除けた。
荒い息遣いと共に、その獣は姿を現す。
四つん這いの姿勢は、獣そのものだったが、前脚が人の腕のようで、指先が獣よりも細長く、かなり発達しているようだった。
顔面には嘴があり、だらだらと涎を垂らしている。
「禽頸だね。初めての相手には良いんじゃない?」
ポーが暢気にそう発する。
すると、堰を切ったように、獣は奇声を上げた。
とても甲高く、耳を塞ぎたくなるような音だ。
一瞬だった。
瞬きなどしていないのに、気が付けば目の前に獣の腹が在った。
それが、一気に裂ける。
ヒルは、自分が抜刀していたのにまだ気付けていない。
頭上から降り注ぐ、大量の血。臓物。
何かを切った感触など、無かった。
ただ、ぼとぼとと降ってくる、はらわたが顔面にぶつかる感覚しかなかった。
獣の巨大な体躯が反動で後ろに倒れ、地面が揺れた。
呆然と、立ち上がる。
漸く、自分が獣を斬ったのだ、と理解できた。
掌にべったり付着した血を摺り合わせてみる。
さらさらとした、感触だった。
――大量の血は、もっとドロドロしているのかと思ったのに……。
頭から被った血を滴らせながら、彼女は掌だけを見ていた。
「それは空間を斬っているんだね」
ポーの暢気な一言に、ヒルは我に返り、足許を見渡した。
一歩、後退ったかと思うと、そのまま西の方角に駆け出した。
血を吸った刀をしっかりと握りしめたまま、走る。
背中が痛んだが、駆ける足は止まらない。
流れの早い、大きめの川が在り、彼女はそのまま駆け込んだ。
急な流れに、よろめきながらも、川の中央に進む。
水面が胸までくると、彼女は漸く立ち止まった。
全身の血を洗い流す。
特に、顔、頭を念入りに洗った。
口内にも血が入ったので、うがいもする。
水中では血が揺らいでいたが、すぐに流された。
暫くそうしていると、川岸にポーが来る。
「大丈夫?」
ヒルは、ピタリと洗うのをやめ、川の流れに注意しながら、ゆっくりと彼の処へ上がって来た。
「……」
「風邪ひいちゃうよ、帰ろう?」
殺しをした事も無い少女が、いきなり獣の血と臓物を浴び、普通でいられる筈が無い。誰だってそう思う。
ポーも例外ではなく、彼女の精神面を考慮し、気遣った。
既に彼女の心の闇は、彼好みに深まっていたので、ポーはそれ以上望まなかったのだ。
ヒルは無言で、濡れた着物を豪快に脱ぎ、全裸になる。
「ちょっ……」
「時間を無駄にできない。日が昇るまで、狩りを続けるさ」
白い背中が月明かりを艶めかしく反射させた。
そこにはもう、傷一つついていなかった。
凛とした瞳で、不適な笑いを向けながら、そう言った彼女は、彼のローブを剥ぎ取って、羽織った。
「あ、ソレ洗っといて」
去り際に脱いだ着物を指差し、ポーに押し付ける。
軽く洗ったくらいでは落ちない程に、血で黄ばんでいた。
ポーは、呆然と彼女の背中を見送る。
いつもより、心なしか口角が上がっていないようだった。




