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獣狩り 1


 深い、深い、暗闇の中。

 只、“落下している”感覚だけが有った。


 闇なのだから、何処が上か下かも判らない。


 しかし、重力が働いているのか、身体の表側。顔面、胸、腹、膝等が、吸い込まれているのは判った。


 どうやら自分は俯せの状態で落下しているのだな、と彼女は暢気に思った。


 ぴたり、と落下が止まった気がする。


 それは、眠りから覚めるのと似た感覚だった。



 ぼんやりと、人影が闇に浮かんだ。


 その影を、彼女は知っている。

 影の姿ははっきりとは見えないが、声は鮮明に、彼女の全身に響き渡った。


 「何が他の世界だ! あんた妙に此処のことに詳しかったじゃないか! よそ者を演じて、私らから、財をぶん盗ろうとしたんだろ!」


 影は、彼女を指差し、痛罵する。


 「他人の家にずけずけと押しかけてきて、何も企んでいないわけが無い!」


――ちえ……。


 自分を非難するその声に、彼女は真剣に耳を傾けた。



 ゆっくりと、立ち上がる。


 「あんたの言う事は尤もだ、当然の考えだろう。

 わたしが甘かったんだ……無条件であんた達を信用して、勝手に騙された」


 彼女はその幻に向かって、呟く。


 「思えば、わたしは最初から他人(ひと)を当てにしていたな……。

 シュウ、山賊達、ポー、村人、役人。

 何故だろうな……、何故か助けてくれると信じていたんだ」


 何の根拠も無いのに、と彼女は薄く嗤う。

 いつの間にか、幻は消えていた。


 「そもそも、人は皆、優しくしてくれると思っていたのが間違いだった。

 これこそが、この世界で出会った人達こそが、人間の、動物の本来の姿」


 誰にともなく、彼女は呟き続ける。


 「自分の欲望に従い、騙し、奪い、殺す。単純な事だ……そうしなければ、生きて行けないから」


 彼女は自分の掌を見た。

 潰れた肉刺(まめ)が、殆ど癒えて硬くなっていた。


 「彼らは間違っていない、間違っていたのは自分……。人の優しさの上に胡坐をかき、平和ボケしていた」



 だがそれが、悪いとも思えなかった。

 あの世界では彼女が“平和ボケ”と称していた事が、普通だったのだ。

 周りの人間もそうだった。


 道が判らなければ、教えてくれるし、筆記用具を忘れれば、貸してくれた。

 喉が渇けば、公園でだって、ショッピングセンターのフードコートでだって、無償で綺麗な水が飲めた。


 それがあの世界では、何の事は無い、当然の行為だった。


 『本当に、そうだったのか……?』


 また違う声がした。


 彼女の声に似ているようだったが、男の声にも聞こえた。

 

 その声を聞き、自分の思う、“あの世界”とは一体何処の事なのか、彼女には判らなくなった。


 「わたしは、あの世界の、何を知っていた?」


 『知っているわけないだろ? お前の世界ってやつは、電車で13分と徒歩10分の範囲だけなんだから』


 「……馬鹿にするな、たまに遠出もするよ」


 彼女は心外そうに、声の方を睨んだ。


 「でも、そうだな。

 あの世界だって、他の国に行けば、ここと大してかわらないのかも知れない。無償で人に何かを与えるなんて、余裕のある人間のすることだ」


 声は嬉しそうに笑った。


 『じゃあ、もうあっちに帰る必要もないんじゃ?

 どうせお前なんて、あっちでは“その他大勢”なんだし』



 「いや……それでも……帰って、元の生活に戻りたい。

 わたしの細く小さな人間関係でも、確かに其処に在ったんだから」


 頼りなく呟いて、開いていた掌を握り締める。


 「それに、今なら全力で生きられる気がする。戻って、やり直したいんだ」 

 それは、切実な、彼女の願いだった。


 辺りがしん、と静まり返る。

 声は消えてしまっていた。


 「――そうだ、もう、誰にも頼らない。誰も信じない」


 頼るから、失望する。

 信じるから、裏切りが生まれる。


 だったら、そうする事は、枷にしかならない。 


 「常に最悪を想定して、行動する」


 彼女はその小さな手を、強く握り締め、

 「最悪は、此処から帰れない事」


 はっきりと、自分の意思を確認した。 




 薄らと目を開けると、焔の赤い灯りが見えて、彼女はそれを手の甲で遮った。

 そんな簡単な動作でさえ、背中の痛みに響く。


 「おや、起きたのかい?」


 彼女のすぐ近くに座っていた男が、手を貸そうと近寄った。


 「いい」

 彼女はそれを制すと、地面に両手をつき、一生懸命に自力で起き上がろうとする。


 「大丈夫かい?」


 身体を震わせながら、必死になって、漸く一人で起き上がることが出来た。


 一週間ぶりに起き上がったのだ。

 ただ座るという動作にも、感慨深いものがある。


 「ポー」

 彼女は彼の名を呼んで、自分の着ている衣服を脱いだ。


 ポーは彼女の背中側に廻り、胸から腹にかけて巻かれている包帯を外す。


 恥じらいなんてものは、とっくに感じなくなった。

 この一週間、寝たきりの状態の彼女を献身的に彼は支えた。

 それは、看護というより、介護に近い。


 今更隠すものなど無かったのだ。



 其処は、洞窟だった。

 ポーが彼女の介護をするのに、選んだ場所だ。


 日の光も届かない程に深く、声が響く程に大きな空間だった。

 焚き火が二人の顔を赤く照らす。


 「夢を見ていたんだ」

 彼女はぽつりと話し始めた。


 「ずっと、夢を見ていた。

 出会った色んな奴に、批判されるんだ。

 此処で出会った奴等にも、自分の世界の人達にも」


 最初の二日は、痛みと、限界以上の力を出した興奮状態から、全く眠れなかった。

 後五日は、反動からの虚脱状態から、一日の殆どを眠って過ごした。


 その間は地獄の苦しみで、眠っていても悪夢しか見れない。

 ポーにも沢山の呪いの言葉を浴びせた。

 手当てしようにも泣き喚き、痛い、触るなと言う彼女を何とか宥め、ポーは処置を施した。


 「そう、腕上げて?」


 ポーは、彼女の話に相槌を打ちながら、日に何度も行ってきた手当をする。

 言われるが儘、彼女は両腕を上げ、ポーは包帯を全て外した。

 顕わになった彼女の背中は、思いの外、傷を負った時には信じられない位に綺麗になっていた。

 ぐちゃぐちゃに、捲れ上がった皮膚も、剥き出しになっていた肉も、驚くほど再生されている。


 ポーは、隅に置いてある、瓶を取った。



 瓶の中には、黄色いクリーム状の薬が入っている。

 ポーは彼女の背中に、この一週間、一日に数度これを塗った。

 瓶は、もう何個目なのかも判らない。


 「背中、今どうなってんの?」


 「大丈夫だよ、痛みは自然に無くなるまで待たないといけないけど、傷はあと数日もすれば綺麗になるさ」


 「ふーん、別に痕残っても良かったのに」


 というより、痕が残らないほうがおかしいくらいの、深く、大きな傷だった。


 「そう? 見た目を気にしているようだったから、友達に貰ってきたんだ」


 「もういいんだ、そんな事。見た目なんてどうでもいい。

 ってか、あんた友達居たの?」


 たった一週間の短い付き合いだが、彼女はポーの判り難い話を理解できるようになった。

 貰ったとは、今塗っている薬の事だろう。


 「ひどいなー、二柱いるよ。これは医者の真似事をしている友達から買ったんだ」


 「貰ってないじゃん。買わされてんじゃん。

 それって神?」


 「そうだよ、再生するのが得意なんだ」


 ふーん、とぶっきらぼうに言う彼女の顔をポーは覗いた。


 「やっぱり少ない?」

 「少なくない、わたしには一人も居ない」


 ポーの質問に、彼女はきっぱりと即答した。



 彼女はポーの目を見る。


 ポーは、最初に会った時とは違い、この洞窟内では、ローブを脱ぎ、顔や手に巻いていた包帯も外していた。

 今は黒い立襟の祭服のみだ。


 「夢を見ていたんだ」

 「ヒル、それはさっきも聞いたよ」


 ヒル、と呼ばれた彼女は、「ああ」と言って再び前を向いた。


 「夢の中で、決めたんだ。

 人に媚び(へつら)って、顔色を窺うのはやめるって。そうやって今まで作ってきた友達は、全部偽者だったから」


 ポーは、ヒルの傷に柔らかい清潔な布をあて、包帯を巻く。


 「自分を偽っても、偽らなくても、どっちにしろ本当の友達が出来ないのなら、……面倒じゃない方を選ぶ事にした」


 「僕は良いと思うよ。君の心の闇が決めた事なら」

 手当てが終わり、寝巻きのような白い着物をポーは丁寧に着せてやる。


 「人に頼るのもやめる事にしたんだ」


 ポーは口角をいっそう吊り上げ、ヒルを見た。

 「僕、今現在凄く頼られているんだけど?」


 「利用できるものは利用するだけさ」


 

 「ちょっとー」


 ヒルは、自分の膝に手をつき、何とか立ち上がろうと、力を込めた。


 「まだ無理だよー」

 ポーは慌てて支えるが、その手を撥ね退けられる。


 「時間を無駄にした、取り戻さないと」


 「無理だって。ひと月は痛みが抜けないってさ、……ああ!」


 案の定、ヒルはその場に崩れてしまった。

 ポーは、納得がいかない表情の彼女を抱え、地面に敷いてある、広げた自分のローブの上に寝かせた。


 「僕とずっと一緒に居てよ」


 ニタニタと不気味に笑う彼は、どことなく寂し気だ。


 「嫌だね」

 ヒルは相変わらず素気なく彼を突き放し、言った。


 「私は自分の家に帰るんだ。……でも、その前に、要を探さないと」


 「要? 要はもう帰ってるんじゃない?」


 そのポーの一言に、ヒルは要の手下の事を思い出した。

 「そういえば、山賊達も要は自力で帰るかもって、言ってたけど……。

 それってどれくらいの確率なの?」


 ヒルの質問に、彼は目を細める。

 「要は空間を自由にできるよ」




 「え?」


 ヒルは驚いて目を見開いた。


 「だから空間を割いて、移動したりできるよ」

 「じゃあ! もうとっくに帰っているんじゃないか!?」


 「そうかもねー」と暢気な声で言う彼に、ヒルは殴りたい衝動に駆られた。


 「それに、もしかして……わたしを元の世界に帰せたりするんじゃ……」

 「空間って言っても色々あるみたいだから、無理じゃない?」


 ポーの言葉を受け流し、ヒルは考えた。


 暫くして、横になったまま彼女はポーに頼み事をする。


 「ポー、要の山には行けるか?」

 「要の結界は強力だからね、麓までしか行けないよ。

 他の結界なら魔獣以外は大抵入れるんだけどねー。要は神経質だから神も入れないんだよねー。僕達お友達なのに」


 「……」

――もう一人の友達って、要のことだったのか!


 ヒルは衝撃的な彼の発言に、一瞬会話を乱される。

 同時に、友人と思っている相手に、あれ程までに疑われていた彼を、憐れにも思った。


 「まあ、それは良いとして。

 ……麓まででいい、行ってくれないか? もしかしたら向こうの方がお前に気付いて接触して来るかも知れない。動物とも意思疎通できるみたいだし」


 「ああ、いいね、それ。うん、判ったよー。

 でも、今日はもう日が出てるから、明日ね」


 どうやら彼の一日は日が沈んでから始まるらしく、ヒルもそれを知っていたので、今はおとなしく眠ることにした。




 翌日、……と言っても通常ならばその日の夜。ヒルとポーは洞窟の外に出た。

 ヒルは支え無しで、壁を伝い、なんとか一人で歩く事が出来た。


 「何で君も来るの?」

 「行かないよ、わたしは別にやる事がある」


 「ええ? ちょっと、此処から出たら魔獣が居るよ。一人じゃ危ないよー」


 「解っている。あんたは自分のやる事だけ考えろ。

 いいか? 誰かに会ったら、ちゃんとはっきり、『要は帰ってきているか』って聞くんだ。誰でもいい、人間でも、要の眷属でも、……動物だっていい」


 「わかったよー、そう何回も言わなくても、それくらい覚えられるよ」


 ローブと包帯で見えなくなっているが、ヒルには彼の表情が判る。

 ポーは自信満々でそう言っているが、彼が上手く話せるかどうしても心配になった。


 彼の方はまた、別の心配をしていた。

 「……本当に大丈夫? 僕物理的な事、得意じゃないから、すぐ来れないよ?」


 「人が拷問されてる時に見ていただけの奴が、心配するフリなんかするな。白々しくて反吐が出る」


 ヒルは薄ら笑いを浮かべ、犬でも追いやるように、手で払って彼を促した。


 一週間、夢の中で自問自答を繰り返した結果。ヒルはまるで、別人のように歯に衣着せぬ物言いに成っていた。


 何かに吹っ切れて、変化したようにも見えるが、実はただ単に、幼かった頃のように戻っただけだった。


 彼女のいた世界では、今のようにじっくりと自分自身に向き合う事もできなかった。

 長い時間、考えて出した結論の全ては“面倒な事はもうやめよう”という、至極簡単な答えの上に成り立っている。


 彼女はそんな自分自身が人に嫌われる事を知っている。

 自分の話し方やつんけんした態度が、人に不快感を与えるのを解っていた。

 だから、自分を曝け出した今、ポーも近いうちに自分から離れていくと想定したのだ。


――そうならないかも知れないが、期待するのはもうやめたんだ。


 彼女はポーが闇に消えるのを見送り、洞窟の外に一歩踏み出す。


 それは、一人で生きていけるようにする為の一歩だった。


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