飴と×× 3
「名は」
判事の一声で、審議が始まった。
腹から出す、厳しく引き締まった声は、空気までも張り詰める。
「鈴木……ヒルです」
命は此処でも偽名を使う。
本名を名乗る必要も無いし、命の闇に潜むキリタチは周囲の状況が判っている節が有る。
彼が要や柊から命の名前を聞いて知っているならば、それが偽名だと露見する後ろめたさがあった。
「出身地は」
――やばい。
「……」
答えられない。
裁判で“異世界出身です”などと言って良い物か……。
――判らない。
「出身地は」
「あ……」
首筋が、ひやりと冷えた。
「あの……」
「持ち物には、旅券も無かったが、何か言えない理由でもあるのか」
「い、いえ」
もう、どうにでもなれ、と命は目を瞑り、言った。
「わ、わたしは……別の世界から来たんです!」
「これは、お前の持ち物か」
判事は身体を横に向け、置いてある品物を見た。
――あ、あれ……? 無視……?
叱責や痛罵は覚悟していたが、誰一人命の言葉に反応しない。
その場の空気は変わる事無く、滞り無く裁判は進行する。
「どうなんだ」
「は、はい」
ふむ、と判事は頷く。
立ち上がり、薄紫の派手な着物の前で一礼し、恭しく座った。
言葉を繋ぐ。
「是は神のお召し物だろう、何故お前が持つ」
――来た……。
命はその質問がされる事を予測していた。
「貰ったんです」
それは、嘘偽りの無い、真実だった。
洗い浚い本当の事を話す覚悟はある。
此処に来てから、今までの経緯を……。
「では、是はお前の物だと言うのか」
「そうです……」
どうやら彼は、一応、彼女の話を聞くようだ。
では、とずっと付き纏っている疑問を投げかける。
「……どうしてそれが、神様の物だって判るのですか?
それに……、どうして“それだけ”が神様の物だって思ったのですか?」
「お前のような賤しい身分の者は知らないだろうが、神のお召し物を作る織物の神がおられる。
織物の神が作られた衣には特別、神力の宿った金の糸で紋が刺繍されておるのだ。
金の紋に不審を持った村の者が、もしや神の御物ではないかと恐れ、村役所に宿直の検非違使に通報したのだ。」
――金の紋。
そういえば……。
命は薄紫の着物を思い出す。
確かに、衿の裏にそんなモノを見た気がした。
「昨晩、検非違使は直ちに文を飛ばした。
事が事だけに、すぐさま此方で粗方審議し、そこでお前が捕らえられる事になったのだ」
――文を飛ばす?
伝書鳩でも居るのか?
この世界の伝達システムがよくわからない。
とても電話やメールが存在するとは思えないし、車等が走っているのも想像できなかった。
ちえは、あの村からここまで徒歩三日と言っていたが、命の持ち物が盗まれたのは日暮れ時。
捕縛されたのが朝早く。
――何か方法が有るのか……。
この世界について知らない事が多すぎる。
――あれ?
じゃあ、刀は?
刀は神のってバレてないんじゃ。もしかしたら、頑張れば返して貰えるかも!?
「あの……他の物は確かに盗んだ物です!
でも! その刀は違います!!
預かった物なんです!!
だから! それだけは返してください!!」
嘘はついていない。
紛れも無い真実なのだ。
――余計な事を言わなければ、良いだけ。
命は茣蓙に両手をつき、懇願した。
しかし、期待はあっさりと裏切られる。
判事は首を横に振り、一喝した。
「ならん!」
その怒声に命は、肩を引く。
「此方の刀は紛れも無い神剣!! お前の罪の枢要。
人が神剣を持つなどありえん。
こちらは、要様にしか扱えぬ一品ぞ」
――なんで……。
刀は神剣だと見抜かれていた。
即ち、それは取り返す事の困難さを示す。
「おのれ、白を切り神剣を我が物にせんとする等、言語道断!」
命の両脇に控えていた兵士が、手にする槍で彼女を制した。
「待ってください!
本当なんです!本当にそれは預かった物なんです!」
「何と、白々しい!」
「嘘じゃない!」
「お前のような小娘に、神が刀を授けられる筈が無い!」
「本当なんです! ……そうだ!! 要! さっき言ってた要が私にソレを預けたんです! 返さなきゃ!!」
「黙れ!! 聞くに堪えん!! 我等が地の神を呼び捨てになど……貴様! 他所の者だな!」
命の首根に一際強い力が掛けられる。
槍の柄で押さえ付けられ、半分“土下座”の形になった。
「でも、嘘じゃない! もっと良く調べれば判る!」
「ええい! 黙れ!! お前の処遇はとうに決まっている!」
「そうだ! 目撃者がいる! 黒い変な奴……ポーって神様が一緒……」
「黙れ!!」
「……でも……」
黙るわけにはいかなかった……。
ここで黙ったら、取り返しのつかない事になるのではないか、と思われた。
話し続けないと、話を聞いて貰わないと不安で堪らなかった。
「あ……っ」
しかし、命が次に何か言おうと、口を開いた途端。
更なる力が、二本の槍に加えられ、完全に“土下座”の形にさせられた。
「控えろ!」
判事は命に一喝した。
「――鞭刑もやむなし!!」
判決が言い渡された。
――……は?
「……なにそれ……?」
「真実を話し、己の罪を認め、悔い改めれば不問に処す!」
「真実って……もう本当の事は話している!!
罪も認めてるし、悔い改めてる!!」
命は叫びながらも、両腕を掴まれ、立たされた。
井戸のすぐ傍に有る、立派な一本の大樹の前に連れられる。
大樹の太い枝には、ぼろぼろになって黒ずんでいる布の上に、縄が何重にも巻かれていた。
自分がこれからどうなるのか、薄々気付いた。
「本当なんだって! 嘘は言って無い!!」
何とか逃れようと、必死で判事に叫喚する。
両手首に巻かれる縄が外された。
何故そんな必要があるのか解らない命は、つい黙って兵士の行動に見入ってしまう。
別の兵士が、着ている襤褸の衿を後ろから掴み、乱暴に下ろした。
上半身が裸になり、白く絹のように肌理細やかな肌が露になる。
頭の中は真っ白だったが、身体は咄嗟に逃げようと、兵士の間をすり抜けようとする。
しかし、それも虚しく、あっけなく再び捕まった。
芯まで冷え切っている身体は、外気に晒されガタガタと小刻みに震える。
両手首を再び縄で縛られ、その上に更に太い縄を巻かれる。
そして、大樹の枝に括り付けられた。
足の裏は地面につくが、足首にも縄を巻かれ、その縄を杭で地面に固定された。
もがいても、直立不動の状態で、身動きが出来ない。
それは、所謂……鞭打ちの刑だった。
「待って! こんなの可笑しい!! 全部話すってば!!」
命の顔には血の気が無かった。
必死に判事の方に向かって叫ぶが、身体は樹と向かい合わせになっており、彼の様子は窺えない。
変わりに、別の人間を見る事が出来た。
今迄はこの場に居なかった。
着物の両袖を襷で掛けている。
手に持つおぞましい物に、命の目は釘付けになった。
籐の鞭――直径1cm程のそれは、表面を滑らかに削られていた。
判事の声がする。
「本日行うのは十打までとする」
――十打……。
案外少ないと命は安堵した。
是を耐えれば釈放されるのでは、という希望が生まれる。
「また、十日の後十打。更に、七日の後十五打とする」
――待ってよ、そんなに長々と耐えないといけないの……!?
だったらいっその事、一息に全部やってくれ、と彼女は思った。
「ただし、先程も言った通り、良心に則り真実を公表すれば、この限りではない!」
――どうすれば……どうすれば解ってもらえる!?
半裸で小刻みに震える身体など、どうでも良かった。
ここに来てから、使ってばかりの頭を更に酷使する。
しかし、どうにもならない、……どうしようもない事は、流れるように、命の様子など無視して訪れる。
斜め後ろに、執行人が立ったのが判る。
「一つ」
判事の声が高らかに響いた。
次いで、“パン”という音が鳴る。
鞭は確かに命の背を叩いていた。
――…………っ!!!!!!
非常に強い力だ。
とてつもない傷みで、半開きの口は振るえ、息を吐くのがやっとだった。
声も出ない。
痛みを逃すように、高い音と共に息を吐き出す。
命は全力を尽くしてもがくが、体は固定されているので、両手を必死に握り締める以外には何も出来ない。
白い背は、特に異変がないように見えるが、しばらくすると打たれた部分にヒビが入るように切れていくのが分かる。
とてもじゃないが、十打など耐え切れそうにもなかった。
――ああああああああ゛!!!!!
頭の中では叫びだけが、木霊する。
「己の罪が解ったか」
判事は、命のすぐ傍まで、近寄っていた。
「では、もう一度問う。
これは、総てお前が盗んだ物なのか?」
「そ、そうです!!!」
自由の利かない唇でなんとか命は、地面に向かって叫んだ。
震える身体は、もう寒さなど感じなかった。
総てを肯定し、言う事を聞き、一刻も早くこの地獄から逃れたかった。
「違うだろう!」
判事は一喝する。
膝ががくがくと震えた。
盗んでいないと真実を言っても駄目。
盗んだと罪を被っても駄目。
――だったら、どうすれば良い!
判事は明らかに苛立っていた。
そして再び叫ぶ。
「二つ」
鞭の軽快な音と共に、噛み締めた奥歯が軋む音がした。
目が眩み、耐えられない。
命は喘ぎながら「も゛う……何でもいいから……や゛めて……!」と叫んだ。
背中は二度目に打たれた部分よりも、一度目に打たれた部分に亀裂が入っている。
判事の顔に、苛立ちが窺えた。
「これはお前の物ではないのだろう!」
「わ、私の物です! 私が全て悪いんです! 懲役でも何でも受けるから、もうやめて!!」
判事は舌打ちする。
「違うだろう! これはお前の物ではない!」
尚も判事は含みを込めて、命に問う。
彼とて、少女にこのような仕打ちを好き好んで行いたいわけではない。
だが命には意味が解らない。
全て認めて、罰も受けると言うのに拷問は終わらない。
朦朧とする意識の中、樹から垂れる縄を必死で握り締める。
その力は強く、命の握力の限界を超えている。
そうしないと、痛みで気が可笑しくなってしまうから、本能で痛みを逃がすのだ。
「これらはお前の物ではないのだろう!?」
――!!!?
命には判事の意図が解らない。
解らないし、考える余力も無いので、必死で復唱する。
「わ……わたしの……物では……あ゛……りません!」
判事はうむ、と頷く。
「では、お前は何も知らないという事か?」
命の息が荒い。
両手はぶるぶると大きく振るえ、必死で縄を握り締める。
「し、しりま……せんっ……」
話すのも困難になってゆく。
判事は満足げに顎鬚を撫でた。
「そうかそうか、ではこれらはお前の物ではなく、またお前は何も知らないと。お前は旅券も無く、身元が不審だな……。だが我等も一々お前のような下賎の者に関わってられんしな……」
焼けるような痛みを必死に耐えながら、何とか痛みの波を乗り越え、判事の顔を見る事ができた。
真剣な顔をしているつもりだろうが…隠していても、にやついているのが判った。
――さっきから……何が言いたい! ……はっきり言えよ!
判事自身、はっきりと言いたいのはやまやまだったが、言えない事情が有った。
「お前はこれらがどういう品なのか知らないのだな?」
――???
話すのもやっとな命にとって、この会話すらも拷問になる。
「……さっき……自分、で言……それは……要の物だ……」
判事が舌打ちする。
とても法の番人がとって良い仕草ではなかった。
「……莫迦め。もう一度訊いてやろう……答えを誤るなよ。
これらはお前の持ち物ではないし、下賤のお前には神の御物かどうかは知らなかったとする……。しかし、これは神の御物だった……。
神の御物をお前なんぞが持っていて良いわけがない。
我々も忙しい……、お前の話次第ではこれ以上の詮索はしないでやっても良い……どうだ?」
どうだ、と訊かれても命には彼が何を言いたいのか、見当もつかなかった。
「な……なにを……」
判事がまた舌打ちをする。
「まあ良い、刑にはまだまだ先がある。
冷たい牢獄でよくよく考えるんだな、今日の分に耐え、生き延びればの話だが……」
彼は伝わらない意図を伝えるのを一旦諦めたのか、建物内に戻った。
判事は投げ捨てるように一人ごちる。
「莫迦な娘だ、お前の罪は世間知らずな事……――これは厳罰に値する」
彼は賄賂を要求していたのだ。
大っぴらに、“これらの所有権を自ら放棄し、自分にこれを譲渡しろ”と言いたいのを堪え、命の口からそれを言わせたかったのだ。
でなければ、神罰を受けるのが自分になってしまう。
真の所有権の行方など、判事にはどうでも良い事だった。
実際に占有していたのが命なのだから、彼女の口から“自分は何も知らない。これが誰の物か判らない。これらは総て刑部省に献上致します”と言わせれば、後に要の怒りに触れたとて、彼らにはいくらでも言い訳が立つ。
命の所為にできる。
人間が神の物……とりわけ神剣等、神にしか扱えぬ品を手にするという事は、神に認められ神の代わりに人々を支配する権限を持つという事だった。
それ故、その価値は荘厳にして余りある。
権力を欲しようと、欲しまいと、人々にとってはとても魅力に満ちた品だった。
同じ人間の、それも少女が持っているとあらば、奪いたくなるのが常だろう。
だが既に品々は判事の手中にあり、事を焦る必要は無い。
それに、例えこの拷問に命が耐えきれず死んだとしても、それはそれで、新たな言い訳ができる。
だから彼は、悠々と高みの見物を決め込むことにした。
「三つ」
再び数が進められ、乾いた音が響く。
三度目の鞭打ち。
背中の切れ目がゆっくりと広がって行くのが見て取れた。
痛みが命を泣かせる。
悲しいわけでも、悔しいわけでもない。……自然と出てきてしまうのだ。
「四つ」
命は目を閉じ、全身の力を振り絞って四発目を受けた。
もう…思考する事はできなくなっていた。
ただ、死んでいくのと同じ感覚で、痛みを受け続けるしかない……。
亀裂がより深くなっていった。
相当痛いのか、このあたりで背中全体が痙攣するのが確認できる。
しかし骨身に応える痛さは彼女を虚脱させ、両足を震えさせ、意識を朦朧とさせた。
次いで五度目。
このあたりで、一気に皮膚が弾け飛んだように見える。
しかし、あまり出血していないのが不思議だ。
もう、判事の声など耳には入らなかった。
命はただ震え、それでも縄を掴む力は衰えなかった。
何度目か判らない。
打たれた部分の皮膚が消失し、背中全体が紫色に変色してしまったことが分かる。
しばらく時間が経つと、血がじわじわと滲んで出血していく。
背中が破壊された。
血が滴り落ち、腰に巻き付く着物に吸い込まれていく頃に、漸く最後の一打が終わった。
二名の兵士が命の束縛を解いた。
意識が有るのか無いのか……。
もう縄を握りしめる事も、がたがたと震える事もしなくなっていた。
兵士は血の滲む体を引きずって庭を出た。
ただ、命を縛っていた縄だけが樹から不気味にぶら下がっている。
辺りは闇に包まれ、ぽつぽつと蝋燭に明かりが灯された。
牢の冷たい石の床と一体になったように、命の身体は臥せっていた。
ぴくりとも動かない。
暫くして、剃髪の医者が従者と共にやって来た。
「ああ……これは酷い……」
命の原形をとどめない背中に目を遣り、診察する。
「可哀想に……こんな娘が、いったいどれ程の罪を犯したというのか……」
医者は心底悲しそうな顔をして、従者を見た。
従者は頷き、持っていた葛籠の中から薬を取り出す。
『ホントにねえー、可哀想だよね』
ひっそりと、だがはっきりと声がした。
二人は周りを見渡す。
「でも綺麗だよね。心が闇に染まるのは」
後ろを振り返ると、黒い円錐のようなモノが立っていた。
「ひいっ!」
――可笑しい、と医者は思う。
確かに、牢内に居たのは自分と従者、……そしてこの動かない罪人だけだった筈。
今は牢の鍵を外して有るが、音一つ立てずにこの中に入るのは不可能だった。
だがソレは、当然のように彼等の後ろに立っていた。
「な……誰だ!」
その円錐は、よくよく見ると、男だった。
鼻から上は包帯に包まれており、口許だけしか見えない。
その口が、三日月のように“にい”っと湾曲した。
「この子は僕が面倒みるよ」
そう言って奇妙な男は、訳が解らずたじろぐ二人の間をすり抜ける。
円錐の後ろで二人はばたりと卒倒した。
口からはぶくぶくと泡を吹いている。
そんな事はお構いなしに、男は命の頭の横にしゃがみ込む。
「あー、痛かった? ゴメンね。
助けてあげようかと思ったんだけど、君の闇が成長していくのに見惚れちゃったんだ……」
よいしょっ、という掛け声と共に上半身裸の命を対面に抱き上げる。
「心の闇が深く成る時には必ず、人は変化する。
それが“良くも”“悪くも”ね……」
――君はどっちだろうね……。面白そうにニタニタ笑いながら彼は言う。
その足許には闇が拡がり、“ずずず”と二人を呑み込んでいった。
完全に姿が消える寸前……。
「死ね」
と彼の抱える、死体のような少女から声が出た。




