飴と×× 2
再び日が昇る。
命は怒りと不安で眠れなかった。
湧き上がるどす黒い感情で、一晩中興奮状態になっていた。
だが要の眷属になった事で、一日くらい眠らなくても全く問題では無い。
今日はちえと共に、要が住む神域で一番大きな街“洛要”に向かう予定だ。
他の家族は畑仕事に出ている。
早々に朝食を済ませ、支度に取り掛かった。
「その服は返すから、此れを着な」
そう言ってちえは、命に着物と幅の狭い帯を寄越した。
――これは誰の着物なんだろう。
もしかしたら……ここにも元は女の子がいて、その子のだったりして。
変な妄想が膨らむ。
一度不信感を得ると、全てを嫌な方に考えてしまう。
着物の正式な着方など解らないから、取り敢えず適当に交差させ、それに帯を巻き付け、蝶々結びで縛った。
命は足袋も貰って、それに学校指定の上履きであるスニーカーを履いた。
「何だか気触れ女みたいだね」
「……」
旅支度が済む。
「さあ、行こうか」
そう言って、ちえが簾に手を掛けた。
その時。
がちゃがちゃと、音を立てて、何かが近付いてきた。
乱暴に簾が引きちぎられる。
一瞬だった。
どっ、と鎧を着た男達が押し寄せ、命とちえを土間に押さえつける。
「おとなしくしろ! 手向かい致せば容赦はせん!」
その声は、雷鳴のように人を萎縮させる。
「ひいっ!!」
ちえが、短く無様に悲鳴を上げた。
――痛っ……何!?
「神の御物を盗んだ罪で、捕縛する!」
腹の底から響く。太く、高圧的な声で言い放つ。
――はあっ!?
「なっ!!! んぐぅ……!」
口に太い紐を巻かれ、命は声が出せなくなった。
――訳が解らない。怖い…怖い!
思った瞬間。
全身に冷たい感覚が一気に奔った。
勝手に体が動く。
素早く身を捩り、取り抑えていた男の手からすり抜ける。
立ち上がると同時に、男の腰から剣を引き抜く。
「貴様!」
体勢を低くし、戸に走った。
――体が……勝手に!?
戸を塞ぐように立っていた男が、剣を引き抜き構えた。
「おとなしくせねば、今此処で斬るぞ!」
口の縄を毟り取る。
――嫌……! 怖い、怖い!!
心に闇が拡がる。
恐怖心。
猜疑心。
不安……。
心の闇が、増殖する。
瞬間。
首筋に衝撃がして、眩暈が起きる。
強い力で引き倒され、背後から馬乗りになられた。
剣を握る手が踏みつけられ、痛みが奔る。
命は思わず離そうとするが、手は堅く握られ、なかなか離そうとしない。
「強情な!」
更に力が加えられ、命は耐え切れなくなって「離してぇ!!!」と叫んだ。
手は命の言葉に従い、漸く剣から離れた。
命は、身体を縄で縛られた後。
小屋から引きずり出され、馬に繋がる荷台に放り投げられた。
勝手に動いて抵抗しようとしていた身体は、日の光の下に晒されると、不思議と言う事を聞くようになった。
――あの狼男か!
命は、ポーによって自分に憑けられた、大きな灰色をした狼……キリタチの事を思い出した。
小屋の中から喚き声が聞こえる。
『だから、私は知らないって! あの子の物でしょ!』
『だが、村の者はお前に質に持っていくように頼まれたと言うぞ』
命は目を瞑る。
何も……聞きたくなかった。
『知らなかったんだよ! あれが神様の物だったなんて!!』
手で耳を塞げれば、どんなに楽だったか。
縄で縛られていれば、それも叶わない。
目尻から、涙が一筋伝った。
冷たく暗い牢の中、命は蹲っていた。
身体はガタガタと小刻みに震えている。
――さ、さむい!!
床は大きな石が敷き詰められ、壁は腰高までが同じく石、それより上部が木。壁の高い位置に小さな明り取りが切られている。
隙間風が身体を冷やす。
素足を着物の裾の中に入れ、出来るだけ縮こまる。
しかし、着物は薄く、身体は既に芯まで冷え切ってしまった。
どんなにさすっても、慰みにもならない。
……奇しくも此処は、洛要だった。
半日以上、馬車は駆け、辿り着いた。
――ここに、盗まれた物がある!!
ガタガタと震え小さくなっている命だが、その眼光は鋭かった。
牢に来る途中。
馬車の荷台には命を取り囲むように、鎧の男達が乗っていた。
“検非違使”という者達だ。
彼らは主に犯罪・風俗の取り締まりなど警察業務を行う。
もちろんこれは、この域だけの組織。
非法・違法を検察する神の使者、という意味だが、要は全くこの組織には関わっていない。
人間が作った組織だ。
人々は神から土地を借り受け、代わりに治めるという名目で政治を行っている。
全て神のもの、という考え方なのだ。
その彼らに、命は尋ねた。
「あの、わたしの物は……何処に有るんですか?」
「ん? あれか?」
答えた男が見た先に、箱が在った。
――!!
盗品は共に運ばれていた。
身体の自由が利かないので、箱に視線だけ向ける。
「あの、それは……どうなるんですか?」
箱の中には恐らく、彼女の持ち物がある。
「ん? 我々は通報があったから役所に運ぶだけだ。後のことは刑部省で審議され役人が決める」
「通報……いったいどうして」
いったい誰が、どうやってソレが神の物だと判ったのか。
命には皆目見当がつかない。
だが、幸いな事に持ち物の行方は判った。
「ちえさんは、何処に?」
彼女は命とは別の何処かに連れて行かれたようだ。
「あいつには話を訊くだけだ」
「え?」
――なんで……。
納得がいかない。
自分も確かに盗みを働いたが、彼女も同じく自分から盗んだのに。
「あいつはお前から盗んだんだろ? だったら大した罪じゃない」
「そんな!」
「まあ、そう怒るな。俺たちに言っても意味は無い。判事に言うんだ。
案外大した罪にはならないだろうよ。ただ、決まりだからこうして連れて行くだけさ」
――そうなの?
だったら、荷物も返してもらえるかも。
そうじゃなくても、どうにか隙を見て、取り戻せたら……。
こうして命は牢獄に運ばれた。
随分と時間が経って、格子戸の向こうで人の気配がした。
見ると、此処に命を運んだ男達のように、木の鎧を着た男が二人近寄って来る。
手には槍。
多少なりとも命は緊張した。
しかし、あまり重い刑罰にならないと聞いたせいか、過度な心配はしない。
がちゃり、と冷たい音を立て錠が外される。
「出ろ」と言う声に素直に従った。
兎に角、この冷く狭い空間から直ぐにでも出たかったのだ。
しかし、身体は言う事を聞かない。
嫌な予感がした。
――あの狼男! なんかやらかすつもりか!!
慌てて命は周囲の影に叫んだ。
「待って!」
キリタチが何処に居るのか正確には判らない。
だから、ぐるりと辺りを見渡しながら言う。
「抵抗するな!」
“闇”に潜んでいるというポーの言葉から、唯一連想された影。
その影に命は命令する。
――どうせ逃げられないんだし……。
「これ以上罪を重くしたくない!!」
命の言葉が終わると、牢の中は静まり返った。
「黙れ!」
命を一喝するその声に、彼女はビクリと肩を震わせた。
身体の自由が利く。
キリタチが命の声に従ったのだ。
命の奇行を見ても男達は動じない。
彼等は職業柄、常識では理解できない行動を起こす人々を相手にしてきた。
毅然とした態度で職務をこなす。
それは責任感からではない。
一々可笑しな人間に構っていられないのだ。
牢から引っ張り出された命は、両手首を縄で縛られ、腰に紐を巻かれると、歩かされた。
紐は門番である鎧の男が、命の後ろで持っている。
言われるがままに、歩くしかない。
石の上や、土の上を素足で歩くのは得も言われぬ気味悪さがある。
牢に入る前に、靴と足袋は脱がされたのだ。
――ほんと、意味わかんない。
裁判を受ける作法だとか何とかで、素足にさせられたのだ。
彼等の考えが解らない。
神を崇める気持ちも、迷信にすがる気持ちも。
――っ痛!!
命は呻いた。
歩くたびに、身体が軋むのだ。
命の能力を超えた動きを、キリタチがしたせいだろう。
筋肉の痛みに顔を引き攣らせる。
暫く歩き、ある建物の、庭のような処に着く。
庭と云っても、鑑賞を愉しむ為でも、生活に使う為のものでも無い。
此処で罪人を審議するのだ。
痩せた土が埃となって、巻き上がっている。
藁で出来た塀の隅に、井戸がひっそりと不気味に在った。
土が舞う、吹き曝しの地面の上に、薄汚れた茣蓙が敷いてある。
其処に命は、縄や紐はそのままに……跪かされた。
穏やかな日差しが射す。
日が傾くにはまだ少し早い時間帯だ。
庭に面する三間しか無い小さな建物の中には、二人の男が座っていた。
一人は判事。
裁判を審理し、刑名を定めることを任とする。
二人目は史生
文書事務を行う。
彼等の座す部屋の戸は開け放たれており、開放的な其処は、庭の全てが見渡せる。
命の横には、彼女を牢から連れてきた門番が二人、控えている。
彼女は視線だけを上げ、判事の横に置いてある、品物を盗み見た。
制服、下着、ストッキング、褌、地味な着物、派手な着物、細い帯、派手な太い帯。
……そして、丹塗りの刀。
彼女の持ち物総て。
――あれは、全部うちの物だ!!
あれらを取り戻すにはどうしたら良いのか。
命は考える。
素直に罪を認めて、刑を受けるか。
無罪を主張して、いたずらに裁判を長引かせるか。
どちらも正解とは言えないだろう。
――ここの治安は悪すぎる。
それに裁判の方式も、刑罰の方法や期間も判らない……。
命の知っている裁判と、ここのそれは、恐らく異なる。
――それに、そもそも裁判がどんなのかなんて、知らないし!
元の世界では犯罪とは無縁な、平凡な人生を歩んで来た。
今までも、これからも、裁判について考える事なんて無かった筈。
――でも、大した事にはならないみたいだし……ここは余計な事をしないで、ありのままに本当の事を話すか……。
願わくば、短期間で終わる刑に処されん事を……。




