飴と×× 1
二十分程歩くと、来る途中にちらほら見えた民家よりも、倍は大きな建物が二軒並んで建っていた。
その更に奥からは薄らと、湯気が上がっている。
所々補修の跡はあるが、辺りの民家よりもよっぽど立派な板張りの小屋だ。
そこに向かう人は、思いの外多い。
来る途中にも、二組の家族と合流して連れ立った。
いづれも、命が世話になっていた家と同じような家族構成だ。
先に小屋の中に入る人が居た。
右の建物に女性。左には男性が入っていく。
命は意外にも、しっかりと男女別れているのに驚いた。
小屋の中に入る。
命は想像していた、風呂の脱衣所と同じだった事に安堵した。
その空間は間仕切りが無く、一つの大きな広間だった。
部屋の両脇は剥き出しの柱に板の棚が数段取り付けられていて、その上に籠が均等に置いてあった。
大きめな古い温泉の脱衣所、といった感じだ。
「おや、ちえ。誰だい? その娘」
先に中に居た女性が、命のすぐ後ろから入ってきた、世話になっている家の女性を“ちえ”と呼んだ。
「ああ、何やら訳有りな娘でね、うちで世話してるのさ」
ちえは、笑ってそう言うと、女性がひどく怪訝な顔をした。
――まただ。会う人皆、同じ顔をする。
その表情に、気まずくなる。
ちえが、そんな命に気を使ったのか、優しい声で言う。
「先に入っていて」
「はい」
他の女性達も交えて、ちえと村の女性は談笑し始めた。
長くなるのか、壁付けの板に腰掛ける。
命は一人、服を脱ぐ為に脱衣籠の前に立つ。
それは、彼女にとっても好都合だった。
下着姿になるのは恥ずかしいので、誰も見ていない隙に、まずスカートの中で全部脱いでから、制服を脱いだ。
脱いだ物は、空の籠が幾つかあったので、荷物と一纏めにその中に入れた。
入って来た方とは反対側の戸を引く。
「わあっ!」
思わず、命は感嘆の声を上げてしまう。
それは、紛れも無く、温泉だった。
三方を高い塀で囲まれており、湯は岩で囲まれている。
――凄い!
命は素直に驚いた。
直ぐに入りたい気分をぐっと堪え、洗い場を探す。
だが、そんなものは無かった。
代わりに、桶が幾つか置いてある。
使っても良い物か、湯に浸かる人に訊いてみる。
「あの……、これ使っても良いんですか?」
質問された方は首を傾げた。
「? どうぞ?」
――良いんだ!
命は恐る恐る湯を汲み、なるべく綺麗になるように全身を清める。
一番気になっていた頭を念入りに洗う。
洗髪剤等は一切無いので、髪がギシギシと絡まり、思うように洗えなかった。
――皆どうしてるんだろう?
他の女性たちを見ても、長い髪が絡まっているようには見えなかった。
命の美しかった艶々の黒髪は、無残なものになっていた。
湯に浸かると、思わず溜息が漏れた。
熱めの湯が、じんわりと身体を包み込む。
筋肉痛や、傷。各種の痛みにじくじくと染み渡り、感覚を麻痺させる。
極楽。とはこのことだろう、と命はしみじみ感じた。
目を閉じて、深く静かに思いをめぐらす。
――やっぱり、服は着替えた方がいいかな。
汚いし、臭い。しかも、目立つ。
でも……もし無くすような事があったら嫌だし。
段々と額に汗が滲む。
――明日……街に行ったら、どうにかなるのかな……?
……あれ?
そういえば、街までってどれくらいかかるんだ?
そこで、音を立てて戸が開き、ちえ達雑談組が入って来た。
「悪いねー、ついつい長話しちまうのが悪い癖だよ」
「いえ」
丁度良い処に、彼女が現れたので、命は尋ねた。
「あの、ラクヨウまでは、どのくらいかかるんですか?」
「え? ああ、普通に歩いて……三日かな」
「三日!?」
それは、彼女が此処に来てからの日数と同じだ。
当然、彼女にとってはとんでもなく長い。
眩暈を起こす。
「あんた! 大丈夫かい!? 顔が真っ赤だよ!」
どうやらのぼせてしまったようだ。
フラフラと湯からあがると、急な温度差のせいで、ついには倒れてしまった。
卒倒した命を、女性たちは運んだ。
ちえ達が雑談していた腰掛に寝かせる。
「大丈夫かい?」と笑い混じりの声を掛けながら、女性たちは手拭い等で、命に風を送った。
うめき声と共に、命が目を開けると、ホッとしたちえの顔があった。
そして、女性たちは声を上げ笑う。
「ぶっ倒れるまで長湯したら駄目だよ!」
「もう、脅かさないでおくれ!」
「……すみません」
命は全裸で倒れて、人に笑われているこの状況に赤面した。どうにかしようと、慌てて立ち上がる。
――服!
服を着ようと籠の前に行った。
――あれ?
そこで、彼女の表情が消える。
――服は? ってか、荷物……は??
段々と、顔面が蒼白になる。
――無い!! 要の刀も!
「無い!!」
「どうしたんだい?」
ちえが命の様子に気付き、傍に寄った。
「ここに置いた物が、全部無くなっているんです!」
他の女性達も、遠巻きに二人を見ている。
「ええ? まさか……猿でも持っていったんじゃない?」
「そんな!」
ありえない……冗談だろうか、と彼女の言う事に驚く。
冗談にしては、軽率すぎる。命は本気で焦っているのに。
籠は整然と並んでいて、荒らされた形跡は無い。
他に無くなっているものが無いとすれば、明らかに誰かが命の荷物だけを狙ったのだろう。
「どうしたんだい?」
「ああ、それが……」
ちえが、女性達に状況を話す。
その光景を見ていた命は違和感に気付く。
――そういえば。
「あんた。とりあえず、近所の奥さんが服を貸してくれるって言うから、それ着て帰るよ」
思考は遮断された。
「はい……」
命は借りた、つぎはぎだらけの襤褸を着て、辺りを探した。
日は落ち、まともに手元が見えない。
泣きそうな顔をしながら、必死にあちらこちら探す。
建物の正面は、整備されていない農道ばかりが、迷路のように無造作に這っている。
裏手は山。この域の中心、要の住処の山麓だ。
完全に山に入ってしまえば、捜索どころか元の場所に出る事も困難だろう。
「もういいだろう? もう暗い。明日また探せばいい」
ちえの言葉に、やるせなさがこみ上げる。
情け無い。
何も言えない自分に腹が立った。
――誰かが盗んだって事は、この人も確実に関わっている。
命が脱衣所から離れて、ずっと彼女はそこに居た。
彼女がそこから出て、命が倒れるまでは僅かな時間しか経っていない。
疑うのは仕方の無いことだろう。
それどころか、村人全てが疑がわしい。
全員が敵に思えるこの状況で、彼らの機嫌を損ねるような事は言えなかった。
言って、何か良くない事が起こるのを恐れたのだ。
何故、命の持ち物だけが盗まれたのか。
その理由は命自身もよく理解している。
彼女も、つい数日前に同じ事をしたのだから。
要の妹、ローザンヌの物だった、薄紫の着物。黄金の帯。
そして要の、工芸品といって良い程の、見た目に美しい刀。
これら全て、素人目に見ても、かなり高く売れそうな逸品ぞろいだ。
命はローザンヌの着物と帯を、自分が使う為では無く、売って金にしようと盗んだのだ。
そして、盗んだ事実が負い目になって、ちえ達、疑わしい者を糾弾出来ないでいた。
――考えてみたら、元々制服以外は自分の物じゃないし……。
でも、何も全部盗まなくても!!
彼女自身は考えもしなかったが、その制服も村人が着ている衣服よりも、遥かに高級なものだった。
また、彼女が包み袋程度にしか扱っていなかった、男物の素朴な着物。単純な白い褌。それらも此処の人々にとっては貴重な品だ。
ちえ達家族の荒ら屋では、命は一人。隅で膝の間に顔を埋め、考え事をしていた。
「かあちゃん、姉ちゃんどうしたの?」
「荷が消えちまったのさ。
余程大事な物だったんだろ、そっとしておいてやり」
――人事だと思って。
命はちらりと腕の隙間から家族の様子を盗み見た。
――そういえば……。
彼女は気付いた。先程女たちに感じた、違和感の正体に。
――女の子が……いない。
嫌な予感がする。
――女の人は皆、若くても30歳くらいの人しか見ていない。
たまたま? いや、そんな事って……有り得る?
偶然会った五、六家族の間には何れも子供がいたが、全員男の子だ。
偶然にしては、出来すぎている。
――訊いてみようか。
しかし、訊いても良いものか。
――もう、嫌われてもいいや。
「あの、この辺には女の子っていないんですか?」
「え?」
急に、命が声を出したので、ちえは驚いた。
「男の子しか見かけないので」
「ああ、女の子はみんな売られていったんだよ。
去年も一昨年もその前も、凶作が続いてね。神様にお願いしても一向に良くならない。まあ、ここの神様はそういう力は無いから仕方無いんだけど。
女の子は高く売れるし、働き手にはならないから、街のお大尽に奉公させるのさ」
「売る……」
事も無げにそう言い放つちえに、命は不信感をつのらせる。
「心配しなくても、嫁は余所の村から貰うから大丈夫だよ!」
ははは。と豪快な笑い声が響いた。
――やっぱり、この人達は信用出来ない。
モヤモヤとしたどす黒い感情が腹の底で渦巻いている。
『お前たちが盗んだんだろう』と今すぐにでも糾弾したいのを必死に抑えた。
――自分の子供を平気で売るような奴らだ、何をされるかわからない。
自分も何処かに売られるかもしれない。
下手したら殺される。
そんなことも有り得るような気が、命にはした。
怒りが込み上げる。
――あの刀はどうにかして取り戻さないと!
あの刀は自分の物でも、ましてや盗んだ物でも無い。
預かった物だ。それも、惚れた男から……託された。
何としても、本来の所有者に返さなければならない。
――どうしたら、どうしたらいい。
家の者は皆、昨日と同じように布団を敷く。
命は上辺だけでも礼を言い、また自分に用意された布団に入った。
「明日は予定通り街へ向かおう」
ちえはそう言って優しく笑った。
――街……。
「物を売るとしたら、何処で売るんですか?」
「……そうだね。やっぱり、洛要だね。あそこは高く買い取ってくれる質店がたくさん在る」
ちえは命がまだ自分の荷物にこだわっている事に驚いていた。
「とにかくもう寝な。明日も早い。旅するには体力もいる」
「はい。お休みなさい」
ちえは笑って返事をして、反対側を向いて眠った。
命は眠る事が出来なかった。
どうすれば良いか、どうしなければならないのかを必死で考えた。




